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「うぇっ、」
胃酸が込み上げ、口にまでじわりと滲むくせに、結局喉は閉まったままで。
生臭く苦ったるい粘着がまだ残る気がして左の中指を突っ込んでは嘔吐くしかないのに、左手首が目に入り、苦しさに生理現象の涙が滲んだ。
「…大丈夫?悠《ゆう》」
「あ゛ー…っ、っせえ、はぁ、」
誰のせいだと思ってんだと、肩に置かれた照井の手を叩いて払う。貴様が調子に乗って喉奥まで突っ込んできたのが悪いんだよこのチンカス。
「…ごめんて、」
「黙れよっ……この変態…」
胃がムカムカする。
爛れた喉から出てくる俺が吐いた暴言に照井はさして気にもしない。悪いと思っているのかもしれない。
背中を擦りながら「はい、吐きやすいでしょ」とミネラルウォーターを渡してきた。
ここまで来れば胃に内容物などないのかもしれないがただ吐いていたかった。だが、狭くなった喉はどこかそれを塞き止め、引っ込めるように痙攣している。
そわそわする。
「そろそろ…」
そう声を掛けてくる照井がうざったい。水を飲んで落ち着く前に、シャツとパンツのヤツにぶっかけた。
「冷たっ、」
と照井が言う頃にはまた俺は嘔吐いて便器に向かう始末だ。わかってる。ただの胸焼けでもう吐くものはないから左中指を突っ込むときに、手首の傷が目に入るんだ。
陽《ハル》、
漸く少し吐いた、苦かった。
何度かそうしているうちに頭がボーッと低酸素になる。明らかに血液だとか、そんなものが足りないのだろうと、ぼやけて思うほどに冷や汗で覚めてきている。
治まったかどうか曖昧な頃に「お風呂でも溜めるよ」と照井は言って去ろうとするのを見上げる。
「良い子」
先程とは想像つかないほどに優しい保護者のような目で言う照井に、目を反らしてしまう俺がいる。
起きてからの一連の行為が悪いことだと、わかっている。
特に、こうやって吐いた後の血圧低下と同時に押し寄せて一気にくる賢者タイムが嫌になる。ただ、何故なのかは自分ですら解明出来ない。
しゃがんだまま壁に寄りかかってぼんやり、傷付いた左手首を眺めては、そうだなハル、俺は生きてるんだなと溜め息が出た。
ハルはきっとこんな俺を知らないし、俺もハルのことはわずかにしか見えていない。何億光年先の星と一緒。俺は衛星でしかなくて。
つまり今日の光化学は迷子になってしまったのか。日記にいつもの落書きも、手首の傷も増えないうちにまた俺は地上に戻ってきたと言うことだ。
それがハルにとって良いことなのか悪いことなのか、俺にはわからないでいる。照準はまだまだ合っていなくて、暗いのだ。
思い出してみてそうだ、観測記を書こう。ふわっと思う。
羽織ったシャツのボタンを閉めてふらっと、まずは手を洗いたいし歯も磨きたいと洗面所に行くと、照井が「なんか食べる?」と風呂場から聞いてきた。
浴槽を洗いながら言う照井はシャワーの先から、歯ブラシを咥えた俺に視線を写して「あ、」と言う。そうだ、タイミングが悪すぎる。
照井は一通り洗い終えたらしくシャワーを止め、上がって足を拭く。
「…大丈夫?」
見上げてタオルを洗濯カゴに入れながら「悪かったね」と詫びを入れてくるがそもそも俺はいま喋れない。
答えないままでいると、照井はなんとなく洗面台に手をついて返答か反応か、俺の何かを待っているようだった。
全体的にこいつはなんで空気が読めないんだろう。
歯を磨き終えると照井は楽しそうに笑いやがる。
「ちょうど、昼に食べそびれた納豆巻があるんだけど」
「…昼病院で納豆食おうとしてたの、お前」
「そう、買った後に気付いて、まぁ時間もなかったしマグロ巻食べた」
「…その納豆巻って」
昼の納豆巻、いま俺が食って腹壊さないわけ?
「…というかマグロ巻と納豆巻買ったの?」
意味わかんないけど。
「ん?そうだよ?」
「…あんたって変わってるよね」
「食べる?納豆ならもう歯磨き粉で味がわかんない、とかあんまり」
「食う」
即答すれば今度は優しく笑い、雑に頭を撫で「いい子いい子」と、先に洗面所を出ていく。
なんだかなぁ。
俺も手を洗ってリビングに戻る。
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