変化の拒否は傲慢である
「っやー!久しぶりのシャバの空気は……そんなに美味しくないな!むしろ不味い!」
「普通逆じゃない?シズさぁ」
「緑に囲まれた山の空気が綺麗ってこと、久しぶりにガスまみれな下町の土踏むまで気付かなかったや」
「久しぶりの故郷の感想がそれでええんか?」
てくてくざっざととある街を練り歩く静姫とチヒロ、そして柴。ただただ散策しているだけに見えるこれは立派な静姫への誕生日プレゼントである、はずだ……ちょっと怪しいような気もするが。
__『私と、デートして?』
特に物を欲しがらない静姫が誕生日の夜にチヒロに強請ったもの……それは『デート』とは建前の一時帰郷であった。
デートって、デートって……!ちょっとあの瞬間のドキドキを返して欲しい、とチヒロは少し不満げだ。
それにしても、まさかチヒロ自身がほんのり望んでいた静姫とのお出かけの話が彼女の方から切り出されたのは少し驚いた。流石に子供達だけでは危険であるため、保護者同伴必須。柴との日程調整のため、静姫の誕生日から二週間後の今日となったのだが。
何らかの複雑な事情はあるのでは、と予想はついてはいるが……今まで出不精これ極まれりだった静姫が急に外に出たい、なんてどんな心境変化があったのだろうか。
チヒロは何となしにそれについて聞いてみたのだが、その彼女の答えといえば……
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『鎖国なんて撤廃して文明開花の音を奏でんだよ』
『ごっつ根に持ってるやん非文明人扱いを』
『ざんぎり頭をぶん殴ってやるんだよ』
『文明にそこそこの恨み持ってへん?』
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……ときたもので。
いつもの師弟漫才により、ふざけているのか真剣なのかいまいちよく分からない。
まあ、外出できる理由が出来て真っ先に行きたい場所が静姫の生まれ育った土地ということならば、少なからず彼女にも思うところはあるのだろう、とチヒロはそう結論付けた。
それにしても……
「なんや、治安悪いなぁ」
「初対面時の私からして分かるでしょうよ」
「ゴミが散乱してる上に、まともな店が全然見当たらへんやん」
「もう少し行った先なら普通の店が幾つか肩身の狭い思いをして並んでますよ」
「ああパンダカパンカ」
「そうパンダカパンカ」
「え、どっち?」
「パン」
二人が初めてきた静姫の故郷。想像しなかった訳ではないが、やはりあまり良い環境ではないらしい。
静姫としては、二年以上も経つとなると……何となく全体的に街並が変わって見えてくるもので、懐かしいけれども知らない街に来たような不思議な感覚である。治安の悪さだけは相も変わらずと、言った感想だが。
今は静姫の薄氷で三人とも気配を極限まで消しているため誰にも絡まれることはないが、これがなかったら『見ない顔の身綺麗な三人組』はカツアゲにでもあってしまいそうだ。
もし、そんなことになれば妖術師界の天井を叩く男の拳を右ストレートで繰り出さなくてはならないのだが、せっかくの帰郷で暴力沙汰は勘弁である。
「この街見てたらシズちゃんの薄氷はえらい便利な妖術やと思うわ」
「ただ少し、上背のある柴さんがいる影響かいつもより疲れますがね。前はお母さんと私だけでしたから」
「……ちびっちゃかったん?」
「柴さんと比べてって話なんで、そこまでじゃないです。ちゃんと大人らしい背丈と身体付きでしたよ」
そうは言いながらも涼しい顔で妖術を行使する静姫のなんと逞しいことか。十三歳でこのレベル……彼女が天才であるということは重々承知ではあるが、才能とは恐ろしいものだと柴は痛感せざるを得ない。
「……あれ?なーんだここ、取り壊されちゃったのか……まあ、心配しなくても輩が多いのはこの辺までなんで」
暫く進んでいくと、静姫の言う通り……段々と街並みが綺麗になっていくのが二人にも分かった。少なくともゴミが散乱することもなければ胡乱げな目をする人間が歩く姿も見られない。
「なんや、変やね」
「そうですか?流石に街中全部が危険地帯みたいな環境だったら、私みたいな子供が暮らしていけるわけがないと思いますけど」
「いや、そうやなくてな」
この小さな街は見放されたかのように交番がない。そもそも、交番程度では先ほどまで通ってきた道の荒れっぷりを抑制することはできないだろう。
しかし、柴の見解では治安が良くなる場所には大抵、抑止力となるものが常駐しているのが定石。
こんな街に、それもこのような中途半端な場所に存在するのだろうか。
「なーんや怖いもんがこの辺にあるんやったら分かるけんども……」
「この辺りは完全にのどかにしか見えないけどね」
不思議そうな二人の言葉を聞いて静姫は合点がいったのか「ああ、そういうこと」と小さく溢す。
「ありますよ抑止力」
「は?うせやん」
「うせちゃうわ」
静姫は突然たったと小さく跳ねるように二、三歩前へと出たかと思えば、くるりと二人の方へ向き直った。
「『お天道様には手を出すな。泉があるから手が出ない。千を迎えてさようなら』ってね」
「……はん?」
「なーに言ってんだこいつって顔してはるわ」
「シズ、さっきから口調移ってるよ」
そして、聞き慣れぬ……何とも言い難い台詞を言い放つ。
「これはこの街に伝わる言葉ですよ」
「なんや?伝承でもあるんか」
「伝承ってほどでもないかな」
静姫が言うにはその言葉は、この街のルール……暗黙の了解のようなものだと。
「よその場所では知らないけど、何があってもこの街にいる『お天道様』にだけは危害を加えちゃならない。もしも、手でも出したその時は……『泉』がお前を沈めに来るぞって」
「それが抑止力ってこと?」
「んな阿呆な」
全体的に治安の悪い街で唯一落ち着いている場所がこの周辺で、その抑止力がそんな短い合言葉のようなものだと。柴の怪訝そうな顔を見たこの街の出身である静姫でも、まあ納得できないのも無理はないわな、と思った。
実際に、その言葉が邪悪なものを遠ざける意味であったとしても……。
「泉なんてあるんか?この街に」
「かろうじて川だけはあります」
「つまり、ないってことだよね」
その合言葉の中で力を有しているのは『泉』だということは理解出来たが、肝心の泉が街の中に存在しないのであれば意味がないのではないだろうか。しかも、そのお天道様が特に何をする訳でもないらしい。
「でも、この辺でお天道様に迷惑をかけてきたもの達は数日も経たずに姿を消すらしいんですよね。妖怪かなんかでもいるんじゃないですか?」
「そもそも、お天道様ってのはどこにあんねん」
「まさにここですね」
「まさかのぉっ!?」
あまり明るくはないだろう、不穏な印象を受ける抑止力。ジトリとした不安を覚えてしまった柴だったが、まさかのこの場所である。
「予告くらいせえ!ちょいびびったやろ!」
「お天道様のお膝元で騒いじゃ駄目ですよ。粗相NG」
「シズも『妖怪』なんて粗相に値するようなこと言ってなかった?」
「やべ」
「おいしっかりせえ」
頭で後ろ手を組みつつペロリと舌を出す静姫。そんな彼女の様子を見れば、そこまで畏まる必要はなさそうである。不安感は拭いきれないが。
そして、その『お天道様』を指し示すものとは……。
「……『日向』?」
「そ。お天道様ってのはつまるところ日向さん家なんだよね」
「めちゃくちゃ普通の民家やん」
「普通の民家なんですよね。めちゃくちゃ」
確かに「ひなた」は太陽が指す場所を表す。だからこそ、この家こそが『お天道様』ということか。あまり釈然とはしないが。
「なんや?このお宅には、その……厳粛かつ高位の方がお住まいでらっしゃると?」
「畏まんなくても無人ですよ」
「無人?」
「昔は住んでたらしいけどね」
その日向さんの住宅には現在誰も住んでいない。恐らくは『抑止力』扱いを受けているこの街での生活は、日向さん一家にとって息が詰まるものだったのだろう。この家自体は残しておいて、別の街に越して行ったのだという話を静姫は聞いている。
つまり、抑止力の力を担っている『泉』にとって、重要なものとは日向さん一家ではなく日向さんの住宅そのものであるようだった。
「私が三つか四つの頃くらいにはまだ人が居たらしいけどね。今はだーれもいない。時々、水道の水を流したり掃除したりする人が来るみたいだけど。街のみんなが言うにはその人が『泉』さん、だとか何とか?言ってたかなぁ」
「お天道様も泉も人名かいな」
「妖怪じゃないじゃん」
「聞いたところによると、その泉さんが人外か?ってくらい綺麗な人らしいんだよね。何となくそう呟いたら、お母さんが「うーん……」って困ったように頬をかいてたから、なんかちょっとそのイメージ拭いきれない」
「お天道様も泉さんも分かったけど。そうなると『千を迎えて』ってあたりが分かんないね」
「千年生きてんじゃない?泉さんが」
「妖怪イメージ引っ張りすぎやろ。急に考察諦めんなや」
「だって、そこまで興味ないし……」
「そん……まあ……確かにずっと前からある合言葉とか、地元民は逆にあんま興味湧かんもんかもな……」
「でしょう?」
静姫はそう溢すとまた懐かしそうに『日向』の表札に近づいてはそれを覗き見た。
何だか、ピカピカである……磨きたてのような光沢を放つそれを見るに件の泉さんは、もしかするとごく最近にもまたここの家を訪れては掃除でもしていたのだろうか。
静姫は本当に泉さん、という人物を知らない。だが、母である紗凪は何度も言葉を交わしたことがあるらしい。幼い静姫を育てていた頃に「お世話になっていた」とも。
……そういえば。
「(お母さんだけは、泉さんのことを『イスミさん』と呼んでいた気がするな)」
言い間違えなのではないか、とは何度も思ったが。よくよく考えてみれば、合言葉に出てくる程度しか知らない町民よりも、実際に直接お世話になった母の口から出てくる名前の方が正しいはずだ。
今頃になってあの言葉にある『泉』は『イスミ』を誰かが言い間違えて伝わっていったのかもしれない、と気付いた。
「……」
以前は存在も知らなかったが故に気付けなかったが、この街にはある程度『凍霞家』の息が掛かっていることが節々から窺えた。しかし、気色の悪い程に美を追い求める凍霞家からも、この家には手を出されていないらしい。
たった一個人でいながら、ある程度の治安を律することのできる力を持っている……人ならざる存在だと思わされる程に、綺麗な綺麗なイスミさん。そんな凍霞にとっては垂涎ものであろう存在を、敢えて避けるかのように。
「泉があるから手が出ない、か……」
もしも。あの言葉に何らかの関係が凍霞にあるとしたら。
凍霞からも手が出ない……いいや、イテガスミから『テガ』を抜いたとしたら。
そこに残った名前は。
「シズ」
「!」
突然、繁々と表札を眺め始めた静姫にチヒロが声をかけた。思ったより深く考え込んでしまっていた彼女はそれにびくりと肩を跳ねさせた。
「お天道様だとかの言葉がないにしても、あんまり人の家を不躾にジロジロ見るものじゃないよ」
「……にゃうん」
「分かればよし」
「躾けられとる」
チヒロの言う通り、静姫は褒められたものではないことをしている。手は出していないものの、もしもこの家の関係者がそれを見ていたのなら、きっとあまり気分のいいものではないはずだ。
静姫はバツが悪そうに肩を竦めながら、その場からソロソロと立ち退いた。
「(……考えすぎか)」
凍霞とイスミさんの名前が少し似ている程度で何か関係があるのではと邪推するのは、いくら何でもこじつけが過ぎるだろう。
自分が考えすぎな性分であることは自覚している。しかし、他ならぬ四十万家である人間の自分が、お世話になっていたらしいイスミさんに疑いの目を向けるのは、流石に恩知らずにも程がある……いくら、あんな話を聞いた後だからと言って。
「何か、気になることでもあったの?」
「ううん、ただちょっと気付いたことがあってね」
「気付いたこと?」
「うん、当たり前の事なんだけどさ」
確かに建物が少しずつ変わったところはあるだろう。久方ぶりに訪れた事もあるのだろう。
それでも、故郷であるはずのこの地が懐かしいはずなのに……隅から隅まで知らないものに見える、そんな違和感。
その原因は街ではない。街に大きな変化があったのではなく、変わったものはもっと別のものだ。
「……これ見てさ。やっと、やっと気付けた」
静姫は改めてスッと姿勢を正して、もう一度表札へと視線を向ける。『日向』の文字……ではなく、その表札の位置。それを見て、彼女はやっとそのことに気付いた。
「私の記憶より、随分と低い位置にある」
変わったのは静姫だった。彼女の背丈は月日と共にすくすくと変わり続けて……視界が、高くなったのだ。
同じものを見ていたとしても、その世界を見る位置が変われば、それらは全て一変するらしい。
知っているものの筈なのに、全部知らないものになったり……見えていなかったこの街の裏から吹き荒らす凍えた風を肌で感じてしまえるようになったり。
「……人はこれを『成長』って言うんだろうね」
「シズ、」
そんなことをポツリと小さく溢す静姫の表情……それが、チヒロにはどこか寂しげなものに見えた。
その彼女の悩ましげな表情も、同様に成長していくチヒロの目へと、いつか変わった意味を示すのだろうか。
これ以上背丈が伸びることもない柴は、これからどんどん距離を詰めてくるであろう、その二つの小さな旋毛を……ただただ見降ろす事しかできなかった。