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燃えている。
守るべき場所が今、男の前で崩れ落ちる。
濃霧か、火炎かわからぬ。
我はここを守るはずだった。この、三途の川への渡し賃を掲げて。
「後藤…」
立ち尽くす甲冑の武士の背中は哀愁に焼け焦げ。
隣の見方武士に耳打ちのように見やり、言う。
「我、恥ずかしながら家臣、後藤基次《ごとうもとつぐ》を殺した。濃霧など、恥ずかしい限りだ。毛利殿、介錯を願いたい」
男には強い情念と失望が見える。めらめらと、燃える火に向かう蛾のような渇望かもしれない。
「何を言うか真田。ここで死んで何の益になる。
伊達に後退し気後れしたか。だが守りはこれではない。せめて願わくば…。
右府《うふ》様の御元で華でも咲かそうではないか。そなたにその価値があると、我は見る」
朱の甲冑、六文の家紋を背負う男は燃え行く寺を眺めては諦めのように一度口許を綻ばせ、「悪い、毛利殿」と爽やかに笑い、刀を鞘にゆっくりと納めた。
再び毛利勝永《もうりかつなが》を見つめた男の目にはまた闘志が、漲るようであるが、眺めている方としては客観的に、両者に諦めがあるように思えた。
「少々我は脆くなりましたな。血迷いは元より。
狙うは家康の首のみとなるなぁ、えぇ…」
男は目を細め寺を一瞥してから背を向け、歩き出す。
「我が命には元より、授け残した故人《殿》がいる。この命、いまは逝かん」
気概はそこら中全てを燃やすような闘志。
ふと、場所が変わった。
斬っていくのは侍ばかりだ。見慣れた葵家紋、目指すは城に鎮座する狸野郎だと布陣する。
馬印は崩れ優勢か。
しかしそんなことよりも急いた毛利の鉄砲隊。倒れ行く見方家臣。
なるほど、そうか。
これは天命かと、一瞬の弱味から瞬時に狂気に満ちる。
あの男の首は我が獲ろう。
その一心で気付けば一人、本丸付近に来た時に回りが目に入る。
屍しかない場所で我は一人、刀を握っている。
生きている敵方は腰を抜かしている。
疲労のような脱力にただ、紅い村正。まさしく妖刀。そうか我はここにて、漸く妖刀となり敵前に立つのか。
空を仰ぎ見る六文甲冑の男には少し、清廉とした何かが、降りてきたように見受けられた。
「真田、」
毛利の声がする。
撤退を意味するそれに疲労が勝り、毛利の肩を借りては恨めしくも、疲れたような心境であった。
この六文、己が命に成り代わる。
それから男は近場の、木の本に凭れ休んで一人、考えた。
戦とはいつまで、刀を納めずにいるのだろうか。武田様、豊臣様。我は一体この、血に染み垂れた空気の中、どこから走り、生き急いだのだろうか。
そこまで考えた末に「真田っ、」物音がした。
若者が自分に槍の刃を向けていた。
鉄砲頭か。それにしては刃先がぶれる度胸か。
そうか、刀というものは。
その若者を見上げ、立つこともなく男は訪ねた。
「そなた、名は」
「に、西尾、仁左衛門、」
「西尾。我が刀はとうに折れている」
「は、はぁ、」
この男。
動じず。
寧ろ薄らと笑みを自分に向けてくる気概。とても、これは我主、徳川家康《とくがわいえやす》の敵う男ではないと西尾は物怖じた。
しかし相手は刀を地べたに置いたまま。自分を凛として見上げて最期にはっきりと言った。
『手柄にするがいい』
はっと目が覚めた。
辺りは暗く、身体中が湿るほどの汗が出ていた。
朱鷺貴は荒い息を吸った。
なんだったんだあの夢は。
しかし。
俺なのか、相手なのかはわからない。
どうやら真田、恐らくは夏の陣で敗戦した真田信繁の夢であろう。
背筋が震えた。金縛りのようだが、少し右手に力を入れれば人差し指が動いた。
「だいじないかえトキさん」
聞き慣れた従者の声が耳元でして。
というか耳、首もと辺りが生暖かいことに気付く。いつの間にか翡翠が視界を塞いで自分の顔をじっくり上から覗いていたのを認識し、「うわっ、」と体ごと膝枕から避ける。
「なんや、元気やないの」と薄らと笑う翡翠に、あの男の影を見た気がした。本当は大してあの男の顔は記憶にないが。
なに、今の。
幽霊?悪夢?
と汗の乾いた背筋に寒気が指す。忙しなく半身を起こしてはキョロキョロと辺りを見回す坊主が珍妙だ。
「…何か魘されてましたが、怖い夢でも見たのですか」
「いや、あぁ…」
幽霊。
亡霊。
貞操なんかよりそれが怖い。なんなんだあの狂気は。お告げか?いまで言う“反幕思想”の成れの果てなのか?
これは罰当たりな夢を見た。
「あぁ、飯は食いました故。如何します?」
「いや…それどころじゃない」
「はぁ」と不思議そうに眺めるいつもの従者に訪ねる。
「お前、亡霊を川で拾ってきたのか」
「はぁ?」
「いや…」
そして口走った。
「明日は信繁…、えっと上田?の城へ参拝しよう」
「はぁ?参拝?」
そうだそうだ。
怨念は丁重に扱うべきだ。
「…逢仏殺仏…」
なにやら朱鷺貴が真っ青な顔でぶつぶつ言っている。
さぁ、何の夢か。
皆目翡翠にはわからなかった。
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