6.黒ウサギさん
白ヤギさんと黒ウサギさんと





「どうしたの?食べないんです?」

私は目の前に注文していたナポリタンがある事に気付いた。

「すみません。ボーッとしてました」

今朝から少々体が本調子でない気がする。
なんだろう。変な夢でも見たのかな?
夢?
なんで夢?

まあ、いいか。

外では雨が強く降り、窓ガラスを叩いている。
その窓の向こうには、傘も挿さずに雨の中、ずっとマサグチさんが彫像を眺めている。
風邪ひいちゃうよ?

まあ、いいか。

私は麺を箸で摘まむ。
そうだ。私はナポリタンを箸で食べる系ガールだ。理由は、

まあ、いいか。


パパはどうしてるんだっけ?
お前を見ちょると辛くなるって言って、それから…?

まあ、いいか。


私はナポリタンを口に入れて、咀嚼して、飲み込んで。

あれ、違うなあ。

お腹、空いてるんだけどなあ。

なんだろ?

「…これじゃない」



「そろそろかしらねえ?」

ヤマキさん。何がそろそろなんだろ?
この前から、よく、みんな言う。そろそろだ。そろそろだって。

まあ、いいか。


「そろそろでしょうね」

ねえ伊江奈さん。何がそろそろなんだろう?
ああっ、もう!
なんでナポリタンなんだろ?
これじゃないのに。違うのに!

よくないよ!これはよくない!

箸でグシグシとナポリタンを掻き回す。
お前じゃないお前じゃないお前じゃない!

スッ、とマスターが私の腕を抑えた。
もう片方の手で、器用にナポリタンを下げる。


「…ごめんなさいマスター」

やっぱり、今日の私は本当じゃあない気がする。

「気にするな。スズコちゃんがお腹が空いてるって、みんなちゃんと分かってるから」

マスターは優しく微笑んでくれた。
ありがたし。
伊江奈さんもヤマキさんも、ニコニコって。
ありがたし。

みんな優しいなあ。


「じゃあ伊江奈さん。勿体無いから休憩入った時にこのナポリタン食べちゃっていいよ」

「ええ。いただきます」


でもお腹空いたなあ。


「大丈夫だよスズコちゃん。ほら、飛んで火に入るなんとやらだ」

バァン!カランガラァン!

乱暴に勢いよくドアが開かれる。
入ってきたのは、誰だろう?

あっ。


そうかマサグチさんだ。
マサグチさんはヅカヅカとマスターまで歩み寄り首を垂れた。

「おねが…おねがいしますマスターさん…。あの彫像を売ってください…!」

マサグチさんの、ただ事ではない雰囲気のはずなのに。
皆さん余裕があるんだね。
ニコニコしてる。ニコニコと。ニコニコと。獲物を見るみたいに、ニコニコと。
私もなんだか今にも笑っちゃいそうだよ。

ああ。

「売るって言ってもね。一応アレは公共物の扱いだから、僕の一存じゃあ決められないよ」

「そこを何とか!!ねえ!!」

「でもさ。もし売るってなっても、君、二束三文じゃないよ?
仮にも彫刻家殻屋ゲンマの作品だよ?マサグチ君、そんな大金用意できるの?」

「いしょっ!一生かかってもはらいます!!なあ!!いいだろ!?」

「わからないなあ。見るだけならソコで見てればいいじゃないか。
今みたいに、雨の中で」

「嘘つくなよ!!クソが!!わかってんだよ!アンタも独占してぇんだろ!あの彫像をさぁ!!
俺もなんだよ!よぉ!!
いいじゃんか!あ、アンタいっぱい持ってる!一個くらい!なあ!!なあなあなあ!!!」


「……頃合いだな」

「ええ。頃合いですね」

「頃合いだわねぇ」


「ゴチャゴ…!ゴチャゴチャゴチャゴチャ!!
何だよ!何なんだよお前ら!!ふっざけんなよ!!
いいからあの像を寄越せっつってんだよ!!!!」

とうとうマサグチさんはマスターに掴みかかる。
だけど、すぐにヤマキさんがマサグチさんを床に押さえ付けた。

その拍子にガシャンとぶつかった椅子が倒れる音。
「クソが!クソが!」と連呼するマサグチさん。
マスターも、伊江奈さんも、ヤマキさんも、私も、
みんなニコニコ。ニコニコだよ。


ああ。

ああマサグチさん。


あなた、とってもおいしそう。


そっと、マスターが私に手をかざす。
「さあスズコちゃん。『左眼』を瞑ってごらん?」

左眼を閉じた。
左は闇に閉ざされた。
右眼はあいている筈だけど、
右もすぐに真っ黒に覆われた。

右眼が熱いな。

ごめんね。お腹すいたよね?

いいよ、黒ウサギさん。

食べちゃおう。





ペロリと。



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