ゴスロリのレジスタント


 大人三人が伊澄沙華という人間の性癖について頭を悩ませていると、メールの確認を終えたチヒロが自室から出てきた。
 ガラリ、という乾いた音がリビングに響いた時に三人は思わずびくりっと肩を揺らしたものだ……特に柴。
 チヒロが言うには、メールにはしっかり静姫が鍛錬をしている様子も送られてきているのだそうだ。トンチキメールも少なくはないが、彼女が望んで沙華の元で剣術を教わっているのは間違いなかった。
 そうなると、チヒロに静姫を連れ戻す権利はないのだろう。彼女は剣士になりたい夢を持っている、それを邪魔するというのはチヒロとしても望まぬことだ。

「と、いうことを踏まえた上で、二点ほど」
「……ハイ」

 分かっていた。チヒロがずっと無の表情をしていたのだから。
 静姫が沙華の元に望んで身を置いているのは事実……それはそうとしてチヒロには見過ごせぬ事があったのだ。
 
「まず、この数々の写真や録音を撮ってるのは一体誰なんですか」

 そう、送られてきた写真の数々は明らかに伊澄沙華の自撮りだけではなく、第三者視点からの物が圧倒的に多かった。
 録音にも静姫と沙華以外の者の声が入り込んでいる。つまり、その場にいたのは確実にあの二人だけではなかったのだ。
 
「……それは、羅幻やね」
「誰です?」
「神奈備所属の僕の部下であり、沙華さんのお孫さんの伊澄羅幻だね」
「……孫?」

 現在は十七歳の孫と二人暮らしをしている伊澄沙華、御年八十一歳。明らかに見た目と歳が噛み合っていないが事実である。
 いや、なんとなく変だなとは思ったんだよな……「バーちゃん、シズちゃん泣いてるって!えっ?涙の数だけ強くなれる?そっか!」という声が入ってた時にはバーちゃんって珍しいあだ名だなとは思っていたけれどあれは本当に『婆ちゃん』って意味だったのか。ボーちゃんの亜種かと思った。
 チヒロはもう伊澄沙華という人間の素性について深く考えることをやめ、とりあえず自分にとってめちゃくちゃ懸念事項であることの確認を優先させることにした。

「男ですよね」
「……」
「男、がいますよね」
「ハイ、イマス」

 よぉーく耳を澄ませていたチヒロは聞き逃さなかった……その声が明らかに若い男性のものであったことを。
 ふーん、そっか。完全に日帰り装備のシズを流すような形で、男がいる家に泊まらせて、男がいる家に一週間も、男と一緒に過ごさせて……ふーん、そっか、そうですか。

「そうですか」

 柴はそのチヒロの「そうですか」には様々な意味が込められているということを察した。ホンマにごめんなさい、チヒロくん。

「そのラゲンという方の人物像が俺には分からないんですけど……伊澄沙華、さん、のお孫さんという時点で若干の偏見があります」

 チヒロは訝しげな眼差しを薊に向けた。直属の上司である彼ならば伊澄羅幻についてよく分かるのでは、という考えなのだろう。
 初対面どころか会ってすらないのに既に好感度がマイナスにまで達している沙華に『さん』と敬称をつけることすら歯切れの悪いチヒロが不審がるのは仕方ない。
 何故なら、伊澄羅幻は沙華に育てられたも同然だ。育ての親……というか婆だが、そんな彼の人物像ならばさぞかし……。

「凄く良い子だよ」
「めっちゃええ子」

 さぞかし……あっなんか、良い奴、良い奴らしいな、なんか。

「……ならいいんですけど」
 
 チヒロは薊と柴の即答により、一旦納得することにした。
 確かに録音で聴いた彼の声はなんとなく素直で憎めない人柄を感じられる声色だったが……どうやら、その印象通りという認識でいいようだ。
 良い奴だったら、良い奴だったで……少しの不安はあるが。羅幻に対する静姫の心象的な意味で。
 
「俺が最後に見た羅幻って五歳の頃だったけど、今どんな感じだ?」
「五歳児がそのまま十七歳になった感じや」
「なら良い奴!」
「ねぇ、いま一気に信用度が下がったけど」

 待て、なんだ。十七歳の五歳児……あれか?体は大人、頭脳は子供ってことか?どうなんだそれは。

「いや、心配しなくていいよチヒロくん。自分の部下ながら羅幻はかなり優秀なんだ」
「中卒雇用、さらには二年目とは思えんくらいに大活躍らしいな」
「そ、う……?」
「ほらあれや。キミのお父さんも日本一の刀匠やろ。キミのお父さんは立派やろ。洗い物がギリのキミのお父さん」
「……ああ」
「ムフフン」
「得意げになるとこじゃないよ、父さん」

 何故だろう。チヒロは……自分の父があまり家事面で貶されている感じの意見ではあるものの、そこはかとなく納得できてしまった。しかも、それは彼が一番痛感していることでもある。
 静姫は料理面以外はかなり家事が出来る方だったから、この一週間程の日常ではそれをより強く感じていた。

「まあ、じゃあ、このことはいいです」

 伊澄沙華と違い、伊澄羅幻という男は周りから信頼のある青年らしい。チヒロは一先ず、彼へ抱いていた不信感は端の方へと置いておくことにした。完全に信用するかは話してみてからである。

「それでは二点目のことですが……」
「あ、あのチヒロくん、そろそろ柴さんのソレ返してもろてええ?」
「に、て、ん、め、のことですが?」
「ハイ……」

 チヒロにとって、羅幻についてはそれほど重要ではなく……大きな問題はもう一つのことだ。
 柴に対して有無を言わさず、チヒロは少しだけカコカコと柴の携帯を操作し、ディスプレイを大人三人に見せた。

「ンッ」
 
 それはどうやら画像フォルダ一覧のようだ。
 そして、フォルダ分けされたうちの中に『シズちゃん』という題名のフォルダが一つ……柴の顔が一気に青ざめる。

「ちょちょちょっ!チヒロくん!」
「この中に保存されているモノについてなんですが……」
「か、返して!返してください!」
「今から開きますねこれ」
「チヒロくーーーん!!」

 柴の声は、チヒロに届くことはなかった。
 ちなみに手も届かなかった。それはチヒロの背後から溢れ出るドス黒い空気から、退っ引きならぬものを感じ取った薊が柴を抑えつけていたからである。すっごいミシミシいってる、ミシミシって。

「あだだだだァッ!おまっ……薊ィイーッ!!」
「あっチヒロくん。どうぞ柴のことは気にせず。それには何があるのかな」
「助かります」

 本当にこの場に柴の人権はない。
 そして無情にも、パッと表示された一覧には二枚の写真……そのうちの一枚は何故かウィッシュのポーズを取っている静姫の写真だった。なんだろうかこれ。
 そして、もう一枚の写真には、してやったりというような表情の沙華の自撮り……その横には添えられているかのような静姫の後ろ姿。

「うわっ!?」
「おまっ柴……!?」
「ちゃうねん!ちゃうねん!」
「……何がちゃうんですか?」

 国重が慄き、薊が退き、柴が頭を抱えては、チヒロの口調に関西弁が伝染してしまったその一枚の写真。
 そこに写っていた静姫の白い背中には……無数のミミズ腫れが浮かび上がっていた。
 憐れ。静姫は既に着せ替え人形どころか伊澄沙華の性癖のキャンバスと成り果てていたらしい。
 というか、サラシを巻いた後ろ姿とはいえ十三歳女子半裸の写真を所有している……柴は、一体……。

「何を保存してるんだお前!」
「やってェ!訴訟の証拠に使えるかもしらんかったからァ!」
「ならちゃんとロックかけておけ!」
「見られるとは思わんやん!」
「お前自身のリスクを考えろって言ってるんだよ!下手したら人生終わるぞ!」
「わ、わー痛そーだなシズ……」

 ギャイギャイ話している大人達を暫く静観していたチヒロ。その目の冷たさといったら……まさに絶対零度である。

「柴さん」
「……ハイ」

 チヒロに静姫を連れ戻す権利はない……彼女は剣士になりたい夢を持っており、それを邪魔するというのはチヒロとしても望まぬことのはず。
 ということを踏まえた上で、敢えてこう主張させて頂こう……『だからなんだ』と。

「シズを連れ戻します」
「仰せのままにィ……」

 知らねぇよ。関係あるか、バカやろう。

 *

「私ヤダッて言ったじゃん!言ったじゃんヤダッて私ィ!着替えさせてってさァ!」
「でも似合ってるよシズちゃん!」
「なんっも嬉しくねんだよ羅幻!」
「喧しいわねー。ここは伊澄家よ私の城よ?私がルールなの。よって強制着用よ」
「ッカーーーー!これだから独裁主義はダメなんだ!」
「……どうも」

 遡ること十分前。
 チヒロは柴にメールの打ち方を教わりながら、怒りの『返せ。』というメッセージを伊澄沙華へ送信した。件名はなしで句読点が付いているところがポイントである。
 そして、その返信は秒できた。明らかに常に携帯をチェックしていたであろう程の即レス……内容はこうであった。
 
『件名:ピキりの六平の倅へ♡
 本文:オメーが迎えに来い♡』

 表情こそ無のままのチヒロだったが、柴は確かに見た。彼のこめかみにビキッと青筋が立ったのを……柴の携帯から送られてきたというのに、チヒロからのメッセージだったということが筒抜けであることはひとまず置いておくとして。

「行きますよ。薊さん、柴さん」
「ラジャーッ!」「イエッサーッ!」

 こうして、六平千鉱with薊&柴の『突発!ドキドキ伊澄家お宅訪問』が決定したのであった。ちなみに、国重はお留守番である。
 柴の妖術でひとっ飛びしたその場所は、何処かの竹林。ある一箇所だけは開けており、そこには家宅と渡り廊下で繋がっている道場が建っていた。
 まるで山奥にある六平家のようなその場所に立てかけてあった表札に、やけに達筆の『伊澄』の文字。
 柴が「ごめんくださぁい!」と大きな声を出せば奥からは赤と黄緑の派手な髪で眉と耳にピアスをしている、甚平姿の若い男がガラリと戸を開けた。
 おそらく、この男が伊澄羅幻と呼ばれる男なのであろう。彼は「ザミさんちわっす!プラベで会うの初めてですね!」と、元気よく挨拶をする……そういえば、羅幻は薊の部下だと言われていたのをチヒロは思い出す。
 そして、三人を道場で出迎えたのが、写真と全く変わらない伊澄沙華……そして。

「チヒロくんが来るならこんな端ない格好しなかったのにぃいッ!」
「端ないって何よ。羅幻が作ったゴスロリの何が気に食わないの?」
「俺一生懸命作ったよ!」
「ツインテとスカート!」
「羞恥耐性レベルひっく」

 驚くほどにふんだんにレースとフリルが拵えれており、何だかコウモリを思い出させるような……青と黒を基調としたドレスのような何かを着ていた静姫。その長い髪は黒いレースのリボンで少々高い位置で結われていた。
 チヒロの知識にはなかったが、それは一般的に『ゴシックロリータ』と呼ばれるファッションである。
 いつものラフもラフな格好とは変わり果てた静姫は全てに絶望しきった様子で手と膝を道場の床についていた。やけに重量のあるスカートがふわりとその場に広がる。

「おま、伊澄ィ……」
「はい!柴さんっ!」
「羅幻やない」
「羅幻、婆ちゃんは柴とお話しするからお口にチャックね」
「わかったっ!」

 羅幻はペッカペカの笑顔で返事をした後、むにんっ!とパントマイムでチャックを閉めるように自身の口を閉じる。五歳ダァ……。

「伊澄!お前、うちんとこの弟子に何してん!」
「あは!だってシズがダッサかったからさー!」
「ゴフゥッ!」

 手をブンブンと振りながら大笑いする沙華の心ない一言が静姫の背中をぶっ刺した。背中ばっかり狙いやがってこの婆さん。

「いいんですよ!六平家は男所帯なんですから、女の子らしいオサレ服なんて普段から着なくたって!ジャージくらいの方が落ち着くんです!」
「それにしたってよそ行きの服が甚平かTシャツしかないなんて十三歳の女子にはあんまりよ」
「しょうがないじゃないですか!だって私の服を調達してくれるのっておじさんばっかりですよ!?」
「ゲフゥッ!」「ゴボォッ!」

 十代前半女子のオブラートなんて概念が一切ない、ストレートな『おじさん』は三十路の胸を容赦なくぶっ刺した。この一週間で沙華の技を見事会得したらしい。危険すぎるからその技は即刻封印してほしい。

「薊さんも柴さんも十代前半の女子の流行服なんて分からないでしょうし、国重さんは国重さんだし!」
「だから私と羅幻が用意してあげたんじゃない。着てすぐは満更でもなかったくせに」
「だってチヒロくんが来るとは思わないじゃないですかァ!」

 そうして静姫は黒いレースグローブで包まれた両手で顔を覆いながらワッと泣いて、またもや塞ぎ込んでしまった。
 静姫はどうやら人生で初めて着用した『THE・女の子!』な服にはちょっと乙女心をくすぐられてはいたようだ。
 その直前にはウン十万するヴィンテージドレスを押し付けられていたのも効いたらしい。そんな高価なものは恐ろしくて着ることなど出来ないが、ゴスロリはどうやら裁縫が得意な羅幻の手で制作されたものなのだとか。『未知数の高額ドレス』攻撃と『着てくれないと作った意味がないよー』攻撃の見事なコンボにより、認識バグを生じさせて静姫は初めて袖を通すレディースものの服を無難なものではなくロリィタにしてしまったらしい。おそらく計画通り。
 しかし、それでも見知った顔に……しかも、衣食住を共にし、甚平かTシャツかジャージ、道着しか見せていないチヒロに見られたことにはまだ羞恥が勝ってしまったらしい。
 ヤダッて!ヤダッて言ったのに!女の子らしい格好することに不慣れな静姫には少しばかり酷なことだった。

「何よう、そんなに嫌がらなくたっていいじゃない。さっきは『プリ、ンセスになったみたい……』ってちょっと微笑んでくれたのに」
「追い討ちィッ!」

 しかし、伊澄沙華は『隙あらば滅多打ち、隙がなくても滅多打ち』を信条に生きているサディストお婆ちゃんである。そんな絶好の隙を見せた静姫に心を一切の手心もなく追撃してみせた。しかも『プリキュア』と言いかけて全力軌道修正したところまで再現しているのでサディスティック芸術点が高い。
 流石、容赦がない。しかも、なんか「アッハァ……!」って息が漏れていた。表情も愉悦に浸っているような怪しい笑顔だし、ぶっ叩くのは物理的にでも精神的にでも大好きなようだ。
 静姫はあんまりな仕打ちにガバリと起き上がる。どうやら悲しみを怒りに変換したらしい……静姫は薊&柴の元へ駆け寄って、沙華の方へとビシリと指差した。

「もうこんな独裁者野放しにできません!」
「まあ、随分可愛らしいレジスタントねぇ」
「そうです、今こそ革命の時!さぁ!行きますよ!ザーミンさん、トゴリアさん!」
「えっ?」
「はっ?」
「あら!正当防衛解禁チャンスかしら!?」
「いやいや!招待してもらってる身の上でそんなそんな!なあ、トゴリア」
「そやそや!んな無礼なことする気は一ミリも!なあ、ザーミン」
「裏切り者ォオ!」

 いきなりどこぞの戦闘力53万の宇宙人のようなことを言い出したロリータ様であったが、普通に部下でもなんでもないのであっさりザーミンとトゴリアに見捨てられてしまった。
 そもそも、嬉々として逆刃刀を持ち出した沙華に向かっていけるような勇気は二人はない。しかも、至極残念そうな表情で「なぁんだ、ちぇっ……」と呟いているところを見るに、マジでヤッちまう気だったようだ。危なかった、今晩のオカズにされてしまうところだった。
 一方その頃……伊澄家に行くと言い出したチヒロはというと。
 
「あははは!チヒロくんおっきくなったねえ!」
「あの、降ろしてくれませんか」

 沙華と静姫のやり取りに口を挟む前に、羅幻に捕獲されてしまっていた。チヒロの体を持ち上げてはぐるぐるとその場で回転している羅幻はとても楽しそうである。五歳ダァ……。

「昔はちっさいお豆さんだったのに!今ではこんなにすくすく!いつの間に!?」
「俺がちっさいお豆さんだった時期はないです。初めまして、羅幻さん」
「え、なんか冷たくない?前はあんなに一緒に遊んでくれたのに」
「俺にその記憶はないです。初めまして、降ろしてください」
「初めましてじゃないって、俺チヒロくんが0歳の頃に会ってるもん!あの時は指も握ってくれたんだよ!」
「俺に0歳の頃の記憶はないです。降ろしてください」

 確かに、チヒロがまだ赤ん坊だった頃に沙華は六平家に乳児の育て方を教えに行ったことはある。羅幻は五歳というお留守番を任せるには危ない年頃だったため、彼も一度だけ六平家に来たことがあるのだ。
 何気に伊澄家は六平家の現状を知る希少な存在でもあるのだが、それでもチヒロにとっては見知らぬ人達に変わりはない。初めまして、羅幻さん。
 
「おまっ……羅幻!なにをお前ッ私よりチヒロくんと仲良し感出そうとしてんの!?」
「チヒロくんはふわふわのおててで俺の指を!きゅってさ!」
「マウントやめろ羨ましい!あと降ろせ!ベタベタするな!」

 無の表情で羅幻にされるがままになってしまっているチヒロを見て憤慨したようだ。静姫は羅幻にしがみついてなんとかしようとするが、なんだこいつビクともしねえ。ちなみに忘れがちだが、羅幻はゴリ押しパワー薊直属の部下、神奈備期待のルーキーだったりする。
 子供陣営の方がまさにカオス……もとい、賑やかになっているのを微笑ましそうに見ていた沙華だったが、暫くしてその手をパァン!と鳴らした。

「さっ!騒ぐのはこのくらいにして、本題に入りましょうか!」
「はーい婆ちゃん!」
 
 その時、羅幻以外のその場にいた全員の思考は見事に同じだった……『全ての元凶はお前だよ』と。