刃を持つ天使を待ち望む
俺のようなメンヘラの誕生秘話を敢えて明かすような必要なんて微塵もないと思うけど、むしゃくしゃするから心の中で叫んでやろうか。うるさくすると御当主様に「品性の欠ける行動は慎みなさい」だとかどうとか言われて口を縫い合わせたくなっちゃうからな。
俺はね、凍霞家という名の財閥へと生贄のように捧げられた正室の股からずるんっと産み落とされたっていうどこかで聞いたような悲劇的な出生の若造なんだよ。意外性も何もないよな。
俺に与えられた絢爛豪華な一室にあるのは、一つウン百万円するインテリアの数々に、そして寝具には俺が作成したビスクドールが一体座っている。
これだけ聞くと「なんだ良い暮らしじゃないか」と思うかもしれないが、これらを特注する際に使う金の出所は数多の人間の死体に興奮する変態どもの財布から出てんだよね。全く、気色悪いったらありゃしねえ。
まあ、俺もそんな気色悪い家業に加担して、何が良いかも分かんねえ現代アート作ってる時点で同じ穴の狢なんだけど。
「俺は見目麗しいだけの生ゴミだぁ〜……」
「本日もメンタルがヘラっておられますね」
「慰めるとかねぇのか沙澄よォ」
「既にビスクドールの腹に顔を埋めてらっしゃるので不要かと」
「でもこの娘『天使さん』じゃねぇもん足んねえよサズゥ」
「従者を愛称で呼ぶと叱られますよ」
「知ったこっちゃねぇよ」
「なら仕方ありませんね」
俺はこの家が嫌いだし家業なんざ継ぐ気もさらさらなかった。天使さんがいなけりゃ俺だって面倒な会食も作品管理も系列店舗の経営もしなくて済んだんだよ畜生が。
だからって、別にニート志望ってわけじゃない。俺は本当にこの家が嫌いなんだ……俺の生まれ育った『凍霞』ってのが。
「俺も『沙華様』になれたら良かったのに」
「滅多なことを言うものではありませんよ」
「だってかっけえじゃんかよ。凍霞に生まれながらも凍霞に反発しては七十年前に逃げ仰せた女剣士」
でも、きっと俺には沙華様みたいになることは生まれた時から不可能だったに違いない。
だって、今まで生きてきた中で俺にはこういった屑らしい生き方しかできないっていう諦観はあっても、抗おうという気持ちが湧いたことはなかったから。あったのは弱者から幸福をジュルジュル啜り搾取する八つ当たりばかりだった。
「そのお方が居られたおかげで『999日』なんて面倒なものが出来たわけですが」
「然程面倒とも思ってねえくせに」
「まあ本音はそうですが」
「そういうとこ好きだぞ」
「光栄に御座います」
俺はこの凍霞家の人間達は大っ嫌いだけど、沙澄のことは好きだ。俺専属の従者候補として貧民街から攫ってこられた時のこいつの此方を侮蔑する視線は今でも忘れられない。ああ、こいつは凍霞みたいな変態の集団が嫌いなんだなってよく分かったから。
俺もそうだった。実の子供にあんな真似する神経が分かんねえもん。だから俺に媚を売るような奴らよりも沙澄を選んだし、名前もないって言っていた俺だけの従者に『沙華様』から文字を取って『沙澄』って名前を最初にあげたんだ。実際に会ったことはねえけど、沙華様のことも好きだ。そう考えると、俺ってばとことん『さ』好きなんだろうな。
それに沙澄だって俺のことが大好きってのは長い付き合いで分かるから安心する。不思議なことに好きなことよりも、嫌いなものが一致する方が好感持てちゃうよな。
そうだ。凍霞のことも、セックスも俺達は嫌いだった。
ぼんぼこぼんぼこ子供こさえて当主選別って意味分かんねえ。自然みてえに外敵いるわけじゃねぇのによ。マンボウとかそういう魚の方がまだ理性的だ。しかも魚は死んだら水底で骨になって、別の魚の棲み家になったりすんだろ?なんて合理的なんだ、尊敬さえする。
俺んちなんてよ、遺体が綺麗なままだったらそのまま冷凍して地下保管庫に永久保存だぜ?棲み家になることもなけりゃ墓に入ることも叶わねえ。しかも、この家ではそれが一番の幸福とされている。キモ。
出来ることなら俺の体に流れる凍霞っていう血も肉も骨も灰になるまで全部焼き尽くされて浄化されたらなんて思うけど……氷の名前を冠するせいか、それとも今までの行いのせいか俺達はとことん火というものに嫌われまくっているらしい。
定期的に保管庫の検査をする度に吐き気がする。初代当主が最初に妻を『眠りについた雪女』とかなんかとタイトル付けてその横に自分の遺体も並べてずぅっと一緒にいようとしたってさ。
雪女って。バケモン好きになったって言ってんのかよ。雪女さんのことはよく分かんねえけどよ。その隣にいる初代当主、いくら見た目が綺麗でも中身がキショけりゃ生ゴミにしか見えねぇんだよな。
まあ、天使さんが好きって言ってる俺も同類なんだけど。やっぱ生ゴミか俺も。あーあ。
「海の底で物言わぬ貝になりたーい」
「お上手ですね、サウダージ」
「許せ恋心」
こうなったらどこもかしこも穢く生きてやろうって自暴自棄になってずっと生きてきた。この世に綺麗なものなんて何一つない。少なくとも、俺の目の届く範囲には絶対にない。俺はきっと綺麗なものを見ることなく死んでいくんだと思っていた……思ってたのに。
「だって俺の目の前に天使さんが降り立ったんだ」
「……」
「それからずっと恋心は捨てられなかった。俺の手に余って邪魔くさくてしょうがないけど、手放したいって思ったことは一度もない。そのせいで俺の手垢で穢れきった恋心には謝罪してもしきれない。もう許してくれと懇願するしかねえよ」
俺はそう言いながら、さらにぎゅうとビスクドールにしがみついた。この娘にはせっかく綺麗な服を着せたのに、俺の目から出た液体をそれに飲ませてしまった。もう体は立派に大人の男のくせにみっともなく涙が溢れてしまって……ごめんな、冷たいだろ。
嗚呼、あのとき川辺で見たあの女の子は本当に綺麗だった。俺が今までの教育で見てきたどんな絵画よりも彫刻よりも、それこそ夜空の月よりも、ただ純粋に……綺麗だと思った。
今まで、喰ったことのない味の感情で苦しくて痛くて辛かったけど、それを覆い尽くしてしまうほどに愛おしかった。
あの日から俺はあの天使のような女の子に恋焦がれ続けている。きっと、浄火っていうのはこの熱いものをいうのだろうなって……耐え難いけれど、存外悪くないものだなって。
俺に媚を売り取り入ろうとする汚ない感情の面を被った奴らなんかより、俺に対してそこらの路傍の石と変わらず全てに平等に、特別な感情を持たない表情の方がずっと俺の心に優しかった。世界の全てに淡い光を降り注ぐ月のようなあの表情が今でも忘れられない。
きっとあの子は俺にとっての命の炎であり青い月であり天使だった。もう一度会いたくて会いたくて堪らない。
「でも、会えない」
こんなにずっとずっと、探しているのに。俺の声を振り切って雑踏の中に溶けてから、彼女の足跡一つ見つからない。
「もう、会えない。だから、もういい」
「坊ちゃん」
沙澄が俺を嗜めるように、引き止めるようにそう呼ぶ。本当にこいつは俺のことが好きだよな。お前が居たから、俺はここまで耐えられてきたんだろう。
でも、俺はもう『坊ちゃん』じゃない。
「沙澄、いつまで俺を坊ちゃんと呼ぶ気だよ」
「……貴方様がそれを望んだから」
「そうだ、俺がそう望んだ。出来ることならいつまでもそう望んでいたかった」
でも、違うんだ。俺はもう子供じゃない。
俺が沙華様のように強くなかったから、間違った生き方しか選べない穢れたゴミ屑だから。
この凍霞家の汚泥を啜りながら血肉を構成してきた大人になったから。
「もう、俺は凍霞家の次期当主の若様だ。これからはそう呼べ」
「……」
「呼べ、沙澄。俺を若様と呼べ……呼べよ」
「仰せの、ままに……若様」
「本当にいい子だ。お前は」
どっこいせ、なんて言いながら俺は上体を起こす。そして、寝具の傍に置いていた紙……手配書をカサっと手に取った。
「五千万、か。きっと五千万じゃ足んなかったんだろうなぁ……」
「……ぼっ」
「こら」
「……若様。時間はまだ残っております」
「慰めてくれるのか?優しいな、お前は。でもいいんだ、俺は全部分かったから、もう」
少し手に力を込めるとそれはクシャリと音を立てて歪んだ。まるで俺の心のように。
「沙澄、俺さ。この子のことを初めて見た時『まるで天使のようだ』って思ったんだよ。それからずっとずっと天使さんって呼んでたんだけどさ……」
「存じております」
「そうだよな、お前ずっと俺の傍にいてくれたもんな。でさ、分かったんだよ。俺の認識が間違ってた」
「間違い?」
「そー。違ったんだよ。天使のようだ、じゃなくてきっとあの天使さんは本物の天使だったんだ。天使シズエルってとこかな」
俺はビスクドールの腹をゆっくりと優しく撫でる。柔らかくて温かくて安心できた。俺はこの娘も大好きだ。やっぱり『さ』好きか。
神なんて信じてねえけど、どっかの宗教では馬小屋で人間の……そう聖母の胎から神の子が産まれたことがあるんだ。じゃあ、心優しいまさに聖母のような目の前の女の胎から天使が産まれて、あのゴミだらけのボロアパートの一室で暮らしていても何も不思議じゃない。
「天使が人間の目に映るわけない。だから捕まえられない」
きっと、あの時に俺の目に天使さんが映ったのは本当に奇跡の一瞬だった。
そんな奇跡が二度も起こるわけがない。きっと、この穢れた世界に嫌気が差して天界に帰っちゃったんだろうから。
「……申し訳ありません。私があの時に、町中を閉鎖しておけばこんなことには……」
「いいよいいよ、何遍も言わせんな。人間に天使さんを捕まえられるわけがねえから」
現実逃避だって言うか?いいや、違う……違うことにしておく。天使さんは本物の天使だった。
「沙澄、とりあえずこの手配書を撤廃しといてくれや。今日中に」
「……まだ、諦めるには早う御座います」
「親父がうるせえんだよ。さっさと正室を迎えろ、世継ぎも作れ、胎は取り敢えず側室でいいからってさ。もう構われたくねえから準備に取り掛かる。排卵日の側室いたろ。別室に呼んどけ」
「……承知致しました」
俺は手配書を眺めながら後ろに倒れ込む。ぼふん、という音と共に柔らかいマットレスに沈みこみ、ギシリとスプリングが鳴る。
これからは天使さんじゃなくて正室を探さなきゃな。代わりになれるような、天使さんに似ている女が……いや、この際天使さんに似ているなら誰だっていい。子供だろうがババアだろうが男だろう人形だろうが、天使さんに似ているなら誰だっていい。
きっと今の時点でこの世で一番天使さんに似ているのは、天然の姿だった頃から似ていた傍のビスクドールだろうが……この娘は正室にしたくはないな。
だって、どうせ誰もが天使さんじゃない。代わりで心の穴を埋めようとして、それを正室に求めて、天使さんとの違いを見つけては勝手に憎しみを覚えて何人もの正室に殺意を抱く気がする。きっとこれから俺は天使さんの面影を追いながら、沢山の人を殺していくのだろう。
でも、この娘だけは天使さんとは思わず、憎むこともせずに大事にずっと取っておきたい。この娘にはずっと暖かいままでいてほしい。
「俺、なんで生きてんだろうな」
生きる希望のような天使さんを諦めて、これからきっと我慢しきれない殺人衝動を抱えて……一生苦しむことは分かりきっている俺が生きる意味ってなんなのだろうか。あーあ。
「……死にてー」
気付けば、そう呟いていた。出た言葉はもう引っ込めることは出来ないが、そんなのどうだってよかった。
ぼうっと虚空を見つめていると、俺の視界に髪が一房、はらりと流れ落ちてきた。両耳の横からギシリという音も鳴る。
「俺が死なせてやろうか?」
沙澄が急に俺に覆い被さってきた。
やめろよ、恥ずかしいな。ビスクドールが見てるじゃんか。
「……沙澄?」
「あんたは間違いなく、その天使様を生きる理由にしていた。だから俺だってあんたの気持ちを尊重して天使様の捜索を続けた。凍霞なんて、あんた以外の俺が嫌いな一族が恐れる『999日』の呪いなんて構わず探し続けるつもりだった。それこそが、あんたが一番生きたいと思える理由だったからだ。だが、あんたが『999日』の前に諦めるというのなら、本当に生きていたくないのだろうな」
沙澄が袖口から黒針を一本取り出す。いつもの黒手袋は外していた。
「俺の毒なら、眠れるように苦しまずに死ねる。あんたの苦しみを俺の手で終わらせることができるなら本望だ。まあ、兄貴共は嫌いだから強いものを使ったがな……ああ、そうだ。あんたさえ死ねば現当主の血を引く後継候補はいなくなる。あんたはまだギリギリ子供は作っていないからな。それでも凍霞の血を引くものはこの家にいくらでもいる。あんたが死んだくらいじゃ凍霞はいなくならない」
だからな凍霞涼花。あんたをゆっくり看取った後は、残った凍霞は俺が全員殺してやろう。
「あんたが苦しめてきた人間は沢山いるが、俺はそいつらに興味を持てない。どうなろうが構わないし知ったことではない。だがね、あんたを苦しめてきた人間達は俺は殺してやりたいほどに憎くて堪らない」
一度、そこで言葉を切った沙澄の瞳の色は、まるで血溜まりのようにどろつき不気味なほどに濃く濁った。
その奥底からひり出るギラついた殺意は……目の前の俺ではない誰かを射抜いている。
「なんならその天使様だって同じだ。いくらあんたが天使様を愛そうと俺はそいつが憎くて仕方がない。あんたから逃げるってことは、その天使様はあんたから生きる希望を奪うってことに等しいからな。人間では天使様を捕えることが不可能だというのなら、俺は人間をやめてやる。そいつの居処が天界だと言うのなら人間をやめた俺はその場所に齧りつき、その天使様を引っ捕まえてやるさ。そして、翼を惨たらしくもぎ、手入れされていないガサガサの麻縄で壊死するほどに足を縛り上げ、ずたぼろになるまで存分に引き摺りまわし、最期には地獄に堕としてやる……そうしたらあんたは愛しい愛しい天使様に会えるだろうからな」
さあ、どうする?お望みとあらば、すぐに死なせてやろう……沙澄はそう言いながら、俺の首元に黒針をつ、と当てた。
嗚呼、懐かしい。初めて会った頃の沙澄もこんな口調だった。きっとずっとこういう不満を抱えて生きてきたのだろう。
「沙澄」
「……」
「お前は、本当に俺のことが大好きだなぁ」
沙澄がグゥっと手に力を込めているのが針越しに分かる……その手が、震えていることも。
俺はにこりと微笑みながら、沙澄の髪をゆっくりと撫でて、その長髪を纏めている髪ゴムにクッと手をかけ、そのままするりと引き抜いた。
「でも駄目ぇ」
沙澄の髪はふぁさりと広がり、俺たちの周りを覆い隠した。まるで天蓋だ……世界で二人きりのような気さえしてくる。
「……駄目、ですか」
「うん駄目」
「何故です」
「だって、俺ね。看取られるなら天使さんに看取ってほしいから」
「……天使サズエルでは駄目ですか」
「駄目です」
「私は悲しい。振られてしまいました」
そんなことを言いながら、沙澄は髪をかきあげながら上体を起こして俺から退いた。安心したような顔しておきながらよく言うよ。
「ですが、どうするのです。若様は確実に地獄行きです。天界の天使様は迎えにきてくれはしないのでは?」
「酷えなあ……」
「事実でしょう」
「そうなんだけどよ」
正直、このまま生きながらえても俺は天国に行けはしないのだろう。どう挽回しても穢れは絶対清算出来ねえし、そもそも挽回する気もない。
「それなら、天使さんが堕天するまでしぶとく生きてやろうかな。たとえ、無窮の時を生きることになっても。そんなら、俺の目にも見えるようになるだろ」
「堕天……するのでしょうか?」
「人間界に遊びに来るようなお転婆な天使ならあり得るだろうよ。きっとその天使さんは死んだら地獄行きだし一緒になるならそれからでも遅くない。それにさ……」
俺も沙澄と同じように上体を起こし、座り込む。そして、目の前の深碧の髪を一房取った。
「お前、今この時に俺を殺して、凍霞家全員殺したら……そのまま死ぬ気だろ」
「……」
「俺ね、沙澄にだけは死んでほしくねえよ。だから駄目」
そのまま、俺は沙澄の髪に五本の指を突っ込み、そのまま下げる。するんっとなんの抵抗もなく引き抜けてしまった。
ああ、さっきこの世に綺麗なものなんて一つもない、とかなんとか思ってたけど撤回するわ。天使さんに出会う前に一個だけあった。ごめんな沙澄。
「相変わらず、お前の髪は……綺麗だな」
「……光栄に、御座います」
「俺がお前の髪好きって言った頃から切ってねえし、手入れを怠ったこともねえもんな。かわゆい奴め……俺さ、確かにお前の言う通り、天使さんが一番の生きる理由だったよ。でもな……」
その次に生きたい理由はお前の髪を結うことなんだよ。
「だからさ、これから側室抱きに行かねえといけないんだけど。側室には悪いけど、吐くほど嫌だけど。終わったらお前の髪結わせてくれよ」
「仰せのままに」
「あと、ビスクドールの世話しといていいぞ。お前もこの娘、気に入ってるもんな」
「……若様ほどではないです」
「どっちの意味だろうなぁ」
「ご想像にお任せ致します」
「へいへい」
じゃあ、行ってきますかね、と俺は身なりを整えながら自室を出た。
__これは凍霞涼花が四十万静姫の手配書を発行してから973日目の出来事であった。