3.大学生のマサグチさん
白ヤギさんと黒ウサギさんと






「じゃあこの本、貸し出しお願いします」

600〜700冊はあろうか『あんぽんたん』の本棚は、全てマスターか客の持ち寄った物だ。

お客さんが持ってきた本は、マスターが気に入れば店に置き、「次回来店時に使える珈琲一杯無料券」が貰える。
けど、気に入らなければバッサリ切り捨てる。
「文章の数行でも、その作者の呼吸はわかるものさ。文章の呼吸が自分と合えば、だいたい面白いと決まっている」てのがマスターの持論。だから少し読んで合わない本は、もう客商売としてどうなの?ってレベルでバッサリと。

どうやらそれが読書家達の射幸心を煽るようで、無料券は勲章となり、受け取っても滅多に使うお客さんはいないらしい。

そしてあんぽんたんにある本は、五百円で貸し出ししている。
返却はいつでも可。しかも返却してくれた時には珈琲一杯のサービスがある。
こう書けばお得な気がするが、いかんせん本の元手はタダ同然。一杯260円の珈琲を500円で飲んでいるとも言える。

全く、いい商売しちょりますなぁ。


「まいどあり。じゃあ白ヤギさんが食べてくれると期待しているよ」

「また…。いつも思うんだけど、自分が好きな本を食べられて何で喜べるんかなぁ」

「それはね。人間ってのは勲章を欲してしまう生き物だからだよ」

「勲章ねぇ?マスターは物に意味がないほうが好きなんじゃないの?」

「そのままならない所が人間の面白い所かな。
自分が良いと思った物が、白紙という承認で帰ってくる。むしろ形を失って意味が付加されているんだ。本当に面白いよ。ウチの使われない無料券よりかは、よっぽど高尚で芸術に近い」

「そんなものかなー?」

私の疑問に答えてくれたのは伊江奈さん。
「そうそう。だって斉藤さんトコの古本屋なんて、『あの白ヤギさんが食べた本!』ってPOP飾ってるくらいよ。
売り上げアップで喜んでいました」

マジか。この街の読書家はみんな頭おかしいんじゃねーの?

「とにかく、この本を読破するか食べるかは読みながら考えます」

「あら、確かその本私も持ってます。なんだったら白ヤギさんが食べたら今度お貸ししましょっか?」

「あー…いえ、その。それは、えーっと…」

「白ヤギさんの食べくさしに口を付けるようで、読んでて気持ち悪いんだよね?」

「うっ」

「なーんだ。スズコちゃんたら、人のこと言えない」

「うう…」

こうして散々いじられて傷心のまま私は店を出た。
あいつら接客業を何だと思っちょるんじゃい。

まあ、いいか。

店の外では、彫像を真剣に眺める青年がいた。
最近よくあんぽんたんで見かける顔だ。
彼が見ていた彫像が、今は少なくなっていたお祖父ちゃんの作品だったから、私はなんだか嬉しくなった。
だからか、しばらく青年を見ていたら向こうに気付かれた。

「ああ、君は確か白ヤギ飼いのお嬢ちゃんか」

「えっ、何で私の事知ってんですか」

「有名だよ」

マジか。白ヤギさん人気すぎだろ。このままアイドルデビューでもするつもりか?

「俺はマサグチ。大学生だ。君は?白ヤギさんは知ってても君の名前までは知らなくてね」

「私はスズコって言います。ええそうです白ヤギ飼ってますよーっだ」

「腐らない腐らない。いや、実はずっと君と話してみたいなーって思ってたんだ」

「こ…これがナンパ!?やった…!私も遂にナンパられるセクスィーギャルになれたとよ!」

「いや違う」

「…ですよねー」

「ほら、白ヤギさん?あれって本を食べるじゃない。
どうやって文字を食べてるのか気になってて、一度訊いてみたかったんだ」

「どうって…。実は私にも分からないんです。右眼だけ瞑って寝たら、翌朝本の中身が真っ白になっちょりますからねえ」

「右眼だけて…、器用だねえ。不思議だよ実際」

「寝ながら勝手に身体が動いてるか、左眼から白ヤギさんが出てきて食べてるか、どっちかだとは思うんですけど」

「なにそれ怖い!」

なにを言う!本が白紙になってる時点で充分にホラーじゃないん?ねえ?

なんとなく次の語を継げず、私たちは彫像を眺めていた。


「……いい彫刻だなあ。これ作った人を尊敬するよ」

「そうですか?私はよく分からないですけど」
はい、お祖父ちゃんが褒められて嬉しいのにツンデレ発動。
やんなるなー、この性格。

「俺はさ、芸術とか全然わからないけどさ。でもさ、自分が良いと思った物は、良いってちゃんと言いたいんだ」

「……ありがとうございます」

分かってるよ。私が褒められたわけじゃない。
でも、まあ、照れる。
どうしよう顔から火が出そうだ。

「なんで君がありがとうを?
…あっ、そうだ。右眼瞑って眠れるんなら、今度試しに左眼を瞑っ…」

「それはそれはー、この彫刻作った殻屋ゲンマこそ、スズコちゃんのおじーちゃんだからですー」

「伊江奈さんっ!?」

私達の間にヌッと顔を出した伊江奈さん。なんなの?神出鬼没なの?

「いやはや、店の外を掃除していると何だかお二人いい雰囲気だったので、からかって差し上げようかと」

「ちっ、違っ!伊江奈さん!そんなんじゃないですから!!」

「ええ、違います。全然違います」

ハッキリ言うなーコイツ。ムカつくなー。

「ところで、これ作ったのがお祖父さんて、何で言ってくれなかったのさ!?」

「や、なんか、タイミングを逃して?」

「ああもう信じられない!」

マサグチさんは余程この彫像が気に入ったのだろう。私にネチネチ文句言うくらいに。

男のくせに女々しかー。

「うるせえっ!」

スコーンとチョップをお見舞い。
マサグチは死んだ。いや死んでねえけど。

「どうやらひと段落ついたみたいね。じゃ、私は仕事に戻りますねー」

引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、伊江奈さんは踵を返す。

マサグチさんと私は互いの顔を見て、なんだかおかしくて、二人して笑った。

去り際に伊江奈さんが言った「そろそろかしらね」という言葉が、やけに耳に残った。



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