高専の敷地を出た瞬間、コートの隙間から冷気が入り込んできて、思わず肩をすくめた。
吐く息が白い。
手提げの小さな紙袋を、無意識に持ち直す。
中身が崩れないように、少しだけ丁寧に。
七海は、いつも通り、私の半歩前を歩いている。
歩幅が一定で、背中がまっすぐで、無駄な動きがない。
その背中を見ながら歩く時間が、わりと好きだった。
「……どうしました」
ふいに振り返られる。
「いえ」
少しだけ迷ってから、紙袋を差し出す。
「これ」
「……?」
「今日、バレンタインなので」
七海が、ほんの一瞬だけ目を瞬かせた。
意外そうな顔。
それから、ゆっくり袋を受け取る。
「……お気遣いなく、と言うべきでしょうか」
「気にしないでください。私が用意したくてしただけなので」
「……そうですか」
そのまま、七海は中を確認する。
上品な大きさの箱に、シンプルなロゴが金色に光っている。
「随分、きちんとしたものですね」
「こういうときくらい、ちゃんとしたものを贈りたくて」
照れくさくて、少しだけ視線を逸らす。
「お酒のお供にもなるらしいです。甘すぎないって聞きました」
七海の動きが、止まった。
箱を見て、それから私を見る。
「……あなたは」
七海が、ゆっくり息を吐く。
「本当に、そういうところが、抜かりない」
責めるみたいな言い方なのに、声はやわらかい。
「褒めてます?」
「ええ。かなり」
珍しい。
はっきり断言された。
七海は箱を紙袋の中にしまう。
やけに大事そうな仕草で。
「……今夜、開けます」
「はい」
「一緒に、どうですか」
歩きながら、さらっと言う。
いつもの調子で。
「いいんですか?」
「あなたが選んだんでしょう」
ふ、と七海が笑う。
「せっかくなら、あなたと一緒に食べたい」
耳の先が、ほんの少しだけ赤くなっている。
たぶん、寒さのせいだけじゃない。
「じゃあ、お邪魔しますね」
「ええ」
そのあと、何気ない顔で、七海が私の手に触れた。
そのまま、指を絡めて握る。
前より、少しだけ強い力。
「……ありがとうございます」
低い声。
「こういう行事は、正直、得意ではありませんが……」
一拍置いて。
「あなたとなら、悪くない」
それだけ言って、前を見る。
手は離れない。
冬の空気は冷たいのに、つないだ指先だけが、やけにあたたかかった。
七海の部屋に入った瞬間、外気とは違うやわらかな温度に包まれて、肩の力が抜けた。
コートを脱いでソファに置くと、七海は無言でキッチンに立ち、グラスを二つ出す。
氷が落ちる乾いた音。
瓶を傾けると、琥珀色の液体がゆっくり底に溜まっていった。
「すみません、気を遣わせてしまって」
「いえ」
短い返事。
差し出されたグラスを受け取ると、指先がほんの一瞬触れた。
それだけで、やけにあたたかい。
テーブルの上には、さっき渡したチョコレートの箱。
七海が包装をほどき、紙を丁寧に畳んで脇へ寄せる。
箱を開くと、小さなショコラが整然と並んでいた。
七海はひとつ口に入れ、ゆっくり味わってからウイスキーを含む。
氷が、からん、と鳴った。
「どうですか?」
「……合いますね」
それだけ言って、箱を私の方へ軽く寄せる。
促されて、自分でひとつ取った。
ほろ苦い甘さが溶けて、すぐあとにウイスキーの熱が追いかけてくる。
喉の奥が、じんわりあたたかい。
気づけば、七海が隣に座っていた。
肩が触れる。
ただそれだけの距離なのに、不思議なくらい落ち着く。
同じ箱からチョコを取り、同じペースでグラスを傾ける。
言葉はほとんどない。
時計の針の音と、氷の溶ける気配だけが、静かに夜を刻んでいた。
「あなたが選ぶものは、大体間違いがありませんね」
事実を述べるみたいな口調。
それなのに、胸の奥にやわらかく沁みる。
「……よかった」
小さく笑って返すと、七海はそれ以上何も言わなかった。
代わりに、そっと手が触れる。
指が絡む。
強くも弱くもない、ちょうどいい力。
体が少しだけ傾いて、肩が触れたままになる。
そのまま、しばらく動かない。
七海の体温が、シャツ越しにじんわり伝わってくる。
ふいに、頭にぽん、と手が乗った。
撫でるでもなく、押さえるでもなく。
そこにいることを確かめるみたいな、静かな手つき。
「来月、時間をください。埋め合わせをしますから」
「……はい」
テーブルの上には、半分になったチョコレートと、少し減ったウイスキー。
七海の体温が、肩越しにじんわり伝わってくる。
私はそのまま、そっと体重を預けた。