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あの施設はいつでも誰かが泣いていた。
いつでも誰かが出て行った、いつでも誰かがやって来た。
いつでも、誰かと同じだった。
弟、妹、兄、姉、母、父がたくさんいたのかもしれないけれど、仲が拗れれば“そこ”とは暫く、それはどちらかが出ていくまでずっと面倒になる。
だからといって仲良くなってもいつかは居なくなってしまって。
それが当たり前なのだから、そのうち感覚は麻痺してしまう。
御子柴兄弟の家はそんなものにも近かったのかもしれない。
「お父さんはいつも優しいのよ、先生」
陽はある日にそう話した。
「私に色々なものを買ってくれるの、お洋服もたくさんあるの。でも、すぐ無くしてしまうの」
いつでも陽は、異常なまでに笑っていた。
「悠は男の子だから、」
そしてそれをよく口にした。
「男の子には出来ないんだって!」
誇らしげに言った陽はそれから「ほら!」と、ワンピースを捲し上げたのだから、衝撃しかなく。
体に傷はなかった。
その時悠は寝ていたのかどうかは知らない、ベットに寝転び布団を頭から被って身動きひとつもしなかった。
パンツを脱ごうとする陽を「やめなさい、」と窘めるのに「どうして?」と訪ねてくるのも無邪気なのだ。
「良くないことだよ陽ちゃん」
「でも嬉しいのよ?」
「どうして?」
「わからないけど。一番嬉しいのはね、」
そう言ってデスクの下へ潜り股の間から顔を出したときに「陽ちゃん!」と怒鳴ってしまったのを思い出す。
「陽を怒らないで」
その声で起きたのかはわからないけれど、頭を出して掠れた声で言った悠に「…ごめん」と言った日もあった。
『父親からの性的』
虐待なのか?
子供が、嫌がっていない。それは果たしてと考えながら「かくれんぼは終わりですよ」と、陽に普通に告げるのは辛かった。
一度目以外は二人で受診していた、だからそれからやっと、陽を看護師に預けて悠と二人で話そうと思ったけれど「やめて、」と、悠が不安そうなのだからこれにも判断が追い付かない。
けれどそれに陽が悠の手を、半ば無理矢理引っ張り、袖を開けるのに「嫌だよ、」と嫌がる悠には構わない無邪気な陽。
腕いっぱいにあった切り傷は、位置によって自分では付けられない位置にもあった。しかし薄いもので、
「陽がいないとやっちゃうの、悠。だから治してあげて?」
腕には切り傷ばかりじゃない。痣もある。
もしかしてこれは母親のネグレクト、父親からの性的虐待、そして壊れた姉が代理ミュンヒハウゼンなのではないか。そんな仮説を立てても説明に納得が出来ないが、集団心理としてならば「一人対象を作る」。
すんなり、わかったような気がする。
ここに来る前から誰一人、人がいなかった。
布団から顔を出した子供に「そうか」と、仲間意識が出来るような気がしていて、その時点で俺は医者をやめるべきだったのかもしれない。
泣きそうで堪える悠を見て、「陽ちゃん、ダメだよ」と告げる。
「悠くんも痛いし陽ちゃんも、裸になってはいけません。お腹を壊してしまいます」
「……そうなの?」
「そうだよ。だからダメ。お父さんもお母さんもわかっていないんだ」
「お医者さんじゃないから?」
「そう。
悠くん、俺とお話してくれないかな。君と仲良しになりたい。
陽ちゃんはじゃぁ、悠くんが元気になるように、折り紙を折っていて頂戴よ」
「うん?」
「先生にくれてもいいよ。あぁ、二人分作ってよ。陽ちゃんは器用だから、どうかな?」
「わかったよ!」
陽が出て行くことに悠は「嫌だ、嫌だ!」と泣いたけれど、俺はそれを押さえつけるように抱き締めることしか出来なかった。
「やめろ、やめろ!」と暴れる悠を撫で、「辛かったね」と耳元で声を掛けたとき、悠はぴたりと止まり驚いたように俺を見たのだった。
「…悠くん、暖かいんだね。よしよし、先生はどうだろう?少し体温、冷たいって言われるんだけど」
「……あにが?」
「なんでもないよ。悠くん、痛いときは陽ちゃんに教えてあげよう?そしたら」
「ダメだよ、」
「…なんで?」
「そしたら……陽は、お、俺のこと、いらなくなっちゃう、」
「…何かお願いしてみたらどうだろう。折り紙とか」
「……陽は先生に会いたいの、だからここにくるの、」
「…じゃぁ優しい陽ちゃんに千羽鶴を折って貰おうね」
「違う、違うの先生、」
「陽ちゃんも病気だから、じゃぁ一緒に来てよ」
「ダメだよ、もう怖いんだよ、皆にバレちゃうんだよ、だって、これ見せるんだよ?可哀想とか、優しいとか、陽は優しくしたいだけなんだよ!」
…賢いのは時に不便だ。
「いつか治るからいいんだよ」俺は思ったことを言っただけだったのに。
どこかで、そうやって傷付いてくれたら、…傷付けてくれたらと、この重症な子供を使って自分を慰めようと思っていたのは、施設で何も言わず、静かに過ごして優等生だった自分が嫌いだったから、間違いなくそれは考えたこと。
引き金になったのは自分勝手な自己投影でしかなかったのかもしれない。
何が正常なのかがもう、わからなくなってしまった。
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