10-3.『確かめたいの』B

唇が離れても、すぐには距離を取れなかった。

どれくらいの時間だったのか分からない。
ただ、互いの呼吸だけがやけに近くて、夜の静けさの中でそれだけがはっきり聞こえていた。

先に我に返ったのは、たぶん俺だった。
ゆっくり体を起こす。
ひよりはまだベッドの上に横になったまま、瞬きすら忘れたみたいに天井を見ていた。

「……」

反応がない。
さっきまでちゃんと会話していたはずなのに、完全に思考が止まっている顔だった。
頬だけが、じわじわと赤くなっていく。
数秒待つ。
十秒。
……まだ動かない。

「……おい」

声をかけても返事がない。
目だけがゆっくりこっちを向く。
焦点が合っていない。

「……これで分かったかよ」

低く言うと、ひよりのまつ毛がぴくりと震えた。
けれど理解が追いついていないらしい。
口が少し開く。
閉じる。
また開く。

「……え」

出てきたのは、それだけだった。
完全に処理落ちしている。
額に手を当てると、ひよりの体がびくっと跳ねた。
その反応でようやく現実に戻り始めたらしい。

「ちょ、ま……え、いま……」

言葉が続かない。
視線が右往左往して、また俺に戻る。
顔がみるみる赤くなる。
本当に湯気が出そうな勢いだった。

「……理解遅すぎだろ」

呆れて言うと、ひよりは両手で顔を覆った。

「まって……ちょっと……まって……」

指の隙間から声が漏れる。

「頭が……追いつかない……」
「だろうな」
「だって……え……」

指がぱたぱた動く。
落ち着こうとして失敗しているのが丸分かりだった。
しばらくして、ひよりがそろそろと手を下ろす。
まだ顔は真っ赤なまま。
視線が合った瞬間、また逸れる。

「……恵」
「なんだ」
「……今の、ほんと?」
「夢だと思うか?」

即答すると、ひよりは小さく首を振った。
それから、数秒考え込む。
考えて。
また考えて。
完全に思考が迷子になっている。

「……私、いま」

ぽつりと言う。

「どうしたらいいの……?」

思わず息が漏れた。
笑いそうになって、抑える。

「知らねぇよ」

正直に答えると、ひよりが困った顔でこっちを見る。
その顔があまりにも無防備で、胸の奥が静かに熱くなる。
さっきまで触れていた距離を思い出して、視線を少し外した。

「……とりあえず」

言いながら、乱れた髪を指で軽く整える。
ひよりが固まる。
また赤くなる。

「今日はもう部屋に帰れ」
「えっ」
「これ以上いたら、たぶん俺が理性保てない」

言ってから、自分で少しだけ後悔した。
ひよりの顔が一瞬止まる。
それから、理解した瞬間みたいにさらに赤くなる。

「……っ」

声にならない音を出して、慌てて立ち上がる。
けれど足元がふらついて、ベッドの端に手をついた。
まだ処理が終わっていないらしい。

「大丈夫か」
「だ、大丈夫……たぶん……」

全然大丈夫そうじゃない。
ドアの方へ歩き出して、途中で止まる。
振り返る。
何か言いたそうに口を開いて、閉じる。
数秒迷ってから、小さく言った。

「……あとで、ちゃんと考える」
「……おう」

それだけで十分だった。
ひよりは頷いて、今度こそ部屋を出ていく。
ドアが閉まる。
静寂。
俺はその場に立ったまま、しばらく動けなかった。
唇に、まだ感触が残っている。
手で顔を覆う。

「……マジかよ」

遅れて実感が押し寄せる。
戻れないところまで来た、という確かな感覚だけが、静かに胸の奥に沈んでいった。


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