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 翌朝、陽が紅よりも橙に登った頃に二人は天命寺に向かう。

 朝が霜のような蒸気に包まれた石段は、昨日の惨状を嘘のように明るく照らしている。二人とも、非現実的な実情に寒気のような日常を見た気がした。

 結局世は、世界という惑星はこうして廻り、毎日があるのかと痛感、把握した。

 長い石段を登りながら「寒くなってきたなぁ」と、少し顔を紅くした朱鷺貴は言う。

「しかし…」

 この男から、自分よりも蒸気が登ってはいないか、と翡翠は朱鷺貴を見て思う。

 今更ながら聞いてみようと「あの、」と翡翠は朱鷺貴に声を掛けた。

「なんだ」
「その坊様の格好というんは、なんでしょ、布が3枚あるわけですよね。暑くはないんやろか、それ」
「ん?お前寒いのか」

 まぁ褌ないもんね、とか軽口調で朱鷺貴に言われては「いや、」と、ズレた論点を戻したくはなる。

「それもそうなんやけど」
「しろよ。それはなんだ、こう、風とか股間に入らないわけ?」
「いや入りますが、」
「だよなぁ。気持ち悪くないの?」
「慣れです。せやなくて。
 羽織と着流しで漸くこう、「寒いな」になるんやけど貴方はなんですか。3枚で蒸気を発しながら「寒いな」と言うのは一体どちらなんです?」
「いや冬用だよちゃんと」
「熱いのですか?」
「寒いよ。だから言ってんじゃん。お前の格好正直信じられない」
「はぁ、」

 ダメだズレている。
 互いに思った。

「仕方ないじゃん。袈裟ないと俺なんて浪人じゃん胡散臭いじゃん」
「今の方がより珍妙な気がするんやけど」

 それはお前のせいでもあるわ。
 そう朱鷺貴は翡翠に対し思ったが、言わなかった。多分案外この従者は気にしている。

「さぁて…」

 鳥居が見えてきた。
 どうやら案外無事かもしれない。無駄足だといいなと少し思いながら鳥居を潜れば。

 棟はわりと燃えていた。周りの木々も少々飛び火したらしいが、形はまだあった。
 いまは小姓が忙しないのも見える。どうやら、避難は出来たらしい。確かに川が近くにあったし。

 しかしどうだろうか。あの和尚は。

「…貴殿方…」

 一人の小姓が二人に気付いて声を掛けてきた。しかし小姓からは疲労が見える。恐らくはずっと作業をしていたに違いない。

「…どうしましたか」
「下の街に泊まっていた。したら山火事だと、街の者が騒いでいてな」
「…そうですか」
「…何か出来ればと」
「有り難いですが、
 すみません、我々皆、」

 小姓は言葉に詰まって俯いたが、それからはっきりと二人を睨むように見て言った。

「疑心暗鬼ですので、混乱も生むと思います。有り難いですが我々でどうにかしようと思います」
「…疑心暗鬼、か」
「…言いたくありませんが、
貴殿方が去ってすぐにまたヤクザが現れました。何も言わずに火を掛け言ったのは「薬屋はいないな」と」
「…なるほど」

 朱鷺貴が翡翠を見やれば、自分の予想よりもはっきりと小姓を見据えているようだった。

「なるほどとは、如何な」
「なんでもない、それは、」
「わての、」

 言おうとした翡翠を朱鷺貴は片手で制する。
 それを言うべきではない。気持ちは汲むが、なにより被害の方が重要だ。

「…疑心暗鬼とは何かと考えただけだ。確かに俺やこいつは見た目が妙だからな。ここには傷跡も残して追い出されたし。
 だがまぁ、道徳として来たのだが、却ってそれは不道徳だったな。すまない」
「…あの、小姓さん。
 せめて、八鶴《やつる》お尚様と八景《はっけい》さんは、如何に」
「…八鶴様と西運《さいうん》様は離におりましたから、」
「それは…」

 小姓から落胆が見えた。
 そうか、つまり。

「八景はどうした」
「…焼けた離から脱け殻のように、動こうともしませんよ、情けない。
 八鶴様を救えずに嘆いてでもいるのでしょう、西運様は巻き沿いです」

 これが事実か。

「…離から火が出たのか」
「付近です。あの人盲人でしたし恐らく八景は二人を連れて来られなかったんでしょう」

 先に西運が死んだのか。
 八鶴は肺の病だし、まぁわかるが。

「何故、西運は」
「お呼び出しです。あんたと、揉めたでしょ」

 こうもはっきり嫌悪で見られてしまえば翡翠は、気の強い目をする。

「…誰も八景さんを手伝わなかったのですか」

 しかし出てきた翡翠の言葉は穏やか、というよりは少し覇気無く吐かれた。

「あんたらに言われたくありませんよ。街の人だって、結局助けてなんて、」
「おい何してるんだ西鈴《さいれい》」

 仲間の小姓が合間に、目の前で怒りを圧し殺している小姓に声を掛けた。
 見れば声を掛けた小姓は頭を下げながらも、やはりやっかみを隠さぬ表情だった。

「…失礼します」

 それだけ言い残して去る西鈴の背を眺め、朱鷺貴は溜め息を吐いてから「行くか」と、漏れ出るように翡翠に言った。

「無駄足だったな」

 その一言、単調ながら少しの翳も感じ取れて。
 同じ気持ちかと、「そうですね」と、また二人で鳥居を潜り石段を降りる事にした。

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