3. 秘密の任務
 楽しいハロウィーンウィークも明日までと迫った今日、学園を荒らしゴミをまき散らす不遜な輩ことマジカメモンスターのせいで予想外の激務を課されたヒトハは、誰がどう見ても疲弊しきっていた。掃除をいくらしてもゴミは湧いてくるし、スカラビア寮の使用している購買部など、黒くて素早くて大きなアレがやってくるほどには酷い有様だ。普段冷静なジャミルがアレを燃やし尽くそうとしたところを宥め、命の尊さを説きながらこっそり駆除する仕事までやる羽目になったのは全く納得のいかないところである。魔法薬学室を炎上させる事件さえ経験していなければ、自分だってきっと一緒になって燃やそうと思っただろう。

「ナガツキ、ちょっといいか」

 そんな荒れに荒れた状態のヒトハを、クルーウェルはそうとも知らずに呼び止めた。
 先日の悪戯の件でしばらく不機嫌を抱えたままだった彼は、ヒトハと同じく忙殺されて少し前からすっかり元通りとなっていた。マジカメモンスターのやりたい放題に比べれば、ヒトハの悪戯など可愛いものだと気が付いたからだ。
 そんな彼をヒトハもいつも通りであれば歓迎するところだが、今日は余裕がない。冷めた気持ちのまま振り返ると、クルーウェルは気まずそうに口を噤んだ。

「なんでしょうか?」
「いや、忙しいならいいんだ。頑張れよ」

 そそくさと去ろうとするクルーウェルの様子がおかしいことに気がついて、ヒトハは慌てて眉間の力を抜いた。

「えっ、ちょ、ちょっと待ってください! なんでしょうか!?」

 ふわふわのコートを引っ掴み、必死でクルーウェルを引き留める。心が荒れているのは確かだが、威嚇をしたつもりはない。それになにより、半端に声を掛けられては内容が気になるというものだ。

「いいと言っているだろう! コートを引っ張るな!」
「だって気になるじゃないですかー!」

 クルーウェルはコートが悪くなるのを恐れたのか、はたまたこれ以上逃げようとしても無駄と悟ったのか、結局「分かったから離せ!」と観念した。ヒトハが手放した所の毛並みを整えながら、小さくため息をつく。

「マジカメモンスターが学園中を荒らしているのは知っているな?」
「ええ勿論。もしかして、やっと叩き出せるんですか!?」

 ヒトハは期待で前のめりになった。先日のマジカメモンスターから逃げて以来、連日仕事を大いに邪魔されている。ずっとどうにかならないかと思っていたのだ。このまま彼らを野放しにしていては百害あって一利なしというものである。
 途端に目を輝かせるヒトハを見て、クルーウェルは苦々しい顔をした。

「分かりやすく喜ぶな。なんでお前はいつも急に過激になるんだ……」

 そしていつもの指揮棒を肩に叩きつけながら、クルーウェルは“とても曖昧に”説明を始めた。

「いいか、俺は今日一日、他の教職員全員と共に来客の対応をしなければならない。つまり、誰も仔犬どもの世話ができんということだ」
「え? いつもそんなに世話してないじゃないですか。いえ、なんでもないです」

 躾はしているが世話らしい世話をしているところはあまり見ない。ヒトハはそう思って疑問を口にしてみたが、鋭い目を向けられて、それを息つく間もなく取り消した。もしかしたら自分の見ていないところでよく世話をしているのかもしれない。

「……そこで、だ」

 クルーウェルはビシッと指揮棒の先をヒトハの鼻先に突き付けた。

「比較的自由に動けるお前にバッドボーイどもの世話を任せようかと思ってな」

 そこでやっと、ヒトハはクルーウェルの言わんとすることを理解した。
 彼は生徒たちを「仔犬」呼ばわりこそすれ、何もしていない生徒を「バッドボーイ」と呼ぶことはない。つまり今このとき、もしくはこれからバッドボーイになる生徒がいるということだ。そしてそれは恐らく、大人たちが関知しないところで起きなければならない。

「なるほど。先生もとんだバッドボーイですね」
「さぁ? 何のことか分からないな」

 ふたりは顔を見合わせて悪い笑みを浮かべた。
 立場は違えど思うことは同じだ。かたや大事な魔法薬学室を荒らされた教師、かたや学園を汚されて激務続きの清掃員である。いくら彼らをもてなす側の人間とはいえ、マジカメモンスターたちに思うことがないわけではない。

「お前なら上手いこと立ち回るだろう。仔犬どもが困っていたら助けてやれ。ただし、一人で突っ込んで行くような真似はするな。身の危険があれば仔犬どもを頼れよ。いいな」

 側から聞けばもっともなことを言いながら、クルーウェルはヒトハの肩に手を置いた。

「任せたぞ」
「はーい!」

 そうしてヒトハはバッドボーイどものお目付け役として、秘密の任務を受けたのだった。


   ***


 日が暮れてカボチャのランタンに明かりが灯る頃、ヒトハは各寮の担当するエリアを一つひとつ巡っていた。教職員でもなければイベントを運営する立場でもないヒトハは、思う存分に学園内を歩き回ることができる。クルーウェルたちとは仕事の範囲が全く異なるので、何か起きたとしても報告する義務もない。あくまで学園中を掃除して回っている清掃員として、バッドボーイたちが上手く事を成せているか見守るだけだ。
 ヒトハはすでに六つの寮を巡り、その全てが順調であることを確認していた。生徒たちのマジカメモンスターへの対処は驚くほどによく出来ており、どれもこれもハロウィーンの夜に相応しい。あまりにも盛り上がってしまって生徒たちの撮影に興じてしまったが、これは後でクルーウェルに見せびらかすため――もとい、仕事の証拠として提出するためである。決して遊んでいるわけではない。
 ヒトハは生徒たちのこの愉快な悪戯のおかげで、やっと溜飲が下がる思いがしたのだった。

「最後はディアソムニア寮かな」

 ヒトハは最後にセベクのいるディアソムニア寮へ向かった。ディアソムニア寮は今年、寮長であるマレウスの意向でオンボロ寮を担当エリアにしている。テーマは極東の龍というだけあって、ヒトハにとっては最も馴染みのある飾り付けだ。

「セベク君、こんばんは」
「ああ、ヒトハか」
「あれ? 何か困りごとですか?」

 セベクはヒトハを見つけるなり、少し困った様子を見せた。彼はシルバーと二人でオンボロ寮の入り口を塞いでいる。聞けばすでにマジカメモンスターの迷惑行為に遭い、今は丁度彼らを追い返す作戦中なのだと言う。

「実は脅かすために使う道具を一つ持ち込み忘れたようなんだ」

 シルバ―の手にはハンディタイプのモップが握られている。輝くような美形のシルバーがそれを持っているのはなかなかに面白い光景だが、その困った姿を見ていると笑うに笑えない。真面目なふたりは中で起きている作戦に支障がないか気になっているようだった。

「ええと、つまり、それを中の寮生に渡したいんですよね?」
「ああ、そうだ」
「なら、私が行ってきますよ」

 ヒトハは片手を差し出した。
 元よりクルーウェルから困っている生徒を助けるように言い付けられているのだ。それは恐らく窮地に立った時という意味なのだろうが、今まで手助けをする機会もなくここまできたのだから、一つくらいは役に立ってみせたかった。

「いいのか?」
「ええ。そうと決めたら急がないと」

 ヒトハはシルバーからモップを受け取って入口の扉を少し開けてもらい、隙間に身体を滑らせた。
 その途中でセベクから「中は暗いから気を付けろよ」と忠告されたのを、このときのヒトハは少し薄暗い程度のものだと思っていた。まさか扉が全て閉まったとき、窓の隙間から射し込む薄い光だけが頼りになるとは思いもしなかったのだ。

「う、うわ……」

 早々に部屋の薄暗さに気が付くと、ヒトハはすぐに近くの壁に手を突いた。視界が悪く、物があるのは分かるが細かいところまでは暗くてよく見えない。しかもオンボロ寮という名前の通り、歩けば床が不気味に軋むオンボロさだ。マジカメモンスターのためにセッティングされた場だと分かっていながらも恐怖を感じてしまう。
 思わず足が竦んだが、自分で行くと言ったのだから今更引き返すわけにもいかない。仕方なく恐る恐る歩みを進め始めたそのとき、突然ドーン!と寮内に重い雷のような音が響いた。

「ひゃあ!」

 体が震えるほどの轟音だ。ヒトハは驚いて跳び上がり、壁に縋ろうとして何かを掴んだ。

「うわ!?」

 ずるり、とそれは呆気なく下に滑り、そして頭上から覆いかぶさる。

「なっ、ぬ、布!?」

 それは大きな布だった。ヒトハの体一つをすっぽりと覆っても余りあるくらいの大きさで、重く、そしてカビ臭い。
 慌てて払おうにも暗すぎて布の終わりが見えないし、重さのせいで持ち上げるのにも一苦労だ。そうこうしている間に再び轟音が響き、今度は耳を劈くような叫び声が寮内に響いた。続けてバタバタと階段を駆け下りる音と、「首になんか触った!!」という悲鳴が耳に入る。
 しかしヒトハにはそれを気に留める余裕はなかった。リリアと寮生たちによって脅かされたマジカメモンスターと同じくらい、ヒトハもまた、混乱していた。

「た、たすけて……! だれか……たすけて……!」
「ぎゃああ――――!!!!!」

 布を何とか押し上げようと苦戦している最中に、ほんの数メートル先でこの世の終わりかのような叫びが響く。ヒトハはわけも分からないまま「え!? なに!?」と布を被ったまま驚いた。

「なに!? なんなの!? だれか! だれかーっ!」

 埃っぽいし、カビ臭いし、もう最悪である。ヒトハは目に涙を滲ませながら叫んだ。こうして暗くて狭いところに閉じ込められていたら、ただ布に覆われているだけという状況は理解していても、心細くなってしまうのだ。
 恐怖心を振り払うようにじたばたと布と格闘していると、もう一生出れないかと思うほど苦戦していた布は、何者かによって突如取り払われた。

「……お前は一体何をしているんだ?」
「セベク君!」
「奴らはもうとっくに窓から外に出て行ったぞ」

 先ほどまでヒトハが被っていた布を小脇に抱え、セベクは呆れ顔で言った。彼はマジカルペンの先に小さな明かりを灯し、あれだけ暗かったオンボロ寮の内部を照らしている。よく見えるようになった周囲にはもはや誰もおらず、セベクの言う通り作戦は終わってしまったらしい。

「結局渡せなかったのか」
「ええっと、その。はい……」

 ヒトハはモップ片手に肩を落とした。いったい何のためにオンボロ寮の中に入ったのか。重い布に覆われて焦っていただけである。
 ふたりでため息を落としながらモップを見下ろしていると、窓の隙間から目が覚めるような強い緑の光が射した。

「はっ! これは若様の炎!?」

 セベクは弾かれたように顔を上げ、素早く窓の外を見た。その反応速度といえば光のごとく恐ろしい速さで、彼は引き留める間もなくあっという間にヒトハを置いてオンボロ寮の外へ駆け出して行く。
 遠ざかっていくセベクの光を目で追い、薄暗い中に取り残されたヒトハは、そこでようやく杖で光を灯せばいいことを思い出した。ポッと杖先に灯る心もとない光と悲しく軋む床にどこか惨めな気持ちなりながら、ヒトハはようやくオンボロ寮の屋敷を出ることができたのだった。


 外へ出ると、ディアソムニア寮の生徒たちがマジカメモンスターを追い出したことに沸き立っていた。中心にいるマレウスが珍しく嬉しそうにしているので、どうやら作戦は成功したらしい。
 ヒトハは誰にも悟られないように、こっそりとその場を立ち去ろうとした。こうして成功したのだから誰も気にしてはいないだろうが、与えられた任務を遂行できなかったのは、やはり恥ずかしい。
 そんなヒトハを目ざとく見つけて引き留めたのは、マレウスの隣にいたリリアだった。

「ヒトハ! おぬしもよくマジカメモンスターを脅かしておったな! 暗闇に蠢く布の塊を見た顔と言ったら……くふふ! それはもう愉快じゃったよ!」
「え、ええ? そうなんですか?」

 ハロウィーンの衣装に身を包んだリリアが目尻に涙を浮かべ、腹を抱えて笑う。彼は自分で散々他人を脅かして楽しんだうえに、誰かが脅かしている様子もばっちり見て面白がっていたのだ。
 ヒトハはあの不幸な出来事が図らずしてマジカメモンスターを脅かすことになっていたのだと、そこで初めて気がついた。よく考えたら布越しに絶叫が聞こえていたから、あのときマジカメモンスターはすぐ近くにいたのかもしれない。本当はただ布から抜け出したくて、もがいていただけだったのだが。

「なんだ、そうだったのか!」

 セベクはリリアの証言を聴いて、友人の活躍に大袈裟なまでに喜んだ。

「若様も大変お喜びのようだし、今回の作戦は大成功だな! これは礼だ!」
「はぁ、ありがとうございます」

 セベクはヒトハの手のひらに可愛らしい包み紙の飴を一つ落とした。ポップな絵柄の、ハロウィーン用のお菓子だ。あの恐怖の対価としては割りに合わない気がしたが、ヒトハはそれを大事にポケットに仕舞った。納得のいかないことは多いが、これもハロウィーンの思い出だ。

「お主も記念撮影をせんか?」
「え? 私も?」

 いつの間にかディアソムニア寮の四人はハロウィーンの衣装を纏ったマレウスを囲んで記念撮影を始めていた。セベクがマレウスとの撮影に感激して「祭壇を作って飾ります!!」と涙ぐみながら喜んでいる。子々孫々に至るまで大事に引き継ぐと言うが、彼の子々孫々がこれほどまでの若様信者になるかは定かではない。
 ヒトハはリリアに背を押されながら喜びに震えるセベクの隣に立った。

「セベク君、私と一枚良いですか?」
「勿論だ! 今日という日を記念に残しておかなければ!」
「ううん、写真の記念に写真を撮るって……」

 そうだ、とセベクは思い出したかのようにヒトハが被っていた布を手に取った。明るい場所で見るとよく分かったが、その布は古びた大きなカーテンだった。

「折角だからこれを被っておけ! 今日のお前の衣装だからな!」
「えっ!? やだ! カビ臭い!」

 問答無用で頭に被せられた布からは、やはりカビの臭いがした。
 やっとの思いで顔を出すと、リリアがカメラに視線を寄越すように大きく手を振る。

「にっこり笑って! はい、チーズじゃ!」

 ポーズを決める暇もなく、ヒトハは慌ててレンズに視線を向けた。今日巡った他の寮生たちがカメラの前でして見せたように、両手を胸の前に持ってくる。

「ハッピーハロウィーン!」

 結局、その写真はみっともなくブレていたけれど。


 こうしてクルーウェルの言い付け通り、全ての寮を巡り、バッドボーイたちの悪戯を見届け、ヒトハのハロウィーン前夜が終わった。
 部屋に戻り、今日までに撮った写真を一枚ずつ眺めていると、思っていたよりたくさんの写真を撮っていたことに気がつく。大変な一週間だったけれど、その分多くの思い出ができたのだ。
 生徒たちはマジカメモンスターたちさえいなくなっていれば明日のパーティーが中止にならなくて済むのだと言っていたが、ヒトハには確信があった。
 明日はきっと、人生で一番ハッピーなハロウィーンになるに違いない。
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2022.02.27