16.なにもしない休日

目を覚ましたとき、部屋の中にはまだ朝と呼ぶには曖昧な色が残っていた。

カーテン越しに差し込む光が薄くて、時間の輪郭がぼやけている。

いつもなら、任務だの呼び出しだのに追われて、半ば強制的に叩き起こされる時間帯だが、今日は静かだ。

枕元の時計を見ると、九時を少し回っている。
それでも焦る気配が今日はひとかけらもない。

本当に珍しい完全な休日だった。

五条悟はゆっくりと瞬きをして、それから視線だけ横に滑らせた。

すぐ隣に、規則正しい寝息。
白いシーツの上に、黒髪が少しだけ広がっている。

丸まった背中。
力の抜けきった指先。

任務中のきっちりした姿勢も、窓としての緊張感も、そこにはない。
ただ、寝ているだけの女の人。

(……ほんと、この人よく僕の家でこんな無防備に寝れるよね)

呆れ半分、感心半分。

最初の頃は、ベッドの端に申し訳なさそうに縮こまっていたくせに、今では普通に真ん中を占領している。
慣れって怖いな、とぼんやり思う。

リョウが小さく身じろぎをして、そっと布団から抜け出そうとした瞬間、五条は無意識に手を伸ばしていた。
服の裾を、軽く掴む。

「……リョウ」

自分でも寝ぼけた声が出る。

「どこ行くの……」
「トイレです」

即答だった。

「すぐ戻りますから」

子どもをあやすみたいな口調に、五条は何度かゆっくりと瞬きをする。
焦点が合わないまま、それでも離したくなくて、指先に少しだけ力を込めた。

「……すぐ?」
「すぐです」
「じゃあ、いってらっしゃい」
「はいはい」

完全に扱いが雑だ。
でも、それが嫌じゃない。
むしろ心地いい。
自分にだけ向けられる、この遠慮のなさが。

しばらくして戻ってきたリョウを見て、五条はベッドの上で体を起こした。
寝癖のついた視界の向こうで、彼女が当たり前みたいに「おはようございます」と言う。

「……おはよ」

声がまだ眠い。

「今日って、なんも予定なかったよね」
「ありませんよ。完全オフです」
「最高じゃん」

心からそう思った。
そのまままた枕に倒れ込みながら、天井を見上げる。

任務も呪霊も書類も、今日は全部関係ない。
世界が勝手に回ってくれている日。

「今日さ」
「はい」
「一歩も外出たくない」
「……奇遇ですね。私もです」

間髪入れず返ってくる。
五条は笑った。

ベッドの端に座るリョウの腕を、なんとなく掴んで引き寄せる。
抵抗はない。
当たり前みたいに横に座る。
それがもう自然すぎる光景になっていた。

「ご飯どうします?」
「めんどい」
「ですよね」
「Uberにしよっか?」
「賛成です」

最強術師と窓の会話とは思えない。
でも、こういうどうでもいいやり取りが、いちばん落ち着く。

五条は枕に顔を半分埋めたまま、横目でリョウを見る。

この人は放っておくと、休日でも勝手に誰かの仕事を始める。
書類整理とか、後輩のフォローとか、頼まれてもいないことまで。
だから先に釘を刺しておかないといけない。

「リョウ」
「はい」
「今日、何もしない日にしよ」
「もう十分何もしてませんけど」
「違う違う。義務感ゼロのやつ」

少し身を起こして距離を詰める。
近づいても、リョウは逃げない。
それが、妙に嬉しい。

「放っとくとすぐ誰かのために動くでしょ」
「そんなことないですよ」
「あるある」

軽く笑う。

「だから今日は僕の隣でダラダラする係ね」
「係ってなんですか」
「重要ポジション」

呆れたみたいに小さく息を吐いて、それでもリョウはベッドに残った。
離れない。
それだけで十分だった。

五条は腕を伸ばして、彼女の肩を引き寄せる。
髪の匂いが近い。
体温がじんわり伝わる。

戦場より、こっちのほうがよっぽど心拍数が上がるの、どうなんだろうな、と他人事みたいに思う。

「僕ね」
「はい」
「リョウといる時がいちばん楽」

飾る気もなく、そのまま言葉が出た。
冗談でも軽口でもなく、ただの事実として。

リョウは少しだけ目を瞬いて、それから困ったように笑う。

「……私も、似たようなものです」

声は小さいけど、誤魔化しがない。
それだけで十分だった。

五条は彼女の肩に額を預けて、ゆっくり目を閉じる。

今日は戦わなくていい。
守らなくていい。
ただ、この人の隣でだらだらしているだけでいい。

そんな一日があっても、たぶん世界は滅びない。

だったら。

たまには、最強も休んだっていいだろうと、五条は心の底から思っていた。