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橋を渡ったあたりで1人、天秤棒を担いだ商人が二人の先へ行き、しかし振り向いては「あんたら何の人だい?」と訪ねてくる。
あまりに直球ではあったが納得しないわけでなく、「はぁ、」と、物売りかどうか、よりも先に
「修行中だが」
と朱鷺貴は答えた。
「へぇぇえ〜、修行中?なんの?あんたらは一体なんなんだい」
矢継ぎ早である。
「いや坊主が修行と言ったら」
「あれかい、あんたら最近流行りの道場破りかい?」
「ん?」
「道場破り?何で?」
お陰で思いもしなかった話題へ転換した。
「だってあんたら、妙ちくりんじゃないか。薬屋…だろ?刀だろ?そいつで変装しようったって無駄無駄!」
商人の男は翡翠の薬箱と朱鷺貴の刀を見て笑い話にする。
「…旦那、わてらは旅人なんやけど、ここいらはその…そのように物騒なものなんですか?」
「物騒って、普通よ普通!お国のためだお国のためだとみーんななんちゃら派だの護衛だの幕府だなんだぁ言ってるじゃねぇか!」
「まぁ、はいそうやね」
「お前さんらも首見ただろ?ああやって謀反者を誘き出すんだ。仲間がやられたとあらぁ、そりゃ同士が黙ってねぇ」
「…と、言うと?」
「ま、おいらたち普通の商人町人にはよくわからねぇが、そうでもねぇか、商人町人も寄ってたかってんだからな。幕臣だって関係ねぇしよぅ!」
「ほほー…ところで誘き出すいうんは、どない?」
こんなときに従者翡翠、かなり役に立つものだと朱鷺貴は感心する。
「この前だって|小伝馬《こでんま》町であったんだから」と次から次へ出てくる。
「小伝馬…?」
「なんだか長州の偉い先生だってよ。あらぁ驚いたよ」
最近やたらと聞く“長州”。
ついでになんという名の御仁かくらいは訪ねようとしたが「じゃ!おいらは忙しいんだ」と商人は去ってしまった。
江戸はどうやら、忙しい。
「…えぇっと、|松代《まつしろ》を覚えていますかトキさん」
「松代?」
「あの…西洋被れの」
「あー…えっとわかった、俺は会ってないけどなんだけ、え、なんたらかんたら」
「そう、“|ゐれきせゑりていと”の、黒船の」
「…あー、うんわかった、わかった」
「あん人の塾ってどこやったっけ」
「覚えてないけどそうだ、江戸の」
「小伝馬?京にもありましたな小伝馬町」
「よく覚えてるなぁ、お前」
感心したところで朱鷺貴は誰か人にぶつかった。
あちらは忙しそうに先を行くもまた「あれ?あんたら道場破り?」と再び同じことが起きそうだが、先手を打って「晒し首にされた長州の先生って誰や!」と先手で翡翠が聞いてみるも、
「はぁ!?大声で言うなよ吉田っちゅー人だろ!」
吉田!
遊郭の番頭を即座に思い出す。
「吉田?」
「なんだよおいら忙し」
「どないな人!」
「はぁ!?黒船乗ろうとした人!」
再び出てきた松代。黒船乗ろうとしたら捕まった…松代の塾の先生。
塾?道場破り?塾?黒船?
この混沌を一瞬にして片付けた翡翠は「ふむ…」と思案顔をした。
その商人も去って行く。
歩き始めた翡翠に続き「忙しいなおい」と朱鷺貴は漏らした。
「なんやこの街危ない気がするんやけどトキさん」
「えぇえ、今更?」
「確か…えっと」
翡翠は薬箱をその場に起き、春画が入った段から、松代で押し付けられた禁書を取り出しては「五月塾!」と探し当てる。
明らかにそれを聞いたであろうまわりの目はちらっ、二度見、と怪訝なものに変わった。
「松代の先生、黒船に乗ろうとして捕まったんやけど逃げ仰せたんですよトキさん」
「…お前ねぇ、多分だけどこの辺で大声で言ってはならないのは俺でも理解」
「で!いまの話!」
「ん?」
「晒し首!」
「やめなさいよお前は!」
「今、長州の御仁だと言うてましたよね!繋がったんやない!?」
「言うてましたね!君ちょっと一回人目につかないところに」
「怪しいやんそれ!」
「お前はなしてそないにアホなんっ!」
なしてそないに無邪気なんっ!
朱鷺貴は従者に「はぁ〜…」、熱がぶり返しそうだわと溜め息を吐く。
だが翡翠は翡翠でふと坊主の胡散臭い風貌を見て「ふぅ…」と、少し小さく溜め息を吐いては「ほな行きましょか…」と落ち着いた。
「…一体どう繋がったんだ。松代の先生と小伝馬?の吉田って人がまぁ、関わっていたというところまでは繋がったけど」
「そうやねぇ…正直あの先生胡散臭かったんやけど」
「うんまぁわかるような」
「はて…」
まだ考え込んでは薬箱を持った翡翠に「どした?」と声は掛ける。
「いやぁ…。なんだかなぁと。ヤクザでもなんやろ、そんな見せしめはしないやろうて」
「ん?それは感傷か?」
「いや、物騒言う話です。その人はどない人やったんやろうと」
「感傷じゃないのか、それは」
「わかりまへんけど、まぁ影響はあったのかしら。江戸近くで長州の話はやはり耳にするでしょう。
晒し首ってねぇ、一番の重罪なんやでトキさん。誘き出すって、その首を持ち帰る者の気持ちはどないやろうと今、思い立ちまして」
「…なるほどねぇ」
それほどの事案、普通なことに翡翠はどうやら引っ掛かったようだ。
「…宗教みたいなもんなのかねぇ、道徳とは」
「はいな?」
「正しくないから罰せられる、だが正しいと思っている方は理解が出来ないだろう。意見、信念の相違と言うところで」
「そうですねぇ…」
「まぁ、それも俺の道徳だけど」
日本橋まで歩いて行く。
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