4.ほつれた糸の絡め方

午後の訓練場には、乾いた風がゆるく吹き抜けていた。

一角には、簡易的に張られた結界が淡く光っている。
その内側には崩された瓦礫がいくつも連なり、足場は不安定で、視界も悪い実戦仕様の区画が整えられていた。

結界の外では、1年の訓練の監督役として五条、夏油、そして家入が立たされている。

五条は、暇だとでも言うように小さく欠伸を噛み殺した。

「……だっる」
「聞こえてるよ」

隣で家入が呆れた声を出す。

「別にいいじゃん。実際やることねーし」

五条のあけすけな物言いに、家入は肩をすくめる。
少し離れた場所で、夏油も苦笑しながら腕を組み、静かにフィールドを眺めていた。

結界の中では、1年生が訓練として模擬呪霊と戦っていた。

七海が前衛で踏み込み、灰原がその横を走る。
その後ろには、小さな背中が、ひとつあった。
陽毬。
後方で、必死に呪力を回している。
細い指先から流れるそれは、不思議なくらい安定していた。

(……ほんと、あれだけは上手いんだよな)

ぼんやりと、五条は陽毬を見る。

『あの子、サポート上手いね』

以前、夏油が何気なくそう言ったことがあった。

あの頃から、夏油はよく陽毬を気にかけていた。
廊下ですれ違えば自然に声をかけ、荷物を持ってやったり、雑談に付き合ったりしている。
陽毬も、夏油相手ならそれほど緊張しないのか、普段よりリラックスしているように見えた。

しかし、五条の前に来ると、途端に固まる。
目が泳いで、肩が跳ねて、まるで猛獣でも見たみたいな顔をする。
意味がわからなかった。

『悟、もうちょっと陽毬ちゃんのこと考えてあげな』

夏油からまるで自分の方がよくわかっているように言われて、なぜか腹が立ったのも覚えている。
別にどうでもいいはずなのに。

模擬呪霊が現れる。
七海が即座に斬り伏せる。
灰原が追撃する。
陽毬の呪力が、わずかに遅れて滑り込む。
しかし、出力がぴたりと重なり、二人の動きがぶれない。

きれいに噛み合っていた。
危なげなく、終わる。

「……はーい、終了ー」

五条は気の抜けた声をかけた。
結界が解け、張りつめていた空気がほどける。

生徒たちが戻ってくる。
七海が端末を開き、灰原が横から覗き込み、陽毬は少し離れたところで所在なさげに立っている。

全員が、なんとなく五条の方を見る。
面倒だとは思ったが、終わらせるために声を上げた。

「七海、固い。灰原、前出すぎ」
「はい」
「はーい!」

適当に講評をして、さっさと切り上げるつもりだった。
けれど。

「陽毬」
「……っ、はい!」

びくっと背筋が伸びる。

「今くらいでいい」

一拍置いて。

「無理に前出んな。あの位置が一番ハマってる」

陽毬が目を丸くした。
ただ事実を言っただけなのに、意外そうな顔をしている。

「……以上。解散」

それだけ告げて、五条は踵を返した。
夕方の校舎へ向かう。
砂利を踏む音が訓練場に響く。
その時。

「……五条先輩!」

陽毬が小走りで追いかけてきた。
息を切らしながら、それでも逃げずに五条と向かい合う。

「……何」
「さっきは、ありがとうございました」

深く頭を下げる。

「配置、すごくやりやすくて」
「……そりゃよかった」

歩き出そうとする。
けれど、気配が離れない。

「あの……」

陽毬は迷って、意を決したように顔を上げる。

「もっと良くするには、どうしたらいいですか」

五条は足を止めた。

「今日は七海くんの動きに、合わせるだけで精一杯で……」

真剣な目をしていた。
怖がっている目ではなかった。
本気で教えを請う人間の目。

「……お前さ」

気づけば、足先で地面に線を引いていた。

「後ろいるなら前見すぎんな。七海を見とけ」
「……はい」
「七海が踏み込む一歩前で出力上げろ。合わせりゃ勝手に噛み合う」

陽毬の表情がぱっと変わる。

「あと下がるのが遅い。呪霊が動いてから反応してんだろ」

軽く舌打ち。

「呪霊の動きを予測して動け。これは慣れの部分も大きい。回数をこなせば考える前に体が動くようになる」

言葉が止まらない。
身振りが増えて、説明が具体的になる。
陽毬は食い入るように聞いていた。

「……やっぱり五条先輩って、すごいですね」

ぽつりとつぶやく。

「全部見えてるんですね」

尊敬の念をただ伝えるように、まっすぐな声で陽毬が告げた。

「……別、に」

五条は何となくいたたまれなくなって、視線を逸らす。

「……普通だろ」
「普通じゃないです」

きっぱりと陽毬は言い切る。
逃げ道がないように感じられてむず痒くなり、五条は歩き出した。

「……帰るぞ」

数歩遅れて、陽毬が小さく言う。

「私も、一緒に行きます」

思わず足が止まった。

「……好きにしろ」
「はい」

今までで一番柔らかい声だった。
後ろに続くのではなく、隣に並ばれる。
それが妙に自然で、違和感がなかった。

校舎の入口で、七海たちに呼ばれ、陽毬はそちらへ戻っていった。
その背中を、五条はなんとなく目で追う。

「おつかれ、悟」

入口付近に、夏油が立っていた。

「陽毬ちゃんと、ずいぶん打ち解けたみたいだね」

不意に、夏油が言う。
茶化しも、笑いもない静かな声音だった。

「……まぁ、なりゆきでな」
「よかったじゃない」
「……なんか、含みのある言い方に聞こえんだけど」
「そんなことないよ。そのまんまの意味」
「……ふーん」

否定する理由が、思いつかなかった。
気を遣う必要も、もうない気がした。
ただ、少しだけ。
陽毬と話すのが、前より楽になった。

(……まぁ、いっか)

五条はポケットに手を突っ込み、夕焼けの廊下を夏油と並んで歩いた。
理由はわからないまま、口元だけがわずかに緩んでいた。