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「さて、そろそろいくよ。ごちそうさまでした」
「いえいえ、こちらこそ紅茶ごちそうさまです。なんか引き止めちゃったし…。あ、湯飲みは洗っておきますよ!
お疲れさまです!」
「ありがとう。お疲れさま」
山崎の言葉に甘え、事務所の、連絡事項が書かれたホワイトボードを確認して事務所を出る。
孝信とは目も合わさずに従業員に挨拶をしつつ先に外へ出た。
孝信も後について来て、外に出るなりマルボロに火を点ける。
「通りがかったんでな」
通りがかったなんて白々しい。仕事場まで来ておいてなんだ。
「ドライブでもどうだ?」
「病院に?」
「個人的に」
よく言う。本当は閉院前で、患者のところに行って来るとでも言ってきているくせに。
孝信は煙草の煙が上って行くのをぼんやりと見送っている。見送っても、どうせ拡散してしまうというのに。
「帰りは家でいいか?どうせ歩きで来てるんだろ?」
煙草が減ってきた頃、ふと言う。こうして俺の色々な細かい事まで把握されていることが不快だ。
「…いいよ」
火を消して煙草の吸殻を携帯灰皿に捨てる。
駐車場まで歩いていくと、探す前に孝信の白いメルセデスが目立って分かった。
鍵に付いているボタンを押すと、離れた位置でもロックが外れるらしい。
車のドアを開けて薫る、きつすぎない香水が妙に落ち着く。確か金木犀の香水だ。
孝信は車内では煙草を吸わない。この香りと車内を守るためだ。
「随分楽しそうだったな」
「…今週は病院に行ったけど」
「今の俺は個人だ。
俺はお前の事を心配しているんだ。お前がこうして人と接する仕事を普通にこなしているのを見て、良かったって思ってる」
心の底が、嫌なほど言葉に浮上していることに気付いているのだろうか。
いつもそうだ。お前にとって俺は“可哀想な奴”なんだろ?そう言い切ったお前の顔、自尊心で歪んでいるように見えるのは気のせいか?
「…じゃぁ睡眠薬をくれよ」
「お前なぁ、」
「眠れねぇんだよ」
狼狽えた孝信を見て、俺は思わず笑ってしまった。
「そういうんじゃねぇよ。大丈夫、馬鹿なことはしない」
俺は死ねない。自分を殺してやるほど自分を許していない。
「…催眠作用の強い安定剤に変えることを検討しておく」
そして少しの間が生まれた。こんな時、コイツに言ってやりたいことなんて山程あるのに、まだ言うまでの確信がない。
「…|雪史《ゆきひと》」
ふと呼ばれたその声に、何とも言い難い慈悲っぽさが滲んでいる。眼を見なくても、どんな表情をしているのが分かる。だから眼を見て話すことなんてしない。
「何だよ」
「あの子、何て名前だ?」
「あの子?」
「ほら、さっきの」
「あ、ああ。山崎か」
「あの子、いい子じゃないか」
「…だから?」
だからと聞かなくても分かっている。横目で見た顔がにやにやとしていた。
「どうなんだ?」
「は?」
「あーゆー子、いいと思うんだけどなぁ」
「いい子だよ。だけど別にそういうんじゃない」
「多分あっちはそうでもないぜ?少なくとも先輩後輩以上でみてる、あの目は」
こいつは俺の優位に立とうとしてお節介を焼くクセに、何も知らないんだ。
イライラする。
そんなんで俺が何とかすると、本気で思っているのか、コイツは。馬鹿みたいだ。そんなもので俺が過去から解放されると思っているのか?
「なあ、雪史、」
「着くまで眠らせてくれよ」
お前の話なんてもう、聞きたくない。
だけど、寝たら寝たできっとまたあの夢を見るんだ。
それでいい。俺は忘れちゃいけないんだ。これは罰だ。あの焼け付くような火の中。その日からの鎖だ。
ただ眼を閉じた。またあの日を繰り返すと分かっていながら。
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