※リョウ視点
約束の時間より、五分だけ早く着いた。
駅前の小さな甘味処。
ガラス張りの店内は明るくて、放課後の学生や仕事帰りの人たちでほどほどに賑わっている。
――落ち着け、私。
深呼吸してから、スマホをポケットにしまう。
今日は、仕事じゃない。
帳も、報告書も、現場も関係ない。
……でも、「ただ会うだけの日」でもない。
それが分かっているせいか、心臓の音が、やけにうるさい。
「早いね」
背後から聞き慣れた声に、反射的に肩が跳ねた。
振り返ると、ロイド型のサングラスをかけた五条が立っている。
いつもと同じようで、どこか少しだけ違う。
一瞬、視線が、私の顔から足元まで下りる。
ほんの一拍。
それから、小さく息を吐くみたいに笑った。
「今日の格好、いいね」
「……え?」
「いつもより、ちゃんとしてる」
はっきりといつもと違うと言われて、胸の奥が跳ねる。
「……そ、そんなつもりじゃ……」
「ふーん?」
軽い調子で、もう一度だけ見る。
「でも、似合ってる。かわいい」
さらっと言われただけなのに、顔が熱くなる。
「……っ、からかわないでください」
「からかってないって。思ったまま」
それ以上は何も言わずに、先にドアを開ける。
「入ろ」
その言い方は、いつも通りなのに。
今日に限っては、それだけで少し緊張する。
席に案内されて、向かい合って座る。
メニューを開いても、文字が頭に入ってこない。
「何にする?」
「えっと……」
「悩むなら、看板のやつにしときな。大体外れないから」
それだけ言って、自分の分はもう決めているらしい。
……本当に、こういうところは普段と変わらない。
運ばれてきた甘味とお茶。
ひと口食べて、思わず小さく息を吐く。
「……おいしいです」
「でしょ」
それきり、しばらくは他愛ない話をした。
最近の任務のこと。高専の雑談。
内容は、いつもと変わらない。
でも。
――やっぱり、どこか違う。
会話の合間にできる、短い沈黙。
そのたびに、胸の奥がざわつく。
五条は、踏み込んでこない。
軽口は叩くのに、あの話題には触れない。
「……どうしたの」
不意に視線が合った。
「さっきから、全然食べてない」
「い、いえ……」
「考えごと?」
……だめだ。
ここまで来て、逃げたら。
私は、箸を置いて、背筋を伸ばした。
「あの……」
声が、思ったより小さくなる。
「この前の……お話なんですけど」
空気が、少しだけ変わる。
でも、五条は何も言わず、ただ待つ。
「……うん」
それだけ。
私は、息を吸った。
「ずっと、考えてました。仕事のこととか……立場とか……」
「うん」
「でも、それ以前に……」
指先に、力が入る。
「……私、五条さんの前だと、変になるんです」
視線を落としたまま続ける。
「落ち着かなくて……意識して……」
「……」
「それを、ずっと尊敬とか信頼だと思おうとしてたんですけど……」
小さく首を振る。
「……違いました」
それから、顔を上げる。
「私……五条さんのこと、好きです」
言った瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった。
五条は、ほんの一瞬だけ黙ってから、息を吐く。
「……そっか」
それだけ。
でも、その声は、さっきまでより少し柔らかい。
少しだけ間を置いて、視線を逸らしながら言う。
「じゃあ……」
それから、こちらを見る。
「答えは、付き合うでいい?」
冗談みたいな言い方なのに、目は真剣だった。
「……はい」
そう答えると、五条は一瞬だけ目を細めて、それから小さく笑った。
「……よかった」
ほとんど独り言みたいに。
「正直、確信はなかったからさ」
肩をすくめる。
「期待はしてたけど」
それから、少しだけ真面目な声になる。
「改めて言うね。僕は、君が好きだよ。仕事とか立場とか抜きで」
一拍置く。
「今までと同じ距離には戻りたくない。それだけ」
率直な言葉に、じんわりと胸が温かくなる。
それから二人は、また甘味に手を伸ばした。
さっきまでと同じ席、同じはずの距離。
――なのに、世界だけが、少し明るい。
視線が合うと、どちらからともなく小さく笑ってしまう。
私は、胸の奥に残る温度を確かめるみたいに、もう一度箸を持ち直した。