アタック

病院から「恋煩い」だと診断を受け、姐さんから恋煩いは何たるかと説明をされた日から早数日が経過した。俺みたいな半端者がこんな感情を持つだなんてなんだか本当に人間みたいだ。否、一応喜怒哀楽といった感情を持ち合わせているので、まあ普通っちゃ普通なのかもしれないが。この恋心を自覚してからどうすれば善いか悩んでいる。俺としては好意を示して恋人の関係に発展したいと思ってる。思ってはいるんだが、相手に問題があるのだ。
相手は、物凄く、物凄ーーーーく鈍感なのである。
そもそも、彼女は恋愛に関しては物凄く疎い。生きるか死ぬかの瀬戸際という場所で育っていたので、恋愛できゃあきゃあ話すような余裕もあまり無かっただろうし、そういう知識が付くであろう時期は下ネタが飛び交う前に彼女を連れだして回避させていたのだ。俺がそういう知識を付けたのは白瀬に色々教わったのだが、まあそれはさて置き。恋愛感情という知識はあったのだが、それに当てはまると思いもしなかった俺が、こうやって恋煩いだと診断を受ける前に彼女に相談すれば「家族を取られたくない感情だ」と説明された。人間である彼女の方が感情に関しては色々と知っていると思っていたし、その場ではそうなのだろうと納得しちまったのだが、実際は彼女の知識の偏りのせいで間違った感情であった。そもそも、嬉しい感情などプラスの方向に関しては彼女の方が感情が薄い事を思い出し、こりゃ自分で考えないといけねえなと改める。
「中也、中也よ」
「は、はい!」
「愛い彼女の事を考えるのは勝手じゃが、仕事を疎かにするでない」
「す…すみません」
「まあ良い。次から気を付けよ。…噂をすれば何とやら、じゃ」
「?…あ、名前」
姐さんの視線の先には、名前が歩いていた。隣にはあの織田という奴が居り、何やら楽しげに話している。やけにあいつの笑顔が愛しく見え、ただそれが俺に向いて無い事に心がザワザワする。何をそんな楽しげに話しているのだろうか、少し距離があり会話が聞けず気になる所だが今は仕事中だ。駆け寄る事はせずにただただじっと彼女を見ていれば、やがて俺に気づいたのか少し笑みを浮かべて俺に小さく手を振ってきた。たったそれだけで心臓は大きく跳ね、先程の心の不快感が消えて満たされた感覚に陥る。にやけそうな顔を抑えながら小さく手を振り返し、やけに愉しそうな姐さんの後ろに着いていった。

「どれが良いんだよチクショウ…」
場所は変わって、俺は今書店で睨めっこをしている。勿論仕事をきちんとこなし既に退社した後なので咎められる事もない。帰り際に通りがかった書店に何かヒントが無いかと本を物色しているのだが、いかんせん恋愛本というのは女性向けのものばかりで男性向けのものが中々見つけられない。どれを参考にしたら善いのか事前に調べてる事も無く、ただただ書店の中をグルグル回って一向に決まる事は無い。とりあえず出直すべきか?とあるエリアに辿り着き、俺はそれを一気に購入した。
「あ、おかえり中也」
「おおおおおう、ただいま」
「?何その袋」
「な、何でもねぇよ!あっち行け!」
「はいはい、ご飯もうちょっとで出来るから手洗っておいでね」
「おう」
家に帰宅してからそそくさと自室に向かう。途中名前から声を掛けられてが、なんとかごまかせたようだ。それを一気に読み漁ろうと結構な巻数によってパンパンになったビニール袋を無造作に床に置き、1つ手に取った。
「あ?んだこれ…???」
「中也ーご飯出来たよー」
「おわ!?い、今行く!」
名前に呼ばれてしまったので1度断念し、飯を食ってから再度その本を手に取る。彼女を振り向かせる為に念入りに本を読んでいれば、いつの間にか朝になっていた。知識を付けるためとはいえまじまじと読み過ぎた、未だにビニール袋の中に袋とじをされたままの本が鎮座しており、こりゃだいぶ時間が掛かるなと目頭を抑える。一睡もしてないし仕事は通常通りあるが根性で乗り切るしかねぇ、まあなんとかなるだろう。それに、彼女に振り向いて貰う為にも何も知識が無いよりかは付け焼き刃だったとしてもまだ知識がある方がマシだ。名前に本がバレないように隠してから家を出た。

「おい、何処に行くんだ?」
ドォン!!!と音を鳴らして壁にヒビが入った。やべ、少し力み過ぎたか。目をぱちくりさせる名前の目をジッと見返す
今回、女を壁際に追いやって壁をブン殴るという事をやってみた。正直、壁なんかブン殴っても別にときめかないだろうが、恐らく音に驚かして吊り橋効果でも狙う系のあれなんだろう。よく知らないが。だが、鈍感娘には全くの効果が無いようで、ヒビの入った壁ばかりを心配している。
「嗚呼…何してるの、壁が…しゅ、修理費が…」
「んな事考えてんじゃねえ、こっち見ろよ」
手を付いてる壁の方を見て修理費の総額はいくらだろうとぼやく彼女に、次は顎クイとやらをやってみた。正直云って彼女をドキドキさせる為にしている事なのに、距離が近すぎてこっちの心臓がバクバクしている。彼女に聞こえなければ良いのだが、と彼女の様子を見てみれば少し俯いてわなわな身体を震わせている。て、照れているのか?やったのか?
「中也の莫迦!!!」
「はぁ!?」
「壁どうするの!こんな時に構ってちゃんしないの!と、とりあえず首領に謝りに行くの着いて行ってあげるから、ちゃんとごめんなさいしなさい!」
「え、あ、はい」
鈍感は我が道を進むようだ。こりゃまだまだ俺の勉強も足りねえなと彼女に腕を引っ張られながらそれに着いていく事にした。


名前が突き進んで行った道の反対側に、彼女たちが訪れようとしている人がその状況を胃を抑えて見ていた。
「ふふふふふ、面白ッ」
「…で、太宰君。あれは何をしているのか分かるのかね?」
「ふふふ、恐らく壁ドンと顎クイでしょう。恋愛漫画などでよくやる手法です。フッ」
「そういや最近恋愛漫画をよく読んでおったのう。見るべき参考書を誤ってこのざまじゃ。私としては面白いんじゃがのう。」
「それにしても、あれで本当に女性が落ちるとでも思ってるのが今週1番の驚きだね」
「太宰君、そのメモは?」
「今週の負け惜しみ中也の記事の1つにしようと思って」
そこに居る3人は、それぞれ笑みは浮かべているものの異なる反応をしていた。1人は面白がっているようで終始不気味な声を発しながらメモを取り、1人はどう軌道修正すべきか悩みながら懐に忍ばせていた扇子で口元を隠し、1人はこの壁をどうしようかと胃を摩っている。
「果たして、あの娘は気づくのじゃろうか?」
「あの鈍感さは無理でしょう。僕でも相手にされなかったですし。」
「まあ、どうであれ」
あれは無い、そう胸中で意見が合致する3人であった。