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「え、何がでありましょうか」
辛うじて用意された寝所で翡翠は、そんな朱鷺貴を物ともせず、和尚に貰ったらしい経文に目を通し寝転んでいる始末…。
「…え、何してんの」
「何って、勉強です」
「つくづくすげぇよ…」
環境への溶け込み具合。しかし翡翠はなんも取っ掛かりなく「はぁ…」と疑問を呈すようで。
意外と真面目であることがわかった。
「…和尚様が言うておりましたえ。“郷に入れば郷に従え”と」
「まぁ、うん…」
「何か疑問でありましょうか」
「いや、うーん…」
「上手くいかなかったのですかトキさん」
しかも、こう、つついてくるもんだから思わず「まぁ…」と弱気になる。
「相手を知らんと、懐に入るんは難しいやろう」
「…お前は上手いよなぁ」
「まぁ、生業ですな」
生業、か。
お前の方が坊主に向いているなぁ、ホンマ。
「あ、トキさんちょっと。
ここって、どういった意味合いで?」
「ホントにお前はどうしちゃったの!?」
「はぁ?」
経文を指し聞いてくる。
至極真面目。意外な一面。
「いや、一応はあんさんの従者やさかいに」
「はぁ…」
何ソレ。
こいつこんな奴なの?
しかしまぁ、確かに。こんな奴でなきゃ、ヤクザ入って身体に墨とか入れられんかと妙なところで行き着く。
なるほどこの若者、ここで3日の生きる術を見つけたらしい。
「んーと…。
知ることもなければ、得ることもない。得ることもないのだから、悟りを求めている者は、知恵の完成に住する。
と言ったところか」
「なるほど非常に美辞麗句」
「まぁ、はぁ」
「お坊様は毎日このようなことを唱えて楽しいのでしょうか?甚だ同意しかねますけど」
感心したのを撤回しようと朱鷺貴は苦笑いをした。
気持ちはわかるがここ、寺なんですけど。非常に不謹慎だ、こいつ。
「…やっぱお前向いてない」
「まぁ、坊様よかぁ裏を生きてましたから」
自分の性分をよくおわかりで。
ならばより疑問。
「…お前やけに和尚へ肩入れするな」
「はぁ…」
「世話を買って出るとは思わなかったが」
しかも盲人の扱いに慣れている。
少し、興味が湧いた。
「…わてもまぁ、忘れていなくてよかったと自分を褒めてあげますが」
「忘れてなくて?」
「はぁ、まぁ薬屋やし」
「うーん」
「言いませんでした?
わて、姉がおりまして」
「あぁ、芥子で死んだと」
「せやから調合やら何やら覚えねばあかんと、商売を始めたんですよ」
「なるほどそうだったのか…」
まさしく郷に入れば、だ。
生きる知恵なのか、それも。
「そして母は盲人でした。なんで、なんとなく、何が不自由なんかはわかる気がするんですわ」
「はぁ…」
再び感心。素直に、「お前、苦労してんのな」と口を吐いた。
世を捨てるより、ある意味難儀だ、それ。そう朱鷺貴は考える。
「俗世を捨てるにもなかなか度胸はいるかと思いますけどね」
「どうかな…。
捨てるよか得る方が難儀だと、坊主だから言うが」
はっきり言えば自分は坊主なんて、不可抗力だったのだし、だから捨てようということにしている自分よりは、なかなか貪欲でもあり辛いだろうに。
「まぁ、確かに得るのは楽やありませんが」
そう言って翡翠は経文を閉じ、笑った。
「トキさんが思うより立派やないですよ、わては」
そうなのか。
「さぁーて、」
ふと翡翠は背伸びをした。
どうやら疲れてはいるらしい。
「あんさん、思うにこうして、書き残してみては如何?」
「え?」
「薬の教授ですよ」
なるほど。
「なかなか良いこと言うね」
「へへー、せやろー」
「憎たらしいけどな」
んー、と身体を伸ばしてから。
「寝ましょうかトキさん」
「確かに」
こちらもこちらで、疲れた。
しかし、ならばと行灯を消して寝転がれば、やはり翡翠は朱鷺貴の布団に入り込むように背中へしがみついてきて。
別に嫌ではないが違和感はある。
「…それは昔からの癖なのか」
「え?はい。
いや、嫌ならええんですがあんさんも健やかに寝たくばお許しくださいね」
「…どーゆーこと?」
「持病いうやつです。わて、眠れずに暴れることがあるらしいので」
「なにそれ!」
「何度かそれで取っ捕まったことが」
「わかったわかった!怖いから早く寝て!」
はいはいと言い、暫くしてから寝息が聞こえ、恐る恐る背中を見れば、やはりこの前のように丸まって…それはまるで、何かから身を守るよう。
朱鷺貴の着物をがっつり握って翡翠は寝ていたが、今回は前と比べ、健やかそうだった。
「…子供かよ」
まだ、大人になれていない心境なのかもしれない。
だとしたらやはり難儀だ。薬屋を自称するが男娼宿にいたわけだしヤクザ抜けだし。
本当にに少し、興味を持ったのかもしれない。自分は、これに。
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