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 残された武士たちは唖然としながら「なんじゃあれ」と、最早脱力したに近い心情で一斉に坊主を見やった。

「……」

 答えようがねぇよ、あのバカ野郎。

「あのぉ、」

 漸く存在感を見せた、果てしなく忘れ去られていた別嬪の“京流れ”を初めて認識したが朱鷺貴は、

「あ、すんません。どうやらその子らしいんで、すんません」

 謝罪をすれば「なんやねん、」と不貞腐れ、「お侍さん方、お待たせいたしました。よろしゅう」と、例の一分振袖と入れ替わる。

 結局口下手のまま「…行くぞ」としか言えない朱鷺貴は、振袖に案内されるまま振袖の見世に向かう。

 確かに年齢としては18,9と言ったところかもしれない。
 しかし、あの侍と共にいた。

『藍咲《あいしょう》が水揚げしてなぁ、揚屋におるんよ』

 と、蝶欄《ちょうらん》で遊女に膝枕されながら世迷い事のような心境で聞いたなと、朱鷺貴は振袖の背中に思い出す。

 廊下に夜更けと言うわけでもないのにやはり二階は獣のような、快楽の慟哭が滲んでいる。

 ここはそう、それほどに色のついた場所だ。

 朱鷺貴にはいまいちわかってはいない制度だが、確か若い遊女は客を取るまでに修行がある。
 それは人気どころに付く女子で、付いた遊女が不在時に客のもとへ赴くことがあるようだが今回のはそれなのか、それとも姉元の手から離れ、一人前によろしくやっているのか。

「こちらでございます」

 振り向いて顔を漸く見、この振袖の太夫にはなるほど、華がまだなく初々しいものかと感じた。情報を流して金をせしめようという肝だとはなかなか思わないだろう。

 確か歌などの芸事と、それ以上に昇進出来る見込みのものと格差があったような気がする。着物で確か見分けられるはずだ、彼女は振袖。案外確かにそう見えて肝は座っているのかもしれない。

 朱鷺貴は見世に入る。

 値が張りそうな布団がすでに用意されている。そうか思い出してみれば見世があるのなら姉御の手を、離れて客取りはしているのか。
 固定客がいる、あの武士か、あの武士の相手方かは知れないが。

「お酒をお持ちしましょうか、お坊様」

 対峙して微笑んだその顔は幼くも、確かに歳の割に妖艶だと、違和感を感じた。
 それでもまだ、初々しいのは留袖よりも男女の期間が短い、ということか。

「…そういえば何一つ施しを受けていなかった」
「私事で大変申し訳ございません」

 頭を下げられる。
 こうも作法が形式張った若い娘は少々気まずいもんだと感じる。

「…別に、まぁ、俺は何もしてないし」
「ですが、」
「取り敢えず、飯は食ったか?」
「はい?」

 驚かれたようだった。
 朱鷺貴としては当たり前のことを聞いたつもりだったが、なぜこの娘はこんな対応なのか。

「…差し支えなければ飯でも食いながら。坊主は酒を飲まない」

 多分。放蕩坊主にはようわからんけどね。

「…えっと…」
「いや、言いたいことはわかる」
「お酒はあまりお得意ではないと?」
「そうでもないけど…。
 何より一分を隙に盗まれても敵わん。とはいっても坊主の秘密など、金の行き処くらいなものだけど」
「…はぁ、」

 少し間を置かれてしまったのが朱鷺貴には気まずかった。慟哭は、時に切れ切れで。

 とはいっても若い遊女も「どうしようか」と言う気持ちがあったのだ。
 互いに「何を話そうか」と考えたが、そこは職業柄振袖の遊女が勝った。

 というより、考えが一回りしてしまえば「ふふっ、」と笑いになってしまったのだ。

「あははは」
「え、っと…」
「面白い御方…!」

 面白い御方。
 それはなぁ、どうしたもんかなと思えば、それはそれで振袖の遊女は穏やかに笑い止めたのだった。

「…朝霧と申します」
「あぁ、そうか…」
「お坊様、お名前はなんとお呼びすればよろしいでしょうか」
「…朱鷺貴。南條」

 遊女は少し、間もなく考えた末に「南條さまですね」と、姓で呼ぼうと決める。ここ三日この坊主は己の旦那なのだと入れ込むことにした。

「私は食事は望月《もちづき》さまと頂きました。南條さま、お隣の部屋だったと先程お付きの方が言っておられましたね。こちらに運ばせましょう」
「あぁ…どうも」

 密かに微笑を浮かべ朝霧と名乗った振袖新造《ふりそでしんぞう》は見世を去る。

 妙な空間だなと朱鷺貴はやはりぼんやり、それからそこに浮上してくる。あの従者は果たしてあの侍を今頃殺してはいやしないか。

 慟哭が薄暗い。

 この空間はしかしあれも過ごしたような空間なのか。俺も馴染みがないわけではないけれど、何故こうも思案が、違うのだろうか。

 思考が止まりそうにゆっくり、ゆっくりと血液に似たものを流しているのがわかる。あたいもそろそろ◯◯かなぁ、あれ、ここはなんて言っていたか。俺は訪ねた、そりゃなんや、と。引退した後の役割さ。部屋に案内したり金をまけたり吹っ掛けたりするんだよ。

 自然の景色のように何事も感じないような、それほどに慟哭には、慣れてきた。

 人手不足は確かにそうかもしれない。あの、確か朝霧に「栄太郎」と呼ばれていた男が金を吹っ掛け、案内していた。

 ここはどうやらこの辺では繁盛している。俺たちを案内している隙に他の客が来店することもあり得るよなぁ。
 他にでは、その…◯◯がいたとして、いや、いるんだろうけど。

「お持ちいたしました」

 襖が開いて女の声がする。
 はっとしてみれば朝霧と、膳を運んだ飾り気のない、恐らくは引退したのだろう歳と見える女とがいる。

 膳を置けば「ごゆるりと」と頭を下げて襖を閉める。
 朝霧はただただ朱鷺貴の向かいに座り、微笑するばかりだ。

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