目を覚ましたとき、部屋の中にはまだ朝と呼ぶには曖昧な色が残っていた。
カーテン越しに差し込む光が薄くて、時間の輪郭がぼやけている。
いつもなら、任務だの呼び出しだのに追われて、半ば強制的に叩き起こされる時間帯だが、今日は静かだ。
枕元の時計を見ると、九時を少し回っている。
それでも焦る気配が今日はひとかけらもない。
本当に珍しい完全な休日だった。
五条悟はゆっくりと瞬きをして、それから視線だけ横に滑らせた。
すぐ隣に、規則正しい寝息。
白いシーツの上に、黒髪が少しだけ広がっている。
丸まった背中。
力の抜けきった指先。
任務中のきっちりした姿勢も、窓としての緊張感も、そこにはない。
ただ、寝ているだけの女の人。
(……ほんと、この人よく僕の家でこんな無防備に寝れるよね)
呆れ半分、感心半分。
最初の頃は、ベッドの端に申し訳なさそうに縮こまっていたくせに、今では普通に真ん中を占領している。
慣れって怖いな、とぼんやり思う。
リョウが小さく身じろぎをして、そっと布団から抜け出そうとした瞬間、五条は無意識に手を伸ばしていた。
服の裾を、軽く掴む。
「……リョウ」
自分でも寝ぼけた声が出る。
「どこ行くの……」
「トイレです」
即答だった。
「すぐ戻りますから」
子どもをあやすみたいな口調に、五条は何度かゆっくりと瞬きをする。
焦点が合わないまま、それでも離したくなくて、指先に少しだけ力を込めた。
「……すぐ?」
「すぐです」
「じゃあ、いってらっしゃい」
「はいはい」
完全に扱いが雑だ。
でも、それが嫌じゃない。
むしろ心地いい。
自分にだけ向けられる、この遠慮のなさが。
しばらくして戻ってきたリョウを見て、五条はベッドの上で体を起こした。
寝癖のついた視界の向こうで、彼女が当たり前みたいに「おはようございます」と言う。
「……おはよ」
声がまだ眠い。
「今日って、なんも予定なかったよね」
「ありませんよ。完全オフです」
「最高じゃん」
心からそう思った。
そのまままた枕に倒れ込みながら、天井を見上げる。
任務も呪霊も書類も、今日は全部関係ない。
世界が勝手に回ってくれている日。
「今日さ」
「はい」
「一歩も外出たくない」
「……奇遇ですね。私もです」
間髪入れず返ってくる。
五条は笑った。
ベッドの端に座るリョウの腕を、なんとなく掴んで引き寄せる。
抵抗はない。
当たり前みたいに横に座る。
それがもう自然すぎる光景になっていた。
「ご飯どうします?」
「めんどい」
「ですよね」
「Uberにしよっか?」
「賛成です」
最強術師と窓の会話とは思えない。
でも、こういうどうでもいいやり取りが、いちばん落ち着く。
五条は枕に顔を半分埋めたまま、横目でリョウを見る。
この人は放っておくと、休日でも勝手に誰かの仕事を始める。
書類整理とか、後輩のフォローとか、頼まれてもいないことまで。
だから先に釘を刺しておかないといけない。
「リョウ」
「はい」
「今日、何もしない日にしよ」
「もう十分何もしてませんけど」
「違う違う。義務感ゼロのやつ」
少し身を起こして距離を詰める。
近づいても、リョウは逃げない。
それが、妙に嬉しい。
「放っとくとすぐ誰かのために動くでしょ」
「そんなことないですよ」
「あるある」
軽く笑う。
「だから今日は僕の隣でダラダラする係ね」
「係ってなんですか」
「重要ポジション」
呆れたみたいに小さく息を吐いて、それでもリョウはベッドに残った。
離れない。
それだけで十分だった。
五条は腕を伸ばして、彼女の肩を引き寄せる。
髪の匂いが近い。
体温がじんわり伝わる。
戦場より、こっちのほうがよっぽど心拍数が上がるの、どうなんだろうな、と他人事みたいに思う。
「僕ね」
「はい」
「リョウといる時がいちばん楽」
飾る気もなく、そのまま言葉が出た。
冗談でも軽口でもなく、ただの事実として。
リョウは少しだけ目を瞬いて、それから困ったように笑う。
「……私も、似たようなものです」
声は小さいけど、誤魔化しがない。
それだけで十分だった。
五条は彼女の肩に額を預けて、ゆっくり目を閉じる。
今日は戦わなくていい。
守らなくていい。
ただ、この人の隣でだらだらしているだけでいい。
そんな一日があっても、たぶん世界は滅びない。
だったら。
たまには、最強も休んだっていいだろうと、五条は心の底から思っていた。