クジは人生の分岐点
せかいをつくるもの



僕は椅子に座ったまま目を閉じ、少しの間過去を思い出していた。
広い食堂に中央部を両断する長テーブル。豪華な調度品などは無いにしろ、この風景は僕に過去を想起させるには十分なものだった。
姉さん、新しい人生は楽しく過ごせているかな。

「はぁー、緊張した」

大きなため息と心情の吐露。声の主は肩を回したり首を傾けたりしてコリをとっていた。いつの間にか彼、テトラトリィとツァディーレ以外誰もいなくなっている。

「どうだったかなフラクタル君?変なとことか無かった?」

彼と目が合い、手招きされる。彼に近づいてみると、本当に彼は小さいんだなと改めて実感ができた。アルケビュースよりも低いんじゃないだろうか。手の届く範囲に例の触角が来ており、僕は触りたいという自分の中の衝動と必死に戦った。

「良かったと思いますよ。最後の言葉がみんなの母親みたいでしたけど」

「あー、やっぱりー?」

彼は恥ずかしそうに頬をかいて笑った。きっとこの人は純粋なのだろう。きっと今の気持ちもすぐ顔に出てしまうタイプだ。

「僕さ、こんな上の立場で指揮するの初めてなんだよね。数日前まで最下級だったから」

聞けばパーティーのくじ引きで一等が当たったと思ったらこの世界の管理権限が貰えたらしい。そんな選び方でいいの?

「それとここだけの話なんだけどね。ツァディが選抜したって言ってたのは嘘で、みんなもくじで決めたんだよね」

ああ、僕たちのほうもくじなのね。だったら問題ないや。……いや問題大ありだよ。

「そんな話、僕にして大丈夫?」

「君はくじで選んでないからねー。口も固そうだし。それに選りすぐりの魂を集めて、そこからくじ引きしたから大丈夫だ、問題ない」

でもそれはあなたが大丈夫だという理由にはなっていませんよね?やる気はあるみたいだから多分大丈夫だろうけど。

「ところでフラクタル君の職業は執事、でいいんだよね?」

「ですね、一応」

「初めて見たよ!家事をそつなくこなし、主の仕事の補佐をし、裏では主に逆らう者を始末しているんだよね!?」

大体あってるが最後は小説か何かと間違えていると思う。でも僕の場合に至っては最初以外合っていないのでほぼ間違っていると言っていい。

「アカン」

僕たちが話している中、背後で椅子にもたれかかって目を閉じていたツァディーレがぽつりと呟いた。てっきりまた寝ているのかと思っていたので突然の言葉に身体がビクッと反応する。

「大変なことに気づいてもうたわ」

「え!?何、何!?運営に関わるほど大変なこと!?」

「せや。それほどまでに重要なことや……」

深刻な顔をする彼女を見て慌てふためくテトラトリィ。ここだけ見ると姉弟のようだ。
ツァディーレは少しの間をとった後、その重い口を開いた。

「このメンバーには……飯作るやつがいないんや!」

広い部屋に彼女の絶望に満ちた声がこだまする。続けざまに彼女の腹の音が文句を言う音が聞こえた。

「はぁ、なんだそんなことか」

「そんなことちゃうで!これは死活問題や!」

「そんなの、メンバーで当番制にすればいいでしょ」

「分かってないなテト。さっきのメンバーの顔思い出してみぃ。料理できそうなやつ何人おったか?」

僕もついでに思い出してみることにした。偏見だがバッシュとウルルは無理そうだ。ラークはそこそこ出来そうな気がする。あとのメンバーはまだ知らないからはっきりとは言えないが、くつろいでいた時の姿を察するに出来なさそうな気がしないでもない。

「ふ、二人くらい……かな……」

彼は僕をチラチラと見ながら答える。その顔からは少し焦りの表情が浮かび上がっていた。

「ウチが思うに出来るやつ一人、それなりに出来るやつ一人、やらせたら大惨事になりそうなやつ二人、未知数だけと多分出来なさそうなやつ三人や。アルクも人手は大工しか送らん言うとった。そして何より今!ウチはモーレツに腹減ってんねや!」

彼女の腹の音の感覚が短くなってくると共に、彼女の気も短くなってきているようだ。

「確かに僕も少しお腹が空いたな。……フラクタル君、何か作れない?」

「ちょっと見てきます」

僕は隣にある厨房へ足を運んだ。大人数の料理を作るために設計されたのか、なかなかどうして大きな空間だった。少なくとも五人は動けるだろうが、それほど料理人がいないことを考えると無駄なスペースなのかもしれない。
奥に巨大な冷凍室があるようだが今のところは冷蔵庫でいい。僕は備え付けてあったいくつもの冷蔵庫の中から使えそうなものを次々と取り出した。それにしても何でもかんでもぶちこんでるなあ。塩とか酢とかは外に出しておこう。

「何だろこれ」

調理器具を漁っている時に妙な物を発見した。小さいコーヒーメーカーのような謎の器材。上部には卵のマークがついてあり、どうぞここに卵をセッティングしてくださいと置かれているポケット。僕は誘われるがままに卵を置いてボタンを押した。
謎の駆動音が数秒鳴ったのち卵ポケットが自動的に開かれる。取り出してみたが見た目的には全く変わっていない。だがほんのりと温かくなっている。不思議に思い割ってみると白く固まった身が隙間からこんにちはしていた。
間違いない。これはゆで卵だ。器材の底面を見てみると『全自動むで卵機』と『マーベラス・エンタープライズ社』とだけ書かれていた。
その仕組みなどは全く分からないが便利さだけは分かる。僕は次々と卵をゆで卵に変えていった。でもたまに入れた卵が丸ごと消失する現象は正直怖かった。
卵の黄身を潰し、調味料で味付けをし混ぜ合わせていく。そして出来た具やハム、レタスなどを耳をカットしたパンに次々と挟みこむ。

「お待たせしました」

僕は急いで二人の元に運んだ。空腹過ぎてめちゃくちゃ不機嫌そうなツァディーレだったが、食べ物を見た途端貪るようにして口に含んでいった。

「……美味しいねこのサンドイッチ」

テトラトリィはハムとチーズを挟んだサンドイッチが気に入ったようで二つ目もそれを手に取った。即席で作った特製ドレッシングが高評価のようだ。見たことのない調味料やドレッシングも無駄に豊富にあるので創作料理のしがいがあるかもしれない。

「はぁー食った食った」

結局七個作ったサンドイッチも数分で平らげられてしまった。ちなみに内訳はテトラトリィが二つ、ツァディーレが五つ。僕も一つ食べようと思った時には既に彼女たちの胃袋に旅立っていた。

「お腹いっぱいになったし昼寝でもしよかー」

幸せそうな顔をして眠ろうとした彼女の首根っこをテトラトリィが掴む。

「僕たちは書類の整理しようねー」

「嫌や!今日はもうあの書類の山を見たくないねん!昨日からやってて一割も減ってないやん!」

「はいはい一緒に頑張ろうねー。サンドイッチごちそうさま」

彼はペコリと頭を下げ、じたばたと子供のように暴れるツァディーレを引きずりながら部屋を出て行った。姿が見えなくなってからも彼女の絶望の声はしばらく耳に届いていた。

「さて、続き続き」

僕は厨房に戻りサンドイッチ作りを再開した。調子に乗って作り過ぎた具を消化しなければならない。他のみんなも昼食べてないだろうし、作ったら食べるだろうという魂胆だ。まだまだ使ってみたい未知の器具や調味料はあるが今日はあまり冒険せずオーソドックスでいこう。
その後ニ十分くらい黙々と格闘した結果、ようやく半端な具材を全て消化し終えた。出来たサンドイッチは計十五個。一人ニ、三個計算できっと食べ尽くしてくれるだろう。
サンドイッチを小さなカゴに動かないようしっかり固定し、僕は食堂を後にした。やはりこういうのは外で食べるのに限る。ましてや大自然の中でなんて最高のロケーションだ。
いざ外に出ようとしたところ、エントランスホールの隅にある席で話し合う二つの人影を見つけた。一人は僕の隣に座っていたラベンダーの髪の少女だ。もう一人はそのもう一つ隣に座っていたピンク髪の女性だった。

「こんにちは」

「ひ、ひぃっ!」

……何故か話しかけただけでピンク髪の女性が悲鳴をあげた。

「はいこんにちは」

対してラベンダーの髪の少女は僕の方を見て挨拶を返してくれた。手にはペンと小さなメモ帳らしきものを握っている。

「む?その女の子みたいに可愛いバスケットから食べ物の気配を感じるぞ!」

やけに鋭い少女にサンドイッチを選ばせる。というより本当にどうやって察知したのか。

「ふむ……では私はこれを貰おうか」

彼女は数ある中から漬け物サンドを選んだ。し、渋い。

「あなたもどうぞ」

「ははははい!ありがとうございます!」

ピンク髪の女性はおどおどしながらフルーツサンドを手に取った。彼女はチラチラとこちらを様子見しながらおそるおそる口につけた。

「あっ、美味しい!」

「うむ。確かに美味だ」

女の子のほうは早くも二つ目のサンドイッチを手に取った。漬け物食べた後に苺ジャム……どんな味がするのだろうか。

「いやあ。美味かった。えーっと」

「フラクタルと申します。どうぞお見知りおきください」

「美味かったよフラクタル。私はシオンだ。よろしくな」

見た目は幼いのにやけに大人びた様子の子だ。もしかしてこう見えて何百歳ですとかなのだろうか。

「わ、私はライツといいます!よろ、よろ、よろしくお願いします!」

頭を思い切り下げた結果、彼女は机に思い切り額をぶつけて身悶えた。こっちは極度のあがり症のようだ。

「二人はさっきまで何を?」

「物質学的創生魔術及びその性質変換機構について話を聞かせてもらっていたのだ」

…………はい?そ、ソーセージ魔術?

「要するに彼女の扱う旧式魔術について尋ねていたところだな。錬金術、とも言うそうだ」

「錬金術!」

それなら聞いたことがある。様々な素材を混ぜ合わせ、通常ありえない物質を練成するという話だ。作り話だと思っていたけどまさか実在していたとは。

「彼女の力を借りれば頑丈な素材やエネルギー密度の高い機関を生み出せる。そしてそれらの理論、効率、安全性を考えながら組み立てるのが私の仕事だ」

シオンは工学博士だそうだ。特に魔術混じりの工学の仕事をしていたらしく、きっと彼女との相性は抜群だと本人は語る。相手側のライツはその勢いに圧倒されて怯えているんですけれども。それとシオンは本当に何歳なの?

「まあ話を聞いているだけじゃ要領を得ないな。早速実演してみてくれ」

「したいのはやまやまだけど、素材と変換剤がないと無理です……」

「では集めに行こう。フィールドワークも兼ねてな!」

シオンに引っ張られるように連行されていった彼女を僕は少しの同情を覚えつつ見送った。ここは同行するべきなのだろうが、シオンに振り回され苦労するのが目に見えているので今回は辞退させてもらおう。
僕は彼女たちが出て行ったタイミングと少しずらして扉を開けた。隙間から心地よい風が流れ込んでくる。
外は一面の平原だった。はるか遠くには大きな山の影が薄っすらと見える。その風が若々しい草木の香りを運び、耳には近くに流れ行く小川の水の音しか聞こえてこない。僕は軽く目を閉じ、体全体でこの大自然を味わった。

「うっ!」

リラックスしていたときに突然嫌な臭いが鼻を刺激する。臭いの元へ振り向くと血まみれになったバッシュが何かを片手に嬉しそうに立っていた。

「おう、見ろよこれ!」

彼は右手に持っていたものを突き出してきた。どうやら小さな鹿のような動物を仕留めてきたらしい。ざっくりと切り裂かれた腹からはポタポタと血が滴り、彼の足元の血だまりが少しずつ広がっていく。

「これ今日の晩飯に出来ねぇ?」

「……出来ないこともないけどちゃんと血抜きしてくれないと肉が臭くなるよ」

まったく、せっかく人が気分良くなっていたというのに。

「バッシュ……今回は……俺の勝ち……のようだな」

今度は建物の裏手からラークと呼ばれた青年が現れた。青白い顔をしてどうしたのかと思ったら、何やら重そうなものを背中に抱えているようだ。

「オイオイオイオイ!そんなもんまでいるのかよ!」

彼が抱えていたのはイノシシだった。中ほどの大きさだがこれでも僕の体重と同じくらいはあると聞いたことがある。こんなのが近くに生息しているとは恐るべし、大自然。

「クッソ、負けてられるか!」

そう言ってバッシュは草原の中に消えていった。二人はどちらが大物を仕留めるかの勝負をしているとのことだ。……もしかしてこれ以上大きなものを狩ってくるつもりなのだろうか?

「冷蔵庫……入りきるかな」

毎日消費していかないと食べられなくなってしまいそうだ。

「あーあー、しっかり血抜きもしないまま行きやがって。あ、苦手なら見ない方がいいかもよ」

ラークは取り出した短剣で鹿の首を掻き切った。先程までとは違い、夥しい量の血が切り口から溢れ出してくる。耐性のない人なら失神しているかもしれない。彼は近くにあった物干し竿に鹿を逆さ吊りにし、満足げな顔を浮かべていた。

「さーて、改めて自己紹介させてくれ。俺はラーク。バッシュの相棒、といったところだ。よろしくな」

「フラクタルです。よろしくお願いします」

彼のツンツンと尖る短い銀髪が太陽によって光り輝く。背が高い分、太陽が彼の真後ろにある時は目がやられてしまいそうだ。

「いやー、朝は不快な思いをさせてしまって悪かったな。お前にも、あの子にも」

「いえ。それにラークは止めてくれたじゃないですか」

もし彼がバッシュを止めてくれなかったら一撃は必ずもらっていたはずだ。ツァディーレも更に怒り狂っていたかもしれない。

「……その、彼の言っていたことは本当なんですか?」

「やっぱり気になるか?」

ただの喧嘩ならともかく、親の仇という不穏な話だ。気にならないわけがない。

「本人たちに直接聞こうとも思ったけど、今は触れない方がいいかなと」

「そうだな。じゃあ俺が知っている限りで教えるよ」

彼は鹿の皮を剥ぎながらポツリポツリと話し始めた。

「まずアイツが言っていたこと、あれは全て本当だ。あいつがまだ七歳の時、出稼ぎに言っていたアイツの両親が帰ってきた。物言わぬむくろになってな。その罪に処されたのはウルカ族の男性だった。二人を連れ、自分が死なせてしまった、本当にすまないと自首してきたそうだ。もちろんアイツはハイそうですか、で終われるわけ無かったが相手は牢の中。いくら憎んでもアイツに手は出せない。それ以来、バッシュはウルカ族全体を恨むようになったのさ」

彼の話を聞いて僕は胸が締め付けられた。今では明るく、気丈に振舞っているがこんな重い過去を持っていたなんて。彼の怒りを直に感じたことからも、彼の憎しみの深さがよりいっそう伝わってくる。

「ウルカ族が魔王軍の手先だってのも本当だ。同じ人間種族なのに、彼らは人里離れた森の中や山中を転々として暮らしている。人間に対して敵対的というわけではないが、結構昔から魔王軍の傘下に加わっているそうだ。そのせいか人々には嫌われているな」

ん?今何か違和感が……。

「ウルカ族は魔王軍なんですよね?」

「そう言われているな」

「じゃあ何でわざわざ自首しに来たんだろう」

森の中や山の中ならいくらでも証拠を消せる。ましてや彼らのいた世界は監視カメラなどといった物は存在しない、ファンタジーのような世界だという。嫌われている相手のところにわざわざ更に嫌われそうなこと、更にはその謝罪までするだろうか。

「……そのウルカ族の男が特別真面目な人だった、とか?」

「無くはないですね。でもウルルがこう言ってました」

私たちは裏切り者なんかじゃない。裏切ったのはあなたたちのほうだ。

「ウルカ族自体は他の人間を敵視していない。でも人間側はウルカ族が嫌っている。裏切ったのは人間たちのほうだ。そして、自分が死なせてしまった」

「……その男が直接殺したわけじゃない?」

「あくまで可能性の話。一つの説です。もしかしたらどこかに嘘が混じっているのかもしれません」

しかしその分気になるところも多い。仮説ならいくらでも立てられそうだが僕としてはこの説を信じる。

「それに、僕はウルルが嘘を言っているように見えなかったし、そんなことをする子だとは思いません」

彼女は泣いていた。本気で叫んでいた。あれが嘘の演技だったとは、到底思えない。

「……ふっ」

彼は突然空を見上げて笑い始めた。彼の大きな笑い声が風に乗って広がっていく。もしかして何かおかしい点でもあっただろうか。

「お前最後のそれ、主観的な意見じゃないか。彼女が良い子だからって、彼女の一族が良い子とは限らないぞ?」

そ、そう言われてみれば……。

「途中までちゃんと客観的な論理をしていたのにいきなり主観をぶち込んできやがって。びっくりしたぞー」

彼の大きい手がポンポンと僕の頭を叩く。ああだんだんと恥ずかしくなってきた。

「ま、でも俺はお前の仮説を信じてみたくなったな」

彼はサンドイッチをもしゃもしゃと食べ始めた。手に取ったのは真っ赤なキムチサンドだ。さっき試食してみたけど僕には凄く辛くて汗が止まらないくらいだったのに彼は涼しい顔をして食べている。

「どっちみち二人には話さない方がいいだろうな。もし話すとしたらその過去に詳しい第三者が欲しいところだ」

確かに。仮説だけ話しても説得力なんてないだろう。むしろ事態を余計に悪化させてしまうかもしれない。

「テトラトリィにでも相談してみようかな」

「あの人なんか頼りなさげじゃないかー?俺はまだツァディーレって女の人のほうが良いと思うけどな」

それはない。小さな子供みたいにワガママ放題で自分のやりたいことを最優先し、誰かに引っ張ってもらわなきゃダメ女ルート待ったなしな彼女には到底無理だ。
あなたはまだ、本当の彼女を知らない。

「さてさて、俺も探索に戻るかな。このサンドイッチ貰って行っていいか?」

「どうぞ」

彼はそれらを背負っていた革袋に次々と入れていき、去っていった。しかし一度に八個ものサンドイッチが売れてしまうとは。やはり彼らみたいな人はよく食べるのだろうか。

「なんだこの血痕は!?」

僕も場を後にしようと思ったその時、建物の中から男性が少し驚いた様子で出てきた。食堂にいた時から目立っていた、真っ白の髪と対照的な全身真っ黒の服。一度見るとなかなか忘れられないものだ。

「君大丈夫か!?」

「違います違います!これはそこの動物の肉を血抜きしたときのもので」

若干パニックに陥っていたのか、彼が僕の説明を飲み込んでくれるまで数分の時間を費やした。

「はぁー、それなら良かった。外に出たと思ったら殺人現場みたいな血だまりが出来ているからてっきり事件でもあったのかと思ったじゃないか」

誤解されることも分かったし、やはりこの血は洗い流しておくべきか。

「おっと自己紹介がまだだったね。私はキール。フリーの医者をしている者だ」

医者というとシオンが着ていたような白衣を着ているイメージがあったが、彼はどうも違うらしい。僕は軽く自己紹介を返した。

「さっそくで悪いけど献血に協力してくれないかな?」

ぜひお断りしたいところだが彼の屈託のない笑顔には勝てなかった。
近くにあった木の椅子に移動し、採血の準備にかかる。差し出した左腕に注射器の針がゆっくりと狙いを定めていた。過去何度か経験はあるが、この針が刺さる瞬間には未だに慣れずいつも目を逸らしている。

「よし、もう大丈夫だ。あとは十分ほど待機してね」

刺さってしまえばこっちのもんで、血液が流れていく様子も堂々と眺めることができる。しかし十分間動くなと言われると結構長く感じる気がする。バッシュやツァディーレにはきっと耐えられないだろうな。

「いやー、それにしても真っ黒で良い髪だ。カラスのようにツヤが出た時はもっと美しくなるんだろうね」

彼は僕の髪をジロジロ見ながら羨むように呟いた。もしかして単に黒色が好きなだけ?

「キールさんは何の専門なんですか?」

「私はオールラウンダーだよ。胸部心臓も消化器も歯科口腔も脳神経も出来る。ただ脳神経は少し苦手かな。死んでる人ので試しても成功したかどうか分からないからイマイチ練習にならないんだよね」

……今、かなりヤバイことを言っていたと思う。

「死体で……?」

「ああ、うん。私はとりわけ才能があったわけじゃなかったからね。時間があれば外を出歩いて死体を見つけてバラし、ひたすら手術の練習をしてきたんだ。死体には困らない世界だったからね」

うっ。考えるだけでも気分が悪くなってくる。それらが彼の糧になっているのは分かるが僕にはその行為自体を理解するのは難しそうだ。

「さて、次は君のこと話してくれないか?特に昔話がいいな」

キールは期待する目で僕の方を見つめてくる。そんな目で見られても面白い話はないのだけれど、と僕は過去のことを少しずつ頭の引き出しから記憶を取り出していった。

「僕は貴族、アールグレイ家の長男でした」

兄弟と言えるものは姉が一人いるだけでした。よって普通ならば家督は僕が継ぐこととなっていましたが見て分かる通り、僕は執事をしていました。家督は姉の夫となるべき人が継ぐことになったのです。
姉は、一言で述べると魔性の女でした。もしかすると本人も知らないうちに、本当に魔術を使っていたのかもしれません。魔術なんてオカルトめいた話、おとぎ話でしか聞いたことありませんでしたがその存在を信じてしまうほどに彼女の魅力は凄まじかったのです。
彼女は一部の人々を除き、その他すべての人間を魅了していました。パーティーに参加した他の貴族、商談に来ていた豪商、家に仕えるメイド達すら彼女の虜となっていました。彼女の魅了が効かないのは僕たち家族と、既に結婚している人たちくらいでした。
父と母はもちろん彼女の力を利用しようと画策しました。金を持ち、家を更に強大なものに発展させられる技量を持つ男を彼女の婿にさせようと。そして僕は同年代かつ唯一彼女に対等に振る舞える存在、彼女の執事となるよう教育されました。
彼女と僕は順調に育っていき、そしてついに父と母は最高の後継候補を見つけました。しかし二人の結婚が控えたその数日前、あの事件が起こったのです。

「とまあ、こんなもんです」

「……え!?ここで終わり!?」

「はい。採血も終わったようですし」

「これからが良いところだったのに、そりゃないよー!」

彼は渋々と僕の腕から針を抜いた。血液パックはパンパンに膨れ上がり、僕の身体からこんなに出たのかと思うと感慨深いものを感じた。

「ほら、早く保存しに行ったほうがいいんじゃないですか?」

「うううう!今度絶対続きを聞かせてもらうからな!」

彼はまるで負け惜しみみたいなことを言って、建物の中に消えていった。
なに、別にここまでもこれからも、よくある話だ。あまり気にするようなことでもないさ。

「ん?」

ふと建物の柱の影に目がいく。何か小さいものが出たり入ったりを繰り返していた。あの子、何しているんだろう。

「やあ」

また彼女と目が合ったときに僕は挨拶を仕掛けてみた。彼女はしばし目を丸くしたのち、こそこそと近づいてきた。

「……こんにちは」

頭蓋骨メットを頭に乗せた少女、ウルルは僕の向かいの席に座り、とても小さな声で喋った。何故か、目を合わせてくれない。

「サンドイッチ、食べます?」

「い、いえ」

言葉と一緒に彼女の腹の虫が鳴く。彼女は耳まで顔を真っ赤にして俯いてしまった。

「遠慮しなくていいですよ。どうぞ」

しばらくはそのまま動かなかった彼女だが、衝動に負けたのか卵サンドを取り出し、ぱくりとその口に入れた。そしてその一瞬だけ彼女の顔が明るくなったのが見られた。
その後も彼女は少しずつ食べているが言葉は何も発さず、静かな時が流れていった。

「いたっ!?」

突然左足に痛みが走る。同時にまるで何かに突進されたような衝撃を感じた。

「ノワール!何してるんですか!」

「……ノワール?」

「あっ……」

立ち上がった彼女を見る。さっきまでほんのり赤かった顔は今では青く染まりつつある。

「その……何でもないです。今のは気にしないでください」

彼女の瞳が翳る。本人は気にしないでと言っているがそういうわけにもいかない。目の前で深く絶望しているような顔を見せられたら誰もがそう思うだろう。

「ウルルさん!」

「ひゃ、ひゃい!」

……ちょっと力み過ぎた。

「僕と友達になってくれませんか?」

彼女は目を見開き、やっと僕の顔を真っ向に見てくれた。

「でも……私といると迷惑かけそうですし。それに私……ウルカ族ですし」

一歩進んだと思ったのも束の間、彼女はまた俯いてしまう。ここで歩みを止めてはいけない。絶対に彼女を暗闇から引っ張り出してみせる!

「ウルカ族だなんて関係ない。僕はウルルと友達になりたいんだ」

彼女は再び顔を上げた。今度はさっきの顔と違い、驚き以外にも何かを抱いている顔に見えた。
僕は彼女に右手を差し出し握手を求めた。今僕が出来る、最上の絆の印。ウルカ族というだけで虐げられ凍ってしまった彼女の心を、僕が共に歩み、共に過ごすことで溶かしたい。

「よろしくお願いします」

彼女は僕の手を取り、満面の笑みを僕に向けた。




長年連れ添ってきた相手というわけでもない。彼女は今日初めて会ったばかりの女の子。
それでもこの笑みは僕にとって特別なものに感じられた。


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