4. パーティーの失敗
 ――嫌なものを見てしまった。
 クルーウェルはその惨状に目を覆った。


 それはハロウィーンウィークの最終日、このイベントの最後の夜に催されるパーティーで起きた。
 今年は例年と違いトラブルが多く、開催すら危ぶまれていたパーティーである。生徒たちの奮闘の甲斐あって今日になってやっと開催が決まり、全員で喜んでいたというのに。クルーウェルだけは鉛を飲んだかのような重く、憂鬱な気持ちになっていた。
 この盛大なパーティーには、ささやかながらもアルコールの類が振る舞われることを不覚にも、うっかり忘れていたのだ。

「誰だ、こいつに酒を与えた愚かな駄犬は」

 まるで貴重な薬品をぶちまけた駄犬を見咎めたときのような、そんな低く恐ろしい声に生徒たちは震え上がった。その場にいたほとんどの生徒たちが首を素早く横に振る。なぜなら彼女は、気がついたらこうなっていた。
 問題の彼女ことヒトハ・ナガツキという清掃員は、会場の隅のテーブルでレオナに縋って「やだぁ」と何かを嫌がっていた。あまりに奇妙で面白い行動だったので、野次馬が集まり、これはマズいとなってクルーウェルが呼ばれたのだという。人選は間違えてはいないが、選ばれた意味を考えるとまた気が重い。

「レオナ君! 卒業しないでください! 私を置いていかないで!」
「お前が早く卒業しろって言ったんだろうが。めんどくせぇな」
「そんなぁ」

 ヒトハはめんどくさそうにしているレオナに縋ってぐずぐずと泣いていた。耳まで真っ赤に染まっているあたり、相当な量を飲んでいる。
 現在の最大の被害者であるレオナは掴まれた腕を振り解くこともできただろうに、それをせずに律儀に隣に座っていた。尻尾が力なく垂れ下がっているので、うんざりしていることに違いはないのだろうが。
 この質の悪い酔っ払いが無事かつ無害にこのテーブルに留められているのは、レオナの我慢によるものだろう。彼の国は女性を非常に尊重しているというが、まさか酔っ払いにまで適用されるとは思わなかった。クルーウェルは内心「頼むからそのまま面倒を見てくれ」と人生で初めてレオナに懇願した。
 ヒトハはクルーウェルの存在に気がつくと、パッと顔を明るくして席から立ち上がった。

「あっ、せんせぇ! こんばんは! レオナ君ってば酷いんです! 私を置いて卒業しちゃうんですよ!?」
「キングスカラーは卒業させてやれ……」

 レオナはげんなりとした顔のまま、クルーウェルが来たことを確認すると、そっと席を離れた。
 なんでよりによってレオナに卒業するなと縋るのか。素面であれば、彼の卒業を心配して授業に引っ張り出そうと躍起になっているというのに。
 他人の話を聞いているのかいないのか、ヒトハはまた勝手に一人で涙ぐんだ。

「みんないつかいなくなっちゃうんだ……うっ、ううっ……いやだ……みんなでまたハロウィーンする……」

 クルーウェルは深く息を吐きながら額を抑えた。物分かり悪い駄犬どもを躾けている方が幾分かマシというものである。
 この面倒な酔っ払いは酒をある程度飲むと段々と饒舌になり、情緒がめちゃくちゃになった末に寝る。感情や欲求が表に出て素直になると言えば聞こえはいいが、元々の素直な性格が加速するだけなので、ただひたすらにめんどくさい。しかも、その間の行いを次に起きた時には綺麗さっぱり忘れているのだ。苦労して介抱しても一マドルの得にもならない。
 ヒトハはよたよたと歩み寄ってきたかと思うと、おもむろにクルーウェルのコートを掴んだ。

「先生は私を置いていなくならないですよね!? ね!?」
「ならないならない」
「そんな適当な……私の目を見て言ってください!!」
「お前が明後日を向いてるんだろうが! 一体どれだけ飲んだ!?」

 ヒトハは険しい顔をして宙を睨み、考え込んだ時間の割に呆気なく首を傾げた。

「…………いっぱい?」
「忘れるくらい飲んだわけか」

 呆れかえっていると、ヒトハの向こう側で様子を見ていたエースとデュース、オンボロ寮の監督生が、彼女から取り上げたらしいシャンパンボトルとグラスをひっくり返して見せた。褒めてやりたいところだが、飲み終わっていては意味がない。

「悪夢だ……」

 そう、これは悪夢である。誰が好き好んでこの盛大なパーティーで酔っ払いの介抱なんてするだろうか。そうは思いながらも、結局は放っておけない自分が憎い。
 クルーウェルはこれ以上衆目を集める前に会場から連れ出そうと、コートの襟にかかった手を掴もうとして、失敗した。

「うっ」

 ヒトハはあろうことか正面から突っ込んできて腕を背に回すと「先生、好きです……」と世迷い言を口にした。酒さえ入っていなければ多少なりとも可愛げがあっただろうに、こうも正気を失っているとなれば憎らしさが勝る。
 遠巻きに見ている生徒たちがなにやら沸き立っているが、これはそういうものではない。

「この、ふわふわ! 好きです! 欲しい!!」
「欲しがるな、撫で回すな、手垢がつくだろうが。今すぐ離せ。今、すぐだ」

 ヒトハは手袋で感触など分からないはずなのに、背に回した手をさわさわと動かしながらコートの毛を撫でまわしていた。

「本当にお前の酒癖の悪さはバッドガールどころでは済まないな」
「そんな、私は先生の忠犬なのに……」
「忠犬だと主張するなら言うことを聞け、この駄犬が」

 ヒトハはこの毛皮のコートをやたら気に入っていて、酔うとやたら触りたがる。曰く、子供の頃に隣の家で飼っていた犬に似てるとのことだが、そんな大層な毛並みの犬がいるなら一度お目にかかってみたいものだ。
 クルーウェルがやって来てから暴走が加速していくヒトハを、エースは指を差して笑った。

「ヒトハさん、おもしれー」
「何も面白くないが? 貴様にくれてやろうか、トラッポラ」

 エースは「いりませーん」と元気よく応えた。

「俺たちも何とか部屋に連れて行こうとしたんですけど、触ると『触らないでください!』って怒るんすよ」

 エースはヒトハの声真似をしながら自分たちの苦労を説明してみせた。その声真似が似てなさそうで絶妙に似ているので、隣のオンボロ寮の監督生が小刻みに肩を震わせる。
 どうやら泥酔中も身を守ろうとはしているようだが、見境がなく余計にややこしいことになっているらしい。

「酒を飲むと人ってこんなにめんどくさくなるんですね。勉強になります!」
「いや、普通はここまではならん」

 デュースはデュースで何かを学び取ろうとしたようだが、彼女から得られるものは何一つない。ただの害悪を目の当たりにしているだけである。
 クルーウェルは今度こそヒトハを首根っこから掴み、引き剥がした。意外にも一切の抵抗もなく離れ、眠たそうに目を瞬いている。

「俺はこの酔っ払いを部屋に捨て……連れて行く。仔犬ども、絶対に羽目を外すなよ。お利口に出来なかったら、分かっているだろうな?」
「はぁーい」

 生徒たちの返事は心許なかったが、今にも寝そうな彼女を部屋に連れていくことが最優先である。
 クルーウェルはヒトハの手首を掴んで引っ張った。眠気のせいで足元はおぼつかず、ゆっくりとしか進まない。それでもついて行こうとする意思はあるのか、よたよたと足を動かすヒトハを連れて、クルーウェルは会場の外を目指した。
 やがて会場の騒がしさと眩しさを抜け、誰もいない学園の敷地内を歩く。ハロウィーンの飾り付けがまだ残っていて、道ばかりがランタンの灯りで静かに照らされていた。
 ヒトハは少しだけ目が覚めたのか、そこでやっと会場の外に連れ出されたことに気がついた。

「あれ? 先生、もう帰るんですか?」
「帰るのはお前だ、駄犬」

 ヒトハは「ええ、残念」とこれっぽっちも残念な様子を見せずに言った。まず状況が理解できているかすら謎である。
 クルーウェルはいよいよ危うくなってきたヒトハを眠らせないように、引っ張りながら声を掛けた。

「部屋の鍵はどこだ?」
「鍵……? んん、どこやったっ……け……」

 そうゆっくりと口にして、制服のポケットを弄りながら頭を揺らす。

「待て、寝るな。起きろ」

 慌てて肩を揺らしてやると、ヒトハは「すみません」と言いながらぼんやりと目を覚ました。この状態で立っていられるのが不思議なくらいだ。
 クルーウェルは鍵を探させるのを諦めて再び歩き始めた。しかし度々足を引っ掛からせる酔っ払いを連れては上手く進まない。苛立ち始めたクルーウェルをよそに、ヒトハはのんびりと、思い出したかのように「そうだ」と口にした。

「いっぱい写真を撮ったんです。先生にも後で送りますね」
「そうか。だがいらん」
「ええ? でも、仔犬どもが可愛いかったので、やっぱり送りますね」

 何と言っても絶対に写真を送りつけるつもりらしい。どうせ起きたら忘れているからと、クルーウェルはため息をついて「楽しみにしておこう」とまったく心の籠っていない声で返した。
 ヒトハは何が楽しいのか、後ろでクスクスと笑っている。生徒たちと一緒にいるときに聞く、幼さのある声が夜道によく響いた。

「それからあの……先生の面白い写真も」
「なんだそれは。消せ」
「ふふ、嫌です。私、あれが一番好きなんです」

 それは恐らく、あのマジカメモンスターから逃げたときに送ると言っていた写真のことなのだろう。
 もし素面だったなら奪ってでもスマホから消してやったところだが、酔っ払い相手ではやる気も失せる。それに何より、もし素面だったなら、ここまで幸せそうにはしていなかっただろう。そう考えると、水を差すような真似も憚られた。

「先生、来年は一緒に仮装しましょうね」
「やらん。一人でやれ」
「えー! 先生がやらないならやりません! ね、ね、いいでしょう?」

 ヒトハは自分の手を掴んでいる方の腕に縋って袖を引っ張った。何度コートを引っ張るのを止めろと言っても、もう止めることはなさそうだ。
 クルーウェルは渋々「考えておこう」と答えた。

「やった」
「お前、本当にめんどくさいな」

 これだけ楽しそうにしているのだ。忙殺されていたというハロウィーンウィークも最終的には彼女にとっていい思い出となったのだろう。来年への欲がで始めたのも無理もないことだ。

「楽しかったか?」

 クルーウェルは首だけ振り返って、後ろをついて歩くヒトハを見下ろした。すると、ずっと自分を見上げていたらしい彼女は二、三度目を瞬き、暗がりの中で眩しく、柔らかい笑みを浮かべたのだった。

「ええ、とっても!」
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2022.02.27