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 すぐ、だったのかはわからないが、足音が聞こえ悠の靴が見えたとき「何してんの…」という困惑した悠の声が頭から降ってきた。

 見上げた悠がドン引きした表情を見せていることに、安心したのか自分でも不明なのだが笑えて、「おかえり」と言う声は憔悴しきっている。

 そのまましゃがみ込んだ悠は「ダイジョブかよせんせー…」と言いつつ、頭をぽんぽんとしてくれることに、あぁ冷静になろうと思えた。

「凶悪犯みてぇな面して怖ぇよ」
「あぁ、……まぁ、」
「悪かったって。けどおかしくね?」
「自分でもそう思う、悠、」

 大丈夫かと言う前に「中入れて」と言うのに現実に戻ったような気がしてきた。
 多分余裕が自分にはない。言われたことをやるのみ、とばかりに玄関に二人で入るけど、「大丈夫だったの」だなんて、直球に聞く。

「うん」
「悪いな、怖かったか」
「……別に」

 そう言って後ろから急に、まるですがるように抱き付いてくる悠の手が、震えている。
 振り向いて、ただただ頭を撫でて「よしよし……」と言うこれも、考えたら異常だった。

 ふわっと、なんだか生々しい、生きて死んだ臭いがしたような気がした。

「……彼女と会ってたの?」
「うん」
「それならそう言ってよ。嘘はいけない」
「わかってくれそうになかったから」
「なんで、」
「誰にもわからなくていい、わからない方がいいんだよ」

 …孤独を感じた。
 俺はただそれに「悠、」と呼び掛ける。

 君は俺を殺すつもりなのかもしれないな。
 だから正直になろう。

「悪いね悠、日記見ちゃった」

 固まった。
 だが悠は案外普通に「あっそう」と、返した。

「…変態だね」
「うん、そうだよ」
「面白いもんでもないでしょ」
「酷く傷付いた」

 悠は俺を離し「で?」と言う。

「……なんで黙ってたの先生」
「さっき、」
「もう陽はいないって、なんで黙ってたの」

 そうか。

「…おかしいと思わなかったの?」
「うん、思ってた。多分ずっと。でも先生は言ったよね「陽ちゃんはずっと君の中にいる」って。確かにそうだ。合ってる。合ってるけど、」
「より病状が悪化するからに決まってるだろ。取り敢えずご飯作る」
「いい、いらない。そんな気分じゃない。そんなものいらなかったのに」

 悠は笑って「本当のハルはどんな子だったぁ?」と、朧な口調な癖に、泣きそうだった。

「きっと良い子で、優しくて、可愛くて…愛しくて。弱くて繊細だったと」
「合ってるよ。…合ってる。絵に描いたようなね。けれど同じくらい影がある子供。これは、目には見えないところ」
「…シーロスタット観測って知ってる?先生」

 俺はその溢れた涙を拭うのだけど、痛いくらいにその手首は捕まれ、拒否をされる。

「二枚の平面鏡を使うんだよ。大体は太陽のに使う。日周運動を行う天体観測で、これは光学の話。天体を追って、その光を一定の場所に導くの」
「…知らない」
「俺は一体なんだったんだろう」

 誰が正常なのか。
 誰もが充分に異常だった。

「…悠は悠だ。良い子で優しくて、可愛くて愛しい。弱くて繊細な」
「そーゆーの、いまホントにいらないから」

 俺をその場で押し飛ばし馬乗りになって胸ぐらを掴んだ悠は、けれどくしゃくしゃにな泣いたまま言った、「俺がハルにしたことを全部やってやるよ」と。

 俺はもう、その頬を撫で「いや、」と、至極冷静に努める、

「陽が君にしてきたことを全部やれば良い」

 なのに自分も泣けてくる。
 驚いた悠に微笑むことができただろうか。

「怖くないから、悠。何一つ怯えることはないよ」
「…あんた、頭おかしいんじゃねぇの、」
「自分でもそう思う。俺は何一つ人の気持ちなんてわかっていなかったよ。君ほど、考えもしなかった」

 けれど悠は手離して「…バカらしい、」と脱力した。

「…俺は陽を殺したんだよ、先生」
「…そうだね」
「どんな気持ちだったか俺にもわからない」
「うん」

 ふらふらと悠は立ち上がりリビングへ向かい「飯」とだけ言った。

 また引きこもってしまったんだと、「病院行こうか」と告げる。

「いや、」

 行かなくていいか。
 どのみち俺も医者なんて辞めようと思うから。

「好きな場所へ行こう、互いに。どこでもいいから」

 リビングにいる悠に聞こえたのかはわからない。君と俺は同じところにいるべきじゃないという、どこまでもエゴイスティックな考えばかりが血肉に巡るのがわかる。

 バサッ。
 何かが切れる音がした気がした。

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