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 壁、左右に傘が何本か広げられている。その側の台にはたくさんの、閉じられた傘が並べられていて、初めて“傘屋”に入った朱鷺貴は素直に「ほほーっ、」と一言吐いた。
 藍やら紅やら緑やら、綺麗なもので感心してしまった。

 意外にも興味がありそうな朱鷺貴に、翡翠は少し気を良くし、「ええもんやろ、坊様」とにやりと笑った。

「あんさんらはあまり馴染みがないでっしゃろ。わてらは傘、重宝したもんですよ。色彩もそうやけどわてなんかは、店先にお客さんを返すのによう、日傘を差したもんや…」

 あーなるほどね。
 染々言う翡翠を他所に、そういやぁ色町の朝方、番頭とか下の遊女見習い的な女がよく傘を差していたなぁと、ある日に傘の向こう側でこっそり口付けをした娘を、朱鷺貴はふと思い出した。

 赤い傘を指した質素な娘で、あの店の人気所の側付きだった。健気で儚そうな娘だったが、水揚げしたら雰囲気が一変してしまった。

「トキさん、」

 はっと気付けば毬と翡翠が、赤い傘を眺める朱鷺貴を冷めた目で見ていた。一言、「顔がなにやらだらしないですけど」と言う翡翠に、漸く回想を引き締め、至って普通を通して「いや、」とだけ答える。

 俺、そんなに顔から煩悩かなと、朱鷺貴は自粛する。

 しかし現実に引き戻した当の本人、翡翠は次の瞬間から「わー、この傘きれー!」と妙に浮かれている。

 傘を開いてはまじまじと眺め、「いいなぁ」と言っている。

「この空の番傘、良いですね。雨でも晴れている気分だ」

 確かに。
 所々、雲のような模様もある。傘にもそれほどあるもんかと感心していれば、「作ってる店主もそう言う気持ちで作ったみたいですよ」と毬が笑顔で説明をした。

「父は奥で傘を作っています。少々人見知りなので無愛想ですが、きっと喜びます」
「ところでお毬さん。
 ご用事とは、果たして」

 傘を閉じて翡翠が促した。一応は思案顔である。

「あぁ…はい」
「この傘が欲しいのですが、見合うくらいの事が出来ればいいですが、そうでないと…」

 なるほどな。
 そう切り返したかと朱鷺貴は翡翠に内心で感心した。こいつ、本当に人付き合い上手いよなと、人付き合い下手な自分としては毎度度肝を抜かれる思いなのである。

「足りなければお金はお支払します」
「あ、いやぁ…」

 逆説を説かれた。
 いやぁ、言いたかったのは「この傘に見合うくらいの大役(翡翠流、暗殺とか)は出来ませんよ」だったんだけど。本気で、例えば暗殺とかいうのを頼まれたら果たして朱鷺貴はどうするだろうかと翡翠の思考は半ば停まりかける。安請け合いになってないかと元来の己の本質(ヤクザ)に若干血の気が引いた。毬に見えない背中を朱鷺貴に拳で叩かれる。

「ただ、あの…」
「いや娘さん、坊主なんて出来ることは経を読むくらいなもんで」

 今度は翡翠に朱鷺貴が叩かれた。
 何故だかようわからん。ただのやり返しなのか、何か諭されたか。

「まさにそれです!」
「えっ」

 二人で面食らった。

「いやぁ、話せば長くなりますのでどうぞ奥へ」
「長くなるの!?」

 一体誰だろ、親族ならそう言えばいいのにとこれも疑問。しかし毬はそれだけで二人に背中を向け、奥間に一人、上がるものだから仕方がない。

 事実、先程の店先の件で助けられたのはある。
 半ば強引な気はするが、まぁ経くらいなら正直傘からお釣りである。これも運かと割り切り、「はぁ、」と上がることにした。

 朱鷺貴は翡翠に「取り敢えず傘は置け」と命じる。それにそっと傘を戻す翡翠の様が、まるで盗みでもしたのかのようで非常に微妙な心境に陥った。

 奥間の襖を開けてすぐ、老人が胡座で傘の骨を組み立てていた。珍客に老人はチラリと二人を見てから、連れてきた毬を見つめた。

「お父さん、お坊さんです」
「…んなの、わかるわ」

 確かに“無愛想”なようだ。
 毬の父は傘を作る手を止めずにいるが、二度見して、頭のてっぺんから爪先まで二人を眺めた。

 やっぱり胡散臭いのか我々は、と朱鷺貴は痛感する。どちらのせいかと言えば、俺たちの組み合わせだよなぁ、と改めてぼんやり考えた。

「お父さん、失礼ですよ。
ささ、お二人とも奥へ」

 しかし毬は気にしてくれない。
 と言うか、やはり少し強引だが、男の悲しい性、「はい、」と、美人には自然に弱いらしい。情けない朱鷺貴を見て翡翠は思うが、それはいま自分も一緒かと考える。

「こちらです」

 と毬に言われた居間の、正面には。
 木箱と、その上に線香。
 なんとなく、状況を察するが、察したからこそ奇妙な光景だった。

 その木箱は恐らく、故人の遺品やらなんやらを入れるものだろう。しかし、ならば相手の墓に坊主を呼ぶのが自然ではないか。出会い頭の坊主に、あんな深刻な雰囲気で言うものではないと、少し俯く毬の言葉を待つことにした。

「…私の、旦那になるはずだった方です…」

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