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 きっと、勝手に遠退いた気になっていたのだろう、守った気になっていたのだろう。だが、自分がそうしなくても母と正幸さんは幸せになっていたのだ。
 たったそれだけの入り口から漸く、するっと糸が抜けた。そう、そんなものだった、酷く自意識過剰なようだ、切れはしなかったから寂しくもある。

「とても大変だったんだけどね、楓」

 ふと、母はそう切り出し、正幸さんを見て微笑んだ。
 なんとなく言いにくいことなのかもしれないと、感じ取る。

「母さん、絶対に楓は産みたい、産むって決めたんだ、楓のお父さんと別れたときに」

 何を言い出してしまったのかと思い咄嗟に正幸さんを見るのは楓も、真麻もそうだった。
 正幸さんは母の手を、握っている。

「…だから、そんな我が儘にたくさん考えた。もちろん私は責めてもらえるほどまわりに誰もいなかった。お母さんはどうしようもないし、今日だって、もしも楓が会ってくれなかったらとか、考えた」
「…うん」
「…お父さんに会いたかったかな、楓は」
「え?」
「でも会わせたくなかった。どれほど私やあの人が楓に苦労を掛けたかと…」

 確かに苦労は多かったけど。父親がいないことが当たり前なのだから、そんなに気を病むこともないのに、なんだって言うんだろう。

 意図が読み取れない。
 答えにすがりたい。

「…母さんは、…聞いていいかな」
「なに?」
「どうして別れちゃったの?」

 誰もが彼方に手を振れない。

「…いけない人だったからだよ、楓」
「いけない人…」
「うん、そう。悪い人。無事に産まれてくれてよかっ」
「それってどういうことなの?」

 雲は少し濃くなった。

 いつまでも抱いていた自責がはっきりしてくる。自分は、本当に産まれてきてよかったのだろうか、そうだ、これはここに来る前から…いつからか、擦るようにどこかにあって。

「…産めなかったらどうしよう、そう思ってた」
「それは…」
「どんな楓でも私は幸せだよ、楓」

 だが母はそうして雲隠れしてしまったような気がした。

「…まぁ、ありがとう…」

 また、何かを楓が噛み殺したのか。そう見て取ることしか真麻には出来ない。
 どんなものがこの二人にあったのかはわからないが、噛み合わない気持ちだが同じ言葉、「どんな楓でも幸せだよ」と真麻も思う。

 「勝成くん…本当にありがとうね」と楓の母が振ってくることに「いや、」と、しかしこれは異論ではないのだから。
 過去は酷く灰色に思える。

「俺も自分主義なので、感謝には及びませんが、楓と会わせて頂いてありがとうございました」

 真麻の返答に何が含まれているのかも、なんとなくしか伝わってこない。

「俺はね、母さん」

 褪せたり穴が開いてしまった物の中に、改めて色が入っていく。
 それだけで、怖かったものの姿が見える。
 どうしてそうやって逃げずに、とどめのようなものを刺そうとするのか、真麻には何も言えないけれど。

 こんな気持ちになる自分は酷く歪んでいるのだと、楓は息苦しさを感じる。
 母や自分に含まれている物質に、色なんて端からなかった。

「母さんが幸せなら本当にそれでいいよ」
「母さんも同じ気持ちだよ」

 今日見た夢は、そうだ。
 1999年の夢だ。母は、「守ってあげるからね」と、毎度怯える楓に言い聞かせてくれたのに、違うんだ、はっきりした。
 そんなんじゃ母に何かを話すことなんて出来やしないんだ。だがそれも、母は悪くない。ただ自分は世界の滅亡よりも流星に手を振りたかっただけだったから。

 過去という彼方に手を振ることなど未だに出来ないでいるならば、誰かがそれを食べてしまえばいいんだよ。

 見つからない言葉も噛み殺して、「今日はありがとう」と楓は言った。

 答えだなんて、救いもしないものだった。なら始めから、気が狂っていたのかもしれない。何に酔っていたというのか。

 楓の当たり障りのなさに、どんな色で世界を視てきたんだろうと真麻は知りたくなる。君はどこまで行っても真っ白だ。後遺症に立ち眩みがしそうな、サイケデリックな物。

 アルカロイドは空気と同じような物質だ。

 穏やかな楓は「隣、取っといてくれたんだよね」と母に確認をする。
 多分、これでまた楓は静脈のような生命のそれを切ってしまったんだと真麻は側にいて感じた。

 「ゆっくりしてね」とスッキリしてしまったような楓の母親に、この人の目は何色の世界なんだろうと真麻は考えた。そもそも、女性には俺と同じ、弱った色の世界は稀であると聞いたことがある。いや、少ないというだけだと思うけれど。

「身体に気を付けてね、母さん」

 そう言って楓は母のお腹をなぞる。しかし、僅かだった。
 「勝成くんも…」と言われて真麻も触れてみた。

 これが生命かと思考回路が繋がる前に楓が部屋を出たのだから、「無事に、」と言葉にして真麻も部屋を後にした。

 男の子かなぁ、女の子かなぁ。
 少し先の色なんてもう、煙のように霧散してしまった。

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