11-1.はじめてのデート(前編)
休日の高専は、驚くほど静かだった。
普段なら訓練や任務で人の気配がある廊下も、今日はどこか眠そうで、風の音だけがやけに響いている。
透子は正門の前で立ち止まり、無意識にスカートの裾を整えた。
――変じゃないかな……。
そんなことを考えていると、
「時雨!」
少し駆け足の足音と一緒に、聞き慣れた声がした。
振り向くと、虎杖が手を振りながら近づいてくる。
私服姿なのに、なぜかやけに目立つ。
「ごめん、待った?」
「ううん。今来たところ」
本当は少し早く来ていたけれど、言わないでおく。
「……その、今日は……よろしくな」
「うん。よろしく」
それだけのやりとりなのに、二人とも少しだけぎこちない。
付き合い始めた、というだけで、今までと何も変わっていないはずなのに、距離の測り方だけがわからなくなる。
並んで正門を出る。
「なんか、不思議だな」
歩きながら、虎杖がぽつりと言った。
「高専から遊びに行くってだけで、ちょっと変な感じする」
「……わかる」
任務でも、買い出しでもない、ただの外出。
それだけで、今日は少し特別な日みたいに思えてしまう。
街に出ると、人の多さに少し驚いた。
休日の昼前らしく、どこも賑やかで、浮ついた空気がある。
「……人、多いな」
「うん」
並んで歩く距離は、近いのに、二人とも触れない。
手も、すぐそこにあるのに、伸ばせない。
意識しすぎているのは、たぶん、お互い様だった。
通りを歩いていると、ショーウィンドウに飾られた雑貨が目に入る。
「……あ」
透子が足を止める。
「ちょっと、あれ見ていい?」
「おう。俺、飲み物買ってくる」
ちょうど近くに自販機があった。
虎杖はそう言って、人混みの向こうに消えていく。
透子は、ガラス越しに並んだ小物を眺めながら、その場で待つことにした。
――こういうの、虎杖好きそうだな。
そんなことを考えながら、ぼんやり見ていた、そのときだった。
「ねえ」
少し軽い調子の声が、横からかかる。
「君、すごい綺麗だね。一人?」
振り向くと、年上そうな男が、やけに距離の近い位置に立っていた。
「え、あ……」
一瞬、言葉に詰まる。
「今、連れと――」
「連れ? どこ?」
男は、きょろきょろと周りを見回してから、また一歩、距離を詰めてくる。
「ちょっとお茶するだけでいいからさ。すぐそこだし」
笑いながら、でも距離は縮まる。
透子は、一歩引いた。
「……いえ、大丈夫です」
「そんな警戒しなくてもさ」
腕を掴まれそうになって、思わず身構えた、そのとき。
「すみません」
低く、はっきりした声が割り込んだ。
気づけば、虎杖が透子の前に立っていた。
「その人、俺の連れなんで。やめてもらえますか」
男は一瞬虎杖を見て、状況を理解したらしい。
「……あー、彼氏か。悪いね」
それだけ言って、興味を失ったように去っていった。
「……」
しばらく、二人とも動けなかった。
「……大丈夫か?」
虎杖が、少しだけ眉を下げて振り返る。
「う、うん……ありがとう……」
心臓が、変に速い。
「ごめん。目、離して」
「ううん、そんな……」
少し沈黙。
「……その、さ」
虎杖が、頭を掻く。
「嫌な思い、させたよな」
「……ちょっとだけ、びっくりはしたけど……」
それから、小さく息を吸って。
「……助けてくれて、嬉しかった」
「……っ」
虎杖の耳が、一気に赤くなる。
「い、いや! 当たり前だろ!」
「……当たり前、なんだ」
その言葉を反芻しただけで、胸の奥がじんわり熱くなる。
「……その……彼氏、なんだから」
さっきより、少しだけ小さな声。
透子の頬も、遅れて熱くなった。
「……うん」
気まずくて、でも、どこかくすぐったくて。
二人とも、しばらく視線を合わせられなかった。
それでも、歩き出すと、さっきよりほんの少しだけ、距離が近かった。
肩と肩が、たまに、軽く触れる。
それだけで、胸がうるさくなる。
二人は、照れたまま、通りの先へ歩いていった。