5.主人

刀剣を見るのは初めてなのだろうか?その人間は隙間から鶴丸を取り出して見ては固まっていた。時折鞘にこびり付いた土を落とそうと手で擦っていたがその動きも蛻の殻のようで動きが未だにぎこちない。そりゃそうか、現代の人間からすれば刀は武器ではなく飾られている美術品であるし、人を殺す道具がこんな身近にあるとは思いもしないだろう。鶴丸自身だって盗難されると思いもしなかったし、その上こんな寂れた所に捨て置かれるだなんて想像もしなかった。
ぼんやりしながらI丸を腕に抱いて震えている。斬った張ったの世界で生きていないただの小娘が、どう抗えるだろうか。こりゃスッパリ斬り殺されて終わりだろうと胡座を掻きながら彼女を観察していた時であった。遡行軍が本殿の裏に回り込みに見つかった。
「見つかっちまったな、どうするんだい?」
「…え、」
最初こそ怖気付いて目を瞑っていたが、身体が勝手に動いたようで驚いたことに遡行軍の刀を鞘で防ぐことに成功した。殺気を見抜いて反射的に動いたのだろうか?それにしても人間にしては腕っ節が強い。彼女に何か才能を感じる。
「おぉ、こりゃ驚きだぜ…!」
人間も同じ心境だったのか、相手の刀を受け止めながらもその表情は驚愕と困惑が浮かんでいた。それでも一筋縄ではいかないだろう。体勢を立て直そうと一度引いた短刀が再度彼女を殺そうと間合いを詰めてくる。彼女はぽかんとした表情を浮かべながらも身体はI丸を構え、鞘から抜き去った。
「やああああ!」
刀が存外重たかったのか、振り上げる勢いは弱く体勢が少し崩れたようだが難なく敵を一刀両断する。相手は雑魚だったようで、少し狂った太刀筋でもそのまま破壊されたようだ。構えといい刀の握り方といい、数日で身に付くような動きでは無い。彼女は経験者なのだろうか?だがこんな現代で刀を触る事なんて無いはずだ。嗚呼、そういや現代の寺子屋では夜遅くまで勉学とはまた違った稽古があると聞いた事がある。そこで学んだ事なのだろうか。
鋼で出来たそれは彼女に重たかったのか、振りかぶった後体勢を崩すが、すぐに持ち直して遡行軍に向き合う。
嗚呼、嗚呼、嗚呼!刀を振るわれた感覚、敵を斬った手応え、なんと久しい事か!美術品として飾られていた長い時、ずっと退屈だった。文字通り命を賭けた、血が滾るような戦いを何処か欲していたのだ。そりゃそうだ、本来人を斬る為の道具として産まれた筈が、今じゃただの鉄屑同然。振るわれてる刀は分霊であり顕現された”I丸国永”自身だ。まさか、また人間に振るわれる時が来るだなんて想像付かないだろう!刀を振るわれるごとに心臓が高ぶり、鈍っていた感覚が鋭さを増す。何も本来の刀として扱われた高揚感が彼女にも伝わったのか、その表情には笑みが浮かんでいた。
「さあ、きみはこの俺をどう扱うんだ?見せてくれ!」
敵は短刀が1振り、脇差が2振り、打刀が2振り。彼女戦いの行く末を見届ける為に一歩後ろに立ち、浮遊する。その瞬間、短刀と脇差が躍り出た。奴らは機動が速く5mはあったであろう距離を一気に詰めていく。彼女は刀を握り直し少し重心を後ろに傾けた。ほんのわずかな変化であったが、実践刀であったI丸からすれば大きな変化だろう。あれは多分突きの構えだ、それでもそのまま突撃してくる遡行軍を見てI丸は少し呆れた。何だ、相手はそんなに練度が高くない連中なのかと。客観的に見ているからこその余裕なのかもしれないが、さすがに構えた人間に正面衝突は無いだろう、もう少し驚きが欲しいものだ。それに比べ、彼女は敵に集中し寸分の狂いも無く刀を敵に打ち込み一気に2体も倒してしまった。その瞬間、刀の感覚から通じて斬ったという事実が身体中に沸き上がる。嗚呼、そうだこれだ、俺はこれを欲していたんだ!I丸は思わずその場でクルクル回りながら高揚を噛みしめる。
「そう、俺が欲しかったのはこれだ!さあきみ、もっと驚きを与えてくれ!」
I丸を扱う彼女に近づいてはその周囲を回り、語りかける。勿論彼女には聞こえてなどいないが、この胸の内を知って欲しくて話さざるを得なかった。
残り3体となった後も、彼女は気を抜く事は無く器用に鶴丸を使いこなしていく。敵を斬り殺す度にI丸の内側から沸き上がる歓喜を楽しむ。少し危うい場面もあったが、結果として無傷で戦闘を終わらせた彼女は疲れが一気に来たのかその場で膝を折る。嗚呼、もう終わってしまったのか。
「ゼィ、ぜぇ、は、はぁ…や、った」
「それにしてもきみ、凄いな!」
「…刀」
「なあ、何かしていたのかい?何処かで稽古でもしたような太刀筋だ!」
「女子が俺のような太刀を使うなど極めて珍しい!」
彼女は地面に転がる刀をじっと見つめており、その周囲をI丸はクルクル舞いながら興奮さめやらぬといった状態で彼女に話しかけていた。少し身体の疲れが抜けたのか彼女はその刀を拾い上げ、悩ましげな表情を浮かべている。反応が来ないと分かっていながらもI丸は彼女の正面に胡座を掻いては顔をじっと見つめる。
「俺をどうするつもりだい?」
「ご、ごめんなさい…!」
そう言っては捨て置いた鞘に刀を収めて先程置いてあった場所に隠す。新撰組―否、現世ではケイサツだったか?そこに届けるという選択肢もあっただろうに、彼女はその選択をしなかった。そうして彼女はこの寂れた神社を去ってしまった。
嗚呼、人間というのはなんて愚かなのだろう。愚かで、醜く、そして何よりも愛らしい。だから人間というのは飽きないのだ。
「構いやしないさ。ここに置いておけば、また俺を扱ってくれるんだろ?

―――主」
そう呟いた言葉は木々のざわめきで掻き消えた。