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「じゃ、冥土の置き土産として」

 翡翠は緩く結ばれたその髪を肩にかけ短刀を持ちじゃりじゃりと、断髪し始めた。

 髪は肩上くらいになり、断髪した後ろ髪はぞんざいに幹斎の前へ…献上する。
 翡翠はまるで悪戯をした子供のようなニヤリとした笑みを浮かべた。左にだけ浮く笑窪が、憎たらしい。

「もう結うこともありまへんので」

 幹斎もそれには笑い、

「よろしい。明日の朝に発て」

命じる。

 それから二人はと言うと。
 特に会話もないまま最後の夕飯を過ごした。

 心底腹が読めない男だと勘繰り深く眺める朱鷺貴に、翡翠は素っ気なく「なんでありましょ」と箸を止める。

「…食えねぇヤツだなと」
「そうやね。しかしわてにはあんさんもわかりません」
「だろうな」
「…何故、止めましたか」
「まぁ寺だし」
「あぁそうですか」

 また無言に戻る。

 それに。
 朱鷺貴は思うのだ。例え自身が身仏でなくとも自害というのは罪が重いと。

 冥土の置き土産とはよく言ったものだ。はっきり言って目覚めが悪いだろう、あの坊主には。少し、過去を思い出す。

 自分もああして一度、武家を捨て母親の遺髪を持ってここに来た。
 狐狼狸との決闘の末の事だった。

 だから言える、あの薬は気休めだ。
 それこそ麻薬、阿片中毒の方が幸せだろう。

 母親の死に顔を思い出す。
 口からも腹からも流れた血は忘れられない。12の時分、虚しさは甲斐なく。

 この若者は、
 この目の前で飄々とする若者は一体いくつなのだろう。単純にふと朱鷺貴は思った。

「お前さぁ」
「あい?」

 見上げる目は丸くはっきりとしている。顔立ちはどうにも、もしかすると少年だ。

「いくつ…?」
「はぁ、まぁ18でやってます」
「え、実際はなんなの」
「忘れましたねぇ」

 そうか。
 そんなものなのか。
 そんなもので家族を亡くし、身を落としたのか。
 大差ないな、己と。

「そうか…」
「あんさんは20と…6つくらいでしょうか」
「何故わかる」
「いやぁ、わても職業柄たーんと人を見たもので。
 それにしちゃぁ、少々落ち着きがない方やねぇ」
「悪かったな」
「別に」

 そういう意味じゃないんだが。なんだ「別に」とは。

「トキさん」

 ふと翡翠が言ったもので、なんだか凝視してしまった。
 目が合えば翡翠は笑い、「これはいいらしいですね、トキさん」と無邪気にその呼び名を繰り返す。

「わてのことはスイちゃんで」
「翡翠でいいわ」

 切り捨てる。
 いじけて「けっ、」と翡翠がそっぽを向いた。

 心底不思議な男だ。
 少なくとも、寺では会えない人物だと思った。

 食事を終えた翡翠は箸を起き、「ごちそうさんでした」と手を合わせ、

「ではまた明日」

とあっさり広間を出て行く。
 自分も早く戻って線香番をせねばと、急いで片付けた。

 朱鷺貴はあの組抜けした男の広間へ。
 翡翠はその足で寺を出て“金清楼”へ。

 ふらっと訪れた翡翠に宿屋が驚愕した。

「その髪どないしたんや、スイちゃん!」

 との騒ぎ。
 店主に用事があると言えばあっさり奥間へ連れて行かれる。
 奥間の襖を開ければ店主、藤嶋ふじしま宮治みやじという、黒い着物の姿勢がよい男が行儀悪く胡座をかいて緩く煙管を吹かしていた。

「翡翠か」
「へい店主」
「その髪はどうした。坊さんにでもなるのか?」

 「くっくっく」と笑う店主は、しかし見切っていたようだ。向かいに翡翠を促し、それに従った翡翠は行儀良く対峙し正座をする。

「はぁ、まぁそんなとこでありやす」
「そうか、ついに藤宮に捨てられたのか」
「いや、恐らくは逆説でしょう。あの坊様は近々藤宮と手を組む腹積りであろうかと。なんせわてに組抜けして巡業しろと言うお方。余程貪欲と見ました」
「そりゃけったいな坊さんだな。なるほど。お前の話を飲んだというわけだな」
「あい。
 わては最後の挨拶に参りました。藤嶋様の元から巣立つようです」
「まぁ仕方のないな。鳥はいつかそうする。
 しかし意外だな。お前いつから、そう」
「…姉が藤宮に殺されたとき、やろうかね…。
しかしまぁあんさんにも世話になりやした。父のような兄のような、そんな風に」
「そんな高尚なもんじゃねぇよ」

 藤嶋は煙管を置き、膝立って翡翠の肩に触れ、撫でるように着物をするりと逃がした。

「お前を売って稼いでいたからな」

 あるのは肩から鎖骨の藤。これは藤宮に売られた時の物。ヘソ辺りの迷い蝶。これは金清楼に売られてすぐに掘った墨だった。

 「この藤と雀を見るのも最後か」と翡翠を緩く藤嶋が抱擁すれば、「藤嶋さん」と翡翠は耳元で囁いた。

「これは百舌鳥もずどりやって、」
「細かい事はいいんだよ、」
「あんさん、藤宮と漸く手を、切れますな」

 首筋に刺激があった。この男、噛み癖があるのだ。

「寂しいことを言うねぇ、お前は」
「江戸に行くのは如何でしょう。ここは恐らく、藤宮と和尚に食い物にされます」
「まぁ、」

 衣擦れして、腕逞しく。
 畳が冷たい、しかし、組敷く男の目は熱く。

「考えとくよ」

 それから一夜が明けていく。

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