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「うぇっく…うぅぅ…、」

 と泣いている子供のような加藤に「大丈夫かー」と吐き捨て、写真を撮ってアプリグループらしき場所へ送信した。

 マグロだった、マジで。おかげで疲れた。そして昨夜から2連チャンで正直切れ痔になった気がしてならない。今回なんもねぇし大分痛かった。当たり前だろうけど俺はこの手のやつは毎度死ぬほど自分が嫌いになる。
 だが、何したって結果こいつと変わらない。

「うぅう…」
「ははっ、どう?ハルより楽しめたと思うんだけどぉ?」
「…俺お前に何したっつーんだよ御子柴ぁ!」
「何した?はぁ?よかっただろ童貞バカ。
 不能にしなかっただけましだと思えよクソが。ハルは渡さねぇよ、お前みたいな穴があればなんでもいい奴なんて死んでしまえ。
 じゃぁなヘタクソ。一生オナってろタコ」

 一人でカラオケボックスから出たが、流石にちょっと辛かった。血圧のせいもあるだろうがドア閉めた瞬間一回しゃがみこむしかなかった。

 あー、ちょっとせめて帰るまで待てよとフローリングの幼い陽の泣き顔を思い出した。あれは陽の不細工な唯一の記憶で、ダメだなとポケットからウォークマンを出してしゃがんだまま暫く聞いてたら、肩を叩かれた。

 触らないで欲しい。

 店員だった。
 嫌悪が行きすぎだろうか、反射的に手を払ってしまったし多分「どうしました」と店員は俺に声を掛けたんだろうが、「大丈夫です」とだけ告げてダルくふらふらしたらやっぱりまた声は掛かるけど、ヘッドホンを外して「貧血なんで」と睨み付けて、壁伝いにエレベーターまで歩いた。

 どうやらハルは寝静まってるなと、頭痛に眉間を揉んでしゃがむ。いつも何故かそう。そういう時って俺の自制の方が利くらしい。多分トラウマってやつのおかげだ。

 強烈すぎて眩暈に持ってかれそうだったり、なんならイキそうだなってフワッとしてもそれは俺だけのものだ。

 泣いていた陽にはそんな気持ちすらわからないだろうなと思う。痛い、痛いと泣くそれを消し去ろうと多分、こうして痛むのだけど、そこで出てこられては互いに苦しい。

 野郎なんて、皆ろくでもなければ汚れている。陽が信じるよりも遥かに動物的なんだよ。仕方ない、俺は知っていてお前は知らなかった。

 1階についてだらだらと立ち上がる。そう言えば俺のこれって、解離性同一性障害ってなんで性同一性障害の診断が降りないんだろう。
 俺って男の自覚がある、だから出来ることなんだけどな。全部欲望なんて、ハルと違って俺はわかっている。ふざけているのか、だけど平伏す者の引き方だってそう。

あれ。

 なんでもいーやってところだからかな。これって何セクシャルなんだろ。

暗くなる、この塞ぎ方。

小さな生足と大きな背中と微かな泣き声。

 はっきり引っ張られる気がする、ふわっとぐらついてあのフローリングの強打した自分の指先と、その腕の傷が薄く目につくような。

 あれより痛ぇな、固くて冷たいこの手の感触はコンクリートかな。立てるかな。ちょっと視界が狭い、待った漣、どこかに消えそう、打ち寄せる。というか眠気に近い、あと少し、もう少しで騒然としていた。

 頭が痛かったのだけれど、目を開けたときに人だかりがあって、私の視界にはすぐ側に地面があって。

「いま救急車呼びましたから、」

ふざけんじゃねぇよと聞こえる渇れそうで弱々しい声は誰だろう。

 あれ。
 エレベーター?

 指先は、外。その手首は素のままだったことに薄かった意識の焦点が合ってきて這い出てみる。

 酷い立ち眩みに結局まだ立てない。

 …どこにいるの、私は、あのフローリングとは違うコンクリートが指先に触れている。
 私に組敷かれていた女の子、これは私かもしれない。何故泣いているの。身を縮こまらせることしか防御が、私にはない。

「意識は戻ったみたいですか?一度出れますか?」

 誰?

 知らない女の人が「誰か、手伝ってくれませんか!」と呼び掛けている。
 誰か手伝ってよってどうして言われたのだろう。

「っ…、」

 胸が痛い。
 私はどうして泣いているのだろうか。私?
 待って、違うの。こんなのよくある…。
 どんな、こと?

「っはぁ、」

 呼吸を思い出した。陽は可愛いもんと言葉を叩きつけた相手が誰だかわからなくて。

 持ち上げられようとする身体の浮遊感に「待ってください、」と言うくらいに吐き気があった。

 ステレオグラムのように白い視界と、この世で妙にはっきりした低酸素。

 聞き入れられずに「うぇっ、」と嗚咽が漏れ、漸く「大丈夫?気持ち悪いのかな?」と切迫した声で横たえられて吐いた。

多分他人とか凄く困ってるよ。
いいから見ないでください、でも無理ですよね普通。

 どこか冷静な自分がいる。

 咳き込んでいるうちに「えっと…」とコートのポケットを漁られ、「学生証、ありました」と言って電話で話す人がいる。

「みこしば、ゆう さん。21歳男性で、テイダイの…」

 嫌だ、そんなの。

「…ハルです、」
「え、これは…」
「ハルです、御子柴、」

 はっきりしてきた。
 驚いた顔の女性にだけど、言葉が出てこなくてケータイをポケットから漁るのに、女の人は焦ったヒステリックに「ここにふりがな降ってあるけど、お名前わかりますか」と言われる。違うんです、言えない。何故だか身体か脳が辛くて痛くて声が出ない。

「すみません、知り合いです」

 声がした。頭の方から。男の子。あれ、名前が出てこないけど、よく一緒にいる、

「…げん」
「悠、大丈夫かお前、」

 げんぞうくん。
 …違う。

 貴方学生さん?テイダイの。お知り合い?はい、友人です。

 苦しい。

「悠、大丈夫か、加藤からなんか変なの、」

 多分人に譲渡された。源蔵くんしか視界にいなくなるけど。
 過呼吸で話せない。

 心配そうな源蔵くんが「ポケット?どうした?」と漁って来るが、私が握りしめたケータイはそれで奪われて。

「ちがっ…、」
「どうした…
もしかしてホントにハルちゃんか?今は」
「かっ、」

 ケータイに手を伸ばせば「誰?病院?掛けたら良いの?」と優しく言われる。

「先生、」

 それだけ言っても伝わらないだろうけどケータイは帰ってきた。

 緊急用の0+だけ押したつもりだけど手が滑ったのかはわからない、曖昧だが運良くそのまま電話が掛かった。
 何コールかわからないけど『もしもし』と先生の声が言う。

『陽だね、どう』

 あぁ…。
 肩の力が抜けて、多分『どうしたの』とか、言われたんだろうけど手が滑り落ちた。

「ハルです、」

 救急車のサイレンが聞こえた気がした。

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