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陽にはない泣き黒子、耳あたりの首筋にある噛みつきたくなる黒子だって俺しか知らない。悠も陽も知らないだろうけど、「先生」と鼓膜に直で届いた。
「悠は来てくれるの?」
その場の空気が一瞬、止まった気がした、ぼやけた景色は幼い陽が密かに俺の膝に乗っていて楽しそうに見上げる姿、それは偉く興奮しそうでああ、その時の肌触りはいまでも覚えているのにこの純粋な少女を例えば引き裂きたいだとか、子供にはわからないだろうと思えば背徳感に震えそうだった、一緒に作ったペーパークラフトと。
悠。その場で診察台に寝転んでいた泣き黒子の純粋さも俺には堪らなくて。
背徳感。
「…陽、」
声が潰れてしまったのを悟られたくなっかった。
少し引き離したそこには泣き黒子があるのに、俺はまたあのときとは違う背徳感で潰されそうになる。
「…悠は、しばらく帰ってきていないよ、陽」
がっかりしたのか諦めたのか、控えめに笑った陽が「そっか、」と言う。
焦燥が覆いふと目についた田辺くんと栗山さんがなんだか、寂しそうな目で俺と陽を見ている気がする。
「陽、今日から薬を変えようと思う…、」
何故だろう。
罪悪感で言葉尻が引っ込んだ。
「…やっぱり、」
「うん。貧血になりやすいみたいだし。合わなかったら言って、だけど、まずは不安になったりしたら伝えて、一つ違う薬も始めるから」
「…うん、わかった」
栗山さんが何故だか静かに泣いていて、田辺くんがそれに心配をして「大丈夫、栗山さん」と声を掛けているのだけど俺が「じゃぁ、」と振れば田辺くんは睨むようだった。
「きっと少しの間は来れないだろうから、二人に講義のノート、頼んでもいいかな。被っているやつだけでいいから」
黙ってしまって答えない。
陽も「そんなにキツいお薬なの?」と聞いてくる。
「大丈夫だよ陽。
悠に会ったら、そんなわけだから伝えてお」
「あんた…、」
田辺くんが唖然としていた。
「…どうにかならないんですか、それ」
特に答えないけど。
「どうかしてると思う、俺は」
…この子はどうにも鬱陶しいタイプのようだ。
「源蔵くん?」と心配そうに言う陽と被るように「…じゃぁ、いいや別に」と俺は言い張る。田辺くんがまだ何かを言いたそうだが「伝票をお願いします、あと二人のタクシーも」と俺は見ているだけだった医師に頼む。
「別に俺はいいです」とあくまでも反抗的なのに「田辺くん、」と栗山さんが制すようだけど、青春に俺は興味なんてない。
ただ、帰り際に何か言ってやろうとは思い立った。
タクシー代を渡した際に「うざったいなぁ、」と田辺くんに耳打ちをすれば睨んでくるのだけど、
「黙ってて頂戴よ田辺くん。陽に余計なことを言ったってわからないんだから」
釘を刺した。
陽の思考は21年あるとしても、14年分の意識しかないんだよ。8歳よりは、成長しているけれど。
「これは俺たちの秘密にしようね、田辺くん、栗山さん」
壊れてしまうのなんてあっという間だから。
あとは二人を置いて俺は駐車場まで陽の車椅子を押すのだけど、陽は悠のように大人しい。
少しポツリと「先生」と呼ぶのを聞き取った。
「陽、俺は今医者の格好だけどフリータイムなんだ」
「…えいちゃん」
「どうしたの?」
「二人に、お礼を言ったの?」
まだ不安そうな陽の髪を撫で「そうだよ」と告げる。
「陽に付き添ってくれたんだ。そりゃぁ、お礼は必要でしょ」
「うん。ねぇえいちゃん、私なんだか最近…」
「不安なの?」
「うん…凄く」
「それは病を悪化させてしまうよ、陽」
君が不安になるから悠も過剰なんだ。
君たちはどこまでいっても精神安定剤と睡眠薬のような関係なんだから。もう断薬だって出来ない、そんな精神性があるのに俺は歯痒くも舞い上がる。
「…悠はどうしているのかな」
「悠はいま、きっと陽を心配しているよ」
「…そうなのかな」
「そりゃぁ、兄妹だし」
「あっ、」
陽が何かを思い出したように声を出すけど、「どうしたの?」と言えば「いや…」と言ってリストバンドを眺める。
それは陽の合図だと言った悠に少し、昔の陽が重なったのを思い出す。
陽の合図。悠が昔やっていたものだから、そりゃそうなんだろうけど。この双子は互いに体よく回っていた。
いや、それは悪循環なのだろう。
車椅子を降りて車に乗った陽に「最近はどうだい」とリストバンドを眺めて言ってみる。
気まずそうにその手首を右手で緩く掴むのだから、確かに不安なのだろうと察しがつく。
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