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二人が母親と共にやってきたのも一回きりだった。それは夏休みの時期で、登校日。
双子の弟、「悠」が学校に行きたくないと、部屋から出てこなくなったというものだった。
その双子は二卵性双生児、つまりは「そっくりではない方の双子」。
姉は弟の手首を掴むように繋いでいて、母は姉に右手の人差し指を握らせあまり子供たちに視線を寄越さない。
姉だけがニコニコと愛想良く「こんにちは」と、この部屋に入ってきたのだ。
姉の方がなんとなく「父親に似たのかな」と感じたのは、弟と母は無愛想だった、だけではなく、親子は髪色が少し薄いことや目元の泣き黒子など、面影があったからかもしれない。
始めはこの母に似た弟が、「男の子」だとわからなかった。
だが母親は多分、どちらかと言えば鼻筋も通る、はっきりした男顔だったのかもしれない。女だとわかるのは肩の丸さや、何より自分は半袖の薄いピンクのワンピースで。服装だけははっきりと覚えている。
この時点で父親から子供へのDVの可能性も考えたからだ。
病院に連れてきているのならば「代理ミュンヒハウゼン症候群」か夫のDVかと言うところ。
母親は、ほとんど言葉を発しなかった。
しかし姉ばかりがニコニコ、ニコニコ、不自然なまでに笑っている。この弟が対象なのかもしれないと考えるも、姉だって長袖だ。話は、難航していくかもしれないと感じた。
「学校に行きたくない、と言うことで…」
「そんなんじゃ困っちゃうんですよ。この子はいつもそう、私の言うことを聞いてくれない、小さい頃からいたずらばかりする、落ち着きもないし病気なんじゃないかって」
徐々に激昂しそうなほど饒舌。育児ノイローゼもきっとある。だが、
「どれ、おいで」
と俺が弟に手を伸ばせば姉が突然「だめよ、やめて!」と怒り出し、弟も身体の後ろに手を隠し声に驚くのだからこれは重症かもしれないと考える。予想は外れていないだろうと思うが、何が作用しているのの判断はまだ出来ない。
姉はしかし臆することなく「お母さん!」と、助けを求めるような視線、だが当の母親は「この子達をどうにかしてください」としか、言わない。
「そうか、ごめんね、突然。
どうにか、と言うのは」
「お金はいくらでも払いますから」
「…わかりました。まずは…お母さんもお疲れなのでしょうか。少し子供たちから話を聞きたいので、お隣で看護師と雑談でもしていてください」
しかし、それから出て行った母親が帰ってくることはなかった。
子供たちは、父親が帰宅する20時頃まで面倒を見た。陽は、その時に「ここに来てもいー?」と俺に聞いたのだ。
……御子柴悠のカルテを開いて回想に浸る。
「次の方どうぞ」と言う声でそれは終わってしまった。次で最後の診察だ。
患者のカルテを眺めると、名前、その情報で脳障害の、定期で薬を貰いにくる人、と頭が働く。処方箋を出したらもう帰ってもいいだろうか。どうせ今日は午前のみだ。
20代の、丁度悠と同じ年頃の女の子が母親とやってくる。「最近変わったことはありますか」「やっぱりちょっと眠れません」「じゃぁ一日1回から2回、朝と夜にしましょうか」としか会話をしなかった。
……母親と言う概念はどんなものなのか、兄弟という概念はどんなものなのか。始めから持たなかった俺には全くわからないもので。
悠と陽が訪れた日にまず、「児童相談所案件かな」と感じたのだが、それよりは話を聞かなければならないと言う、妙な若い信念に刈られてしまった。悪くはないが、例えばそう、養護施設なんかに入るのなら、それは頭の片隅をずっと、ぐるぐるとしてしまうものだ、俺がそうだから。
全部が自分のエゴだというのはわかっている、だから今朝のように束縛じみたことをしてしまう。
君はまだ、箱の中に入れられると言う感覚を知らない。けれど俺が今朝したそれはどう違うのだろうか。
帰ったら謝ろうかな、いや、それもどうなんだ。事実悠には世界への休息が必要だ。ずっと、怖くてたまらないのをあの子供は言えないでいる。言えたのは最後だけだった。
『こんな……こんな恐ろしい子…!』
あの母親がそう言って、あの父親が俺を見たとき、そうか俺は失敗したんだと感じた。
それに悠がどう思ったのか、ただ複雑な涙腺、くしゃくしゃな目元で『あはは、』と、姉のように笑ったとき、俺はこの親たちと変わらず、こんな瞬間でも自分のことしか考えていないのだと後悔した。
けれど、それに疼くような、暗い喜びも隠れずに沸いてきて。
『また悠はいたずらしちゃったんだね、しょうがないなぁ…陽が病院へ連れてかないと、』
病院の待合室で悠は泣いて笑ったのだ。
悠は8歳にして姉の陽を、首を絞めて殺してしまったのだ。
誰もがはっきり事態を、把握し混乱した瞬間だった。
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