午後の訓練場には、乾いた風がゆるく吹き抜けていた。
一角には、簡易的に張られた結界が淡く光っている。
その内側には崩された瓦礫がいくつも連なり、足場は不安定で、視界も悪い実戦仕様の区画が整えられていた。
結界の外では、1年の訓練の監督役として五条、夏油、そして家入が立たされている。
五条は、暇だとでも言うように小さく欠伸を噛み殺した。
「……だっる」
「聞こえてるよ」
隣で家入が呆れた声を出す。
「別にいいじゃん。実際やることねーし」
五条のあけすけな物言いに、家入は肩をすくめる。
少し離れた場所で、夏油も苦笑しながら腕を組み、静かにフィールドを眺めていた。
結界の中では、1年生が訓練として模擬呪霊と戦っていた。
七海が前衛で踏み込み、灰原がその横を走る。
その後ろには、小さな背中が、ひとつあった。
陽毬。
後方で、必死に呪力を回している。
細い指先から流れるそれは、不思議なくらい安定していた。
(……ほんと、あれだけは上手いんだよな)
ぼんやりと、五条は陽毬を見る。
『あの子、サポート上手いね』
以前、夏油が何気なくそう言ったことがあった。
あの頃から、夏油はよく陽毬を気にかけていた。
廊下ですれ違えば自然に声をかけ、荷物を持ってやったり、雑談に付き合ったりしている。
陽毬も、夏油相手ならそれほど緊張しないのか、普段よりリラックスしているように見えた。
しかし、五条の前に来ると、途端に固まる。
目が泳いで、肩が跳ねて、まるで猛獣でも見たみたいな顔をする。
意味がわからなかった。
『悟、もうちょっと陽毬ちゃんのこと考えてあげな』
夏油からまるで自分の方がよくわかっているように言われて、なぜか腹が立ったのも覚えている。
別にどうでもいいはずなのに。
模擬呪霊が現れる。
七海が即座に斬り伏せる。
灰原が追撃する。
陽毬の呪力が、わずかに遅れて滑り込む。
しかし、出力がぴたりと重なり、二人の動きがぶれない。
きれいに噛み合っていた。
危なげなく、終わる。
「……はーい、終了ー」
五条は気の抜けた声をかけた。
結界が解け、張りつめていた空気がほどける。
生徒たちが戻ってくる。
七海が端末を開き、灰原が横から覗き込み、陽毬は少し離れたところで所在なさげに立っている。
全員が、なんとなく五条の方を見る。
面倒だとは思ったが、終わらせるために声を上げた。
「七海、固い。灰原、前出すぎ」
「はい」
「はーい!」
適当に講評をして、さっさと切り上げるつもりだった。
けれど。
「陽毬」
「……っ、はい!」
びくっと背筋が伸びる。
「今くらいでいい」
一拍置いて。
「無理に前出んな。あの位置が一番ハマってる」
陽毬が目を丸くした。
ただ事実を言っただけなのに、意外そうな顔をしている。
「……以上。解散」
それだけ告げて、五条は踵を返した。
夕方の校舎へ向かう。
砂利を踏む音が訓練場に響く。
その時。
「……五条先輩!」
陽毬が小走りで追いかけてきた。
息を切らしながら、それでも逃げずに五条と向かい合う。
「……何」
「さっきは、ありがとうございました」
深く頭を下げる。
「配置、すごくやりやすくて」
「……そりゃよかった」
歩き出そうとする。
けれど、気配が離れない。
「あの……」
陽毬は迷って、意を決したように顔を上げる。
「もっと良くするには、どうしたらいいですか」
五条は足を止めた。
「今日は七海くんの動きに、合わせるだけで精一杯で……」
真剣な目をしていた。
怖がっている目ではなかった。
本気で教えを請う人間の目。
「……お前さ」
気づけば、足先で地面に線を引いていた。
「後ろいるなら前見すぎんな。七海を見とけ」
「……はい」
「七海が踏み込む一歩前で出力上げろ。合わせりゃ勝手に噛み合う」
陽毬の表情がぱっと変わる。
「あと下がるのが遅い。呪霊が動いてから反応してんだろ」
軽く舌打ち。
「呪霊の動きを予測して動け。これは慣れの部分も大きい。回数をこなせば考える前に体が動くようになる」
言葉が止まらない。
身振りが増えて、説明が具体的になる。
陽毬は食い入るように聞いていた。
「……やっぱり五条先輩って、すごいですね」
ぽつりとつぶやく。
「全部見えてるんですね」
尊敬の念をただ伝えるように、まっすぐな声で陽毬が告げた。
「……別、に」
五条は何となくいたたまれなくなって、視線を逸らす。
「……普通だろ」
「普通じゃないです」
きっぱりと陽毬は言い切る。
逃げ道がないように感じられてむず痒くなり、五条は歩き出した。
「……帰るぞ」
数歩遅れて、陽毬が小さく言う。
「私も、一緒に行きます」
思わず足が止まった。
「……好きにしろ」
「はい」
今までで一番柔らかい声だった。
後ろに続くのではなく、隣に並ばれる。
それが妙に自然で、違和感がなかった。
校舎の入口で、七海たちに呼ばれ、陽毬はそちらへ戻っていった。
その背中を、五条はなんとなく目で追う。
「おつかれ、悟」
入口付近に、夏油が立っていた。
「陽毬ちゃんと、ずいぶん打ち解けたみたいだね」
不意に、夏油が言う。
茶化しも、笑いもない静かな声音だった。
「……まぁ、なりゆきでな」
「よかったじゃない」
「……なんか、含みのある言い方に聞こえんだけど」
「そんなことないよ。そのまんまの意味」
「……ふーん」
否定する理由が、思いつかなかった。
気を遣う必要も、もうない気がした。
ただ、少しだけ。
陽毬と話すのが、前より楽になった。
(……まぁ、いっか)
五条はポケットに手を突っ込み、夕焼けの廊下を夏油と並んで歩いた。
理由はわからないまま、口元だけがわずかに緩んでいた。