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少ししてからやっぱり「歩けしんどいわ!」と、離せばだらだらと不貞腐れていた翡翠だが。
山頂付近になり空気が、湿るような、澄んだ雰囲気が漂いふと、山道の視界が開けたところに。
「うわっ…」
立ち止まる。翡翠の少し前を歩いていた朱鷺貴も同時で。
「凄ぇ…」
大きく広い湖が、山の真ん中にあるような景色。一面の湖には氷が張っていて、湖の中に紅い橋が掛かっている。
神秘的だった。
二人がそれに見とれていると、|草鞋《わらじ》を履いた者が走ってきたが、朱鷺貴の真横当たりで「あばっ!」とすっ転んでしまった。
というか温暖気候で育った二人には、草鞋なんてあまり馴染みがなく、
へぇ〜、実際に履くことあるんだ
だとか、
何この進化した草履。
だとか、そんな陳腐な感想しか二人には湧かない。
例えすっ転んだ初老くらいの男の格好が宮司だとしても。というか人が一人すっ転んだとしても。
宮司が「痛〜」と言って起き上がり、漸く朱鷺貴が「大丈夫ですか?」と声を掛けて寄ろうとして見たが。
「あ、あんたは仏教ですか」
言われてしまった。そうか袈裟をつけていたわと朱鷺貴は思い出し、「はぁ、」と答えるが、
「ちょーどいい!」
腕を宮司に引っ張られ、肩が外れそうな勢い。
「なっ、な」と唖然とする朱鷺貴に構いもせず、「あそこへ行くんですか!」と何故か強気な宮司の語尾に若干驚いてしまう。
「大変だったでしょう、疲れましたでしょう!」
「え、あ、え」
「しかも草履だなんて!
大変でしょう、こんな…山頂へだなんて!」
「は、はぁ…」
「では抗議に行きましょう」
「は?」
肩が外れそうなんだって。勢いのまま宮司は朱鷺貴を引っ張り進む。
た、助けて。
翡翠に声なき声を視線に込めて見つめるが、
具合が悪い。真っ白い、というか青ざめた顔で翡翠は朱鷺貴と宮司を眺めている。だが、目線は明らかに笑いをこらえた色あるもので。
薄情な野郎だなおい…。
宮司に手を引かれて行く朱鷺貴と、後をひっそりついていく翡翠。
構わず宮司は早足で迷いなく石鳥居を潜り、紅が映える大橋を突き進む。
多分絶景。先程よりは雪もなく遥かに進みやすい。
氷が一面に張った湖。神秘的だが正直寒かった。
「あの、すまへん」
「はいぃ?」
これまた怒りのような語尾上がり。先程から何を怒っているんだこの宮司は。
しかし振り返る宮司は不思議で仕方がない、とばかりの疑問顔。いや、不思議なのは正直こちらだ。
「この湖は…」
強引、とばかりに朱鷺貴は橋の真ん中で立ち止まる。長身な朱鷺貴と小柄な宮司の力差はあった。
朱鷺貴が立ち止まったのをいいとし、翡翠は紅の柱に肘をつけて凭れ湖を眺める。息は白い。
「心が清らかになりそうですなぁ。
宮司様、何を急いていらっしゃりますか」
ゆったりな訛りに宮司は少し珍妙な表情を浮かべた。湖からふと、視線を横にいる宮司、朱鷺貴の方へ向けて病弱そうな笑みを向けた翡翠に宮司は女神を見た気がしたが。
「トキさん」
緩やかな笑みで言った直後だった。
「うぇっ、」
湖に向けてついに翡翠は嘔吐した。
酷を強いたな、そろそろ、そうなんじゃないかと思っていたよ、顔色悪かったしな我が従者と朱鷺貴は白い溜め息を吐きながら「あー…悪かった悪かった」と、刀を宮司に預けて翡翠の元へ寄る。
「吐き気止めってどれよ」と冷静に薬箱を持ってやる。あまりの二人の自然さに「え、ぇえ…」と宮司は唖然とした。
「あ、寒いし高いし多分山慣れしてないんでこいつ。暑い盆地育ちなんです我々」
「…いや上野もわりと盆地ですけどぉ?」
だから何故怒るんだこの宮司は…。
「ここ、寒いやろうて水でも頂けません?どうやら、凍っとりますけどねぇ」
半ばイライラしたように返す朱鷺貴に「…あんたらどこの人ぉ?」と立ち止まる宮司はそうか草履だしな、余所者かと半ば納得。
橋に手を付き踞り「はー…死ぬわ凍るわうぇっ」と嗚咽を漏らす翡翠。
吐瀉物すら即凍る湖に苦笑している朱鷺貴。この二人変だなと不安になってきた宮司だった。
「…多分、堂に行けばありますよ。で、どこの人ぉ?」
「翡翠、おぶるからあと少し」
「いいですうぇっ。こう…冷や汗が…」
「あーわかったわかった。はい、肩」
「ムリムリホンマに気分悪いて」
宮司をイライラ笑顔で見つめる法師。俺、こう見えてボロ寺では偉かったからねと無言の圧力と懐から出す意味のない幹斎の書状。
この人、変だけど多分本物だ。
受け取った宮司は「待っててくださいね!」と、刀は再び朱鷺貴に返し、走って橋を渡って行く。
見守った二人は「ふぅ、」と一息。
「ほれ、立てるか」
と朱鷺貴が手を差し伸べれば翡翠は「なにイライラしとるんですか」と手を借りあっさりと立ち上がった。
「いやなんか喧嘩腰でムカつく〜、あの宮司」
「トキさんがどう見ても仏門だからじゃないですか。てゆーか不思議。当てられないんですかあんさん」
「不思議と」
「ふーん」
やっぱり気の持ちようじゃないか、と互いに思った。
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