2.暗闇の中で

その日は、雨が降っていた。

大した嵐でもなかったのに、夜になってから、ひよりはずっと落ち着きがなかった。
飯の時も、どこか上の空。

風呂の準備をしている時も、いつもより動きが遅い。

「先に入れ」
「……うん」

そう言って浴室に入っていったはずなのに、しばらくすると廊下から声がした。

「……恵」
「……なんだ」

脱衣所の外から返事をする。

「……いる?」
「いる」

それで一度は静かになる。
けど、少しするとまた。

「……恵」
「……いる」

それでも、しばらくすると、また不安そうに名前を呼ぶ。

「ちゃんと外にいる。いいから早く上がれ」

ドア越しにそう言うと、ようやく「……うん」と小さな返事が返ってきた。

風呂から出てきたひよりは、さっきより少しだけ安心した顔をしていた。

けど、今度は布団を敷いてからも、なかなか自分の部屋に戻ろうとしない。
津美紀はもう寝ている。
時計を見ると、とっくにいつもの寝る時間を過ぎていた。

「……どうした」
「……なんでもない」

どう見ても、なんでもなさそうではない。

「早く寝ろ」
「……うん」

そう言って部屋に戻ったはずだった。

——のに。

しばらくして、廊下から小さな足音。
ノックもなしに、襖が少し開いて、ひよりが顔を出す。

「……恵」

嫌な予感しかしない。

「……なんだ」
「……眠れない」

やっぱりか。

「怖いなら、津美紀のとこ行け」
「……やだ」

即答だった。
そのまま、黙って立っている。

……放っておくわけにもいかない。

「……来い」

そう言うと、ひよりはほっとしたみたいに、小さく息を吐いた。
布団の端に座って、少し迷ってから、こっちを見る。

「……一緒に寝てもいい?」
「……今日は特別だからな」
「……うん」

静かに布団に入ってくる。
最初は少し距離を空けていたのに、しばらくすると、もぞもぞ動いて、俺の袖を掴んでいる。

「……怖い」

小さい声。
何が、とは聞かなかった。
たぶん、言葉にできるようなもんじゃない。

「……ここは大丈夫だ」

そう言うと、少しだけ力が抜けたみたいだった。

「……恵がいるから?」
「……まあ、な」

しばらくして、ひよりの呼吸がゆっくりになる。

「……ねえ」
「ん?」
「……ずっと、ここにいていい?」

答えに詰まる。
先のことなんて、わからない。
俺一人の力で、どこまで守れるのかも。
それでも。

「……少なくとも、今はな」
「……それでいい」

そう言って、ひよりは俺の腕に額を寄せたまま眠った。

……重い。

でも、どかす気にはならなかった。
外は、まだ雨が降っている。
それでも、この部屋の中は静かだった。

——守れるものは少ない。

でも、少なくとも、ここだけは。
そう思いながら、目を閉じた。


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