借り
前髪を後ろに流し特徴的な丸眼鏡を掛けている、情報員の坂口安吾はポートマフィア内の廊下を歩いていた。
坂口は疲れ果てた表情を浮かべて首をぐるりと回す。情報員といった職種に就いている彼は必然的にパソコンなどの機械類や紙の書類を使った仕事が多く、休憩もあまり取らないので肩や首の疲れが酷い。次の仕事を頭で組み立てながら溜息を1つ零して目的の場所まで足を進めて行った。
「あっ!」
バサバサ、紙束が散らばったような音が坂口の後方から聞こえた。坂口は音の原因を探るべく振り返れば、そこには未成年であろう女が廊下に這いつくばり資料を床に盛大にぶちまけていた姿が目に入った。
「うー…」
「あの、大丈夫ですか?」
そのまま無視しても善かったであろうが、見てしまった以上見過ごすのもいささか分が悪い。坂口はその少女に近づいては膝を折り、散らばった資料に手を伸ばす。
「あ、すいません!」
項垂れて唸った声を出す少女は坂口の存在に気づいたのか、バッと顔を上げて慌てて書類を掻き集めた。
坂口は少女の見た目の特徴に聞き覚えがあった。主にそれはいつもの酒場で出会う彼の友人の太宰や織田の口から得る情報で、彼女の名前は名字名前だと推測する。
彼女の話題はよく上がる。織田の直属の部下であるから話題が尽きず、同じ所で働いているのだから今度会わせると本人の居ない所で約束まで取り付けられた。
あまり語らない織田はともかく、太宰に関しては彼女をえらく気に入ってるようだ。犬猿の仲である中原中也をからかう道具としてもあるが、年齢にしては頭が善いらしいので普通に会話を愉しめるのだと。後は織田と共に居れば小動物のようだとか面白いだとか。
「はい、どうぞ」
「あ、すいません…有り難う御座います」
「いえ」
坂口は自分が手に持った資料を彼女に渡せば、眉を下げて申し訳なさそうな表情を浮かべた。庇護欲を掻き立てられるようなその姿に、確かに小動物のようだと以前云っていた太宰の言葉に合点がいった。
そんな出会いから数日経過したある日、坂口が仕事をしていた時であった。
いきなり扉が吹っ飛んだ。留め具は宙を舞ってその場に転がり、扉は重力に抗う事無く床を2度跳ねてからやがてただの粗大ゴミとなった。部屋の塵が舞い埃っぽくなる空間に咳払いをし、原因となっているものを悪い視界の中探る。
扉を飛ばしたであろう犯人であるその男は、部屋の中にズカズカ入り込んで周囲を見回した。その男は坂口の顔を見るや否やポケットに手を突っ込んだまま目を吊り上げ歯を食いしばり、足音をドスドス鳴らしながらいかにも不機嫌ですと云わんばかりに坂口に近づいた。
「おい手前ェ…名前が世話になったようだな…」
「は、はぁ…どうも」
男性平均身長に満たない背丈、特徴的な帽子を被るその男―――中原中也は、ズイッと坂口の顔に自分の顔を近づける。坂口は反射的に頭を後方に反らせて距離を取り、冷や汗が一筋流れた。
特に世話をした自覚は無いが、どうやら先刻助けた事を中原に話していたようだ。それが彼女と接点を持ったきっかけであったのだが、それ以降彼女とは1度も顔を合わせてはいない。
「手前、名前は」
「坂口ですが…」
「坂口か…俺以外の奴が名前の手助けをしたって事実は非ッッッ常に腹立たしい事この上無ぇ。が、これが…現実だ…クソッ!!!!借りはいつか返すからなァ…!首洗って待ってやがれ…」
「怖ッ」
メンチを切ったり悲しそうな表情をしたり殺気を交えながらそう坂口に伝え、猫背気味に踵を返す中原に坂口は思わず縮み上がった。そういえば、以前太宰が「名前ちゃんが絡んだ中也は手が付けられないけどそこが面白い」と口を大きく開けて笑っていた事を思い出した。確かにこれは手が付けられないなと大きな溜息を零したのだった。
この後、坂口安吾も名字名前と中原中也に振り回される1人となるのだが、そんな事今の彼に予測など出来はしない。
そしてはたまた数日後、いつもの酒場に織田が連れてきた名前と再会し、稀に4人で飲む姿が目撃された。