4
「なんやその童は」
翡翠がふらっと前に出て薬箱を横に置き、綺麗に三つ指をつき、顔を上げる。
「島原で煙草売りをしております、名を“藤宮翡翠”と申しますぅ。少々相談があり参りました」
「はぁ、まぁ座れ」
この男の笑み、計りかねると幹斎は察する。この男、食えぬ腹を持っていそうだというのは直感だ。
後ろで戸を閉める弟子、朱鷺貴には伺い知れないが、和尚の心中の壁だけは見える気がする。
「…島原の煙草売りが私のような坊主に何用だ」
「あい。
煙草売りはわての生業が一つで本業は“薬売り”。生薬などを扱っております。それ故に貴方の裏生業に少々興味を持ちまして、参った所存ですぅ」
「はぁ、そうかえ。しかし裏生業とはなんでしょな。趣味は多いがねぇ」
「……わての身の内で病に伏せた者がおりまして。何卒薬のご教授をと、泣きつく所存にございます」
こりゃ、まぁ。
随分と軽薄な口上。
「身の内とは、如何に」
「はい、その…。
わての姉が先日、淋病に罹りました。もう長くはないと、せめて嗜好の薬をと、処方をしとります。
そんな中に昨夜、島原で薬を売り歩く若者をお見かけしましてなぁ。聞いた話によるとこちらのお弟子様やと。
参れば昨夜の御夫人が出迎えてくれはりまして、ここに至ります」
ちらっと幹斎は朱鷺貴を見る。しかし朱鷺貴は「いや、待て待て」と焦るようだった。
「俺は若衆宿には行ってないぞ、」
「はぁ?誰が若衆宿などと言いました?
わては姉の話をしておりますよ、お弟子様」
「は?」
「昨日、行ったのでありましょう?金清楼の隣の蝶欄へ」
「は、あぁ、まぁ」
「昨夜はお楽しみなようでんな、朱鷺貴法師」
「なっ、あのな、」
「あはぁ、わては初めて知りましたわ。お坊様も男なのですね。
そういった職の方はてっきり、若衆宿にでも行くのかと、浅はかながら思うておりました。ほら、ここのお坊様もわりと」
「待てやぃ待てやぃ!違うわ、俺はね、せやからその薬をだなぁ、」
「おや?あんさんについてはお坊様方皆、色狂いやと口を揃えてはりましたよ」
「あいつらいつかぶっ殺す」
「こらこら朱鷺貴、物騒な。
しかし淋病か。気の毒だが儂にはそれは沈痛しか」
「何故ですか、和尚様」
凛と…まるで刃物のような冷たい一言に場の空気が一変した。
翡翠が、明らかに挑発的な鋭い視線で幹斎を見上げる。
「あんさんのお薬は“死に際”こそ効くと、色街の誰もが知っておりますよ」
「はぁ?」
「わからへんかね。
ちなみにあんさんの薬のお陰でウチが儲からんのです。裏稼業の人らも儲からんと、わりと恨みを買っていますよ、物売りには」
「んなアホな話が」
「とある娼婦があんさんの薬で死にましてなぁ。
しかしどうも幸せ。気が狂ったような事情でした。淋病にはあれが効くのやと、そう、」
「なるほどお前」
漸く話が見えてきた。
「仇か」
「いえ、そんなもんではありませんよ」
「物騒な事に変わりはないだろう。
そういや昨日その弟子が連れ帰った男が死に際漏らしたんだ、『藤宮界隈は人を殺す』と。どうやらあの亡き人、ヤクザから逃げてきた男らしくてなぁ、朱鷺貴」
「なんだよ、」
「お前、よくぞ殺されなかったな」
「は?」
「早い話がお前昨日、組抜けの男に付けられとったんよ」
話が段々澄んできた。
なるほど、そう言った事情か。
ならばより、わからない。
自分は島原ではそんなヤクザ者など、目にしたことも聞いたこともない。
「和尚様は話が早い」と翡翠が笑い、殺意を込めた生意気さで幹斎を見つめた。
「姉の話やけど、幹斎和尚。
わての姉はあんたの薬で死にました」
「そうかなるほど、しかし仇ではない…と」
ふらっと和尚は立ち上がり煙草屋の前にしゃがみ込む。
微動だにしない翡翠の顎へ手を伸ばし、顔を眺めた。
「ふむ」
かと思えば襟首に手を差し入れ、するすると肩をはだけさせる。
「なっ、」
抵抗のように和尚の手を掴むが、呆気なく肩が露出した。
右肩の肩甲骨から鎖骨にかけ、垂れた藤と鳥が質素だが鮮やかに描かれていた。
睨む翡翠の目は隠さず鋭い。
「なるほど、儂の首を取りに来たのか。
大方紋が派手ではない。その姉を人質に売られたか、若造」
「姉は、」
怒気を孕ませる声。
「芥子で死にもした、」
「あぁ、藤宮は阿片で儲けているのか」
「故にあんさんが商売仇なんですわ」
「そうか。
あの者に瀕死を負わせたのはお前か?煙草屋」
「そうですね」
「ははっ、なかなかな腕だな」
翡翠がさっと、太股に忍ばせた短刀を和尚の首へ押し付けた。それに朱鷺貴は出遅れる。
「お前、なに、」
「わての仕事は幹斎和尚の首と薬の調合を奪うこと。それがあれば容易に事が片付く」
「どうかな」
そう言う和尚の首へ更に刃物を押し付ける。
朱鷺貴を見て「聞き及べばあんさん、」と挑発をする態度。
「薬の作り方はわかるそうでんな。一緒に来て頂ければ幸い。
したら、和尚の首はお返し致しましょうかね」
「いや待て。ジジイの首は別に構わないんだが、それより」
「この薄情弟子」
「愛されておりませんなぁ、和尚様は。来たくないと申しますか」
「いや、だから待てって。
お前、それはつまり、姉ちゃんの仇だよな?俺にはお前がその“藤宮一門”にいる理由が皆目わからない」
「はぁ?」
「ウチのジジイの薬は言うて“血行促進”、“沈痛”くらいしか効き目がねぇぞ。それはつまりお前の一門が勝手にウチのじじいの薬を阿片かなんかと勘違いしてないかと」
「は、はぁ?」
漸く翡翠は一度刀を置いた。
「だ、か、ら、聞いとけ。
姉貴が阿片で死んだのならお前も、多分戻ったら殺されんじゃね?ホンマに」
「…は、」
そして一言。
「え、な、え?」
動揺したようだった。
- 5 -
*前次#
ページ: