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「方位…25゜、高度が…10゜…16時現在」
「雨川くん、今は18時だよん」
「えっ、」

 神崎教授はやれやれとは言わずメモをしながら「まぁいいんだけどね」と言った。

 泊まり込みの2日目である。
 雨川はどうも、「ん?そんなに高いの?」と、突拍子のない数字と間違えたり、方角の設定を間違えたり、はっきり言って折角連れてきてもらったのにも関わらず、使えない助手になっていた。

「よし、変わろうか観測」
「すみません、なんか…」

 ノートパソコンを渡され、望遠鏡の観測を変われば「うん、合ってるね」と神崎教授は言った後、「寒いかな?」と聞いてきた。

「いえ、寒くはない…です」
「あそう。セクハラで訴えないで欲しいんだけど月経って…辛いみたいじゃない」
「あぁ、すみません、それはもう大丈夫です」
「ホントに?」

 驚いたように振り向いた教授に、「はい、大丈夫です」とはっきり答える。

「…あんまりほら、深くは聞くと…なんだけど、まだ辛いかなぁと少し思って」
「あ、いや、俺のはその…凄く早く終わるみたいで」
「あ、そうだったの?」
「はい…その分危ないらしいんですが…」
「と言うと?」
「その…一気にべりっと」
「いや〜…痛そう多分〜」

 教授は顔をしかめ、望遠鏡の側に置いた、クッションまで敷いたパイプ椅子に座る。なるほど漸く気遣いを理解した。

「今回迷ったんだけどね…」
「お気遣いすみません、ありがとうございます」
「君は気付いてるかわからないけど溜め息が3秒に一回くらい観測できるし」
「マジですか」
「ちょっと盛ったけどさ」
「うわぁあどのみちすみません、いや、超興奮ではあるんですけど…」
「目はキラキラしてるもんね。やはりあの男のせいかい?」
「いや……」

 雨川が俯けば「コーヒー飲むかい?」と立ち上がり椅子を勧めてきてくれる。
 「いえ、いいです」と謙遜する間に「全くさ、」と、神崎教授は聞きもしないで財布を取り出した。

「あの男なんでこう、雨川くんを振り回すのかねぇ、小学生男子みたいじゃない?シャイなんだかよくわからないけど気になる子に意地悪しちゃう、みたいな」
「いやぁ〜…正直それあんまり実際にやる子供を見たことがない気が…」
「僕はやっちゃった|質《たち》だよぅ。意地悪と言うか振り回しちゃったりなんかして。なんだよぅお前なんか庇ってねぇよう俺はお前にボールやりたくねぇんだよう、あっち行けよって言うドッチボール」
「凄く具体的なお話ですね神崎教授」
「そっちが私の前に来るんじゃない!って喧嘩しちゃってさ〜」
「それは初恋とかの話で?」
「うんそう端の席のトモヨちゃん。僕にもそんな可愛らしい時代があったのよ」

 なんでそんな教授の可愛らしい時代を聞かされているのだろうか。
 教授は構わずに「新惑星、トモヨでエントリーしようかなぁ」と言いながら研究室を出て言ってしまった。
 教授は雨川が、コップでコーヒーを飲まないと言うのを知っているのだ。

「はぁ……」

 今回の溜め息は気付いた。そして確かに吐いてるのかもしれないと、なんとなく宛があるような気もするもので。

 なんなのかねぇと言われても、雨川にもわからない。確かに例え話で言うならば、自分はトモヨちゃんのポジションだろう。よくわからないまま守って貰えてるのに、いざというときに意地になってボールを取りに行き、当たってしまう。

 …引き受けた癖に、ソラのことをわかっていなかった。いざと言うとき病院にすら連れて行けない。まぁ、体調管理に関しては南沢がなんとかやれるのだけれども。

 男の身体の仕組みも、女の身体の仕組みもいまいちわからないが、そんなことよりもまず自分のことをわかっていない。
 あの時何故自分は、ソラをまるで犯すような、求めるような行動に出たのだろう。どこかで、覚えがあった。
 その覚えに酷く寂しく、ショックを受け、心が耐えられなくなった、嫌だこんなことはと。

 自分が知らない場所に自分がいる。たまにあることだと最近見え隠れするそれが、何よりも気持ち悪い。

 南沢は自分の、何を知っているのだろうか。

 教授が戻ってきて、また自分は無意識に溜め息を吐いたと自覚した。
 教授は微糖の缶コーヒーを自分に渡し、ニコッと微笑んでくれた。

「適度な糖分は頭が冴えるよ」

 と、缶コーヒーを開けて望遠鏡を覗き始める。

「…神崎教授」
「なんだい?」
「…つかぬことを聞きますが、教授はトモエちゃんとそれからどうなりましたか」
「う〜ん…どうだったかなぁ。
 あ、泣いちゃってねぇ〜…。気まずくて何もないままクラスが変わったんじゃなかったかなぁ」
「そうなんですか…」
「あ、いや待てよ」

 と、望遠鏡から目を離す。

「僕そうだ、クラス替えの前に告白したかもしれない」
「え、そうなんですか」
「一大決心だよ〜。
 けどフラれちゃった。意地悪だからって。でもそれから、トモヨちゃんも僕のこと好きだったんだ、なんて、中学くらいで聞いたかも」
「…え、で?どう…」
「多分気まずかったのかなぁ、トモヨちゃん。何もアクションはなく、僕はいつかなぁ、とか、僕から行こうかなぁ、なんて思っていたよ、確か」
「……そうなんですか」
「まぁ盛ったけどね」

 やはりか。随分すいすいと昔話を覚えているなと思えば。

「けどリアリティーあったかな?」
「そうですね…いま正直事実かどうか図りかねました」
「そうだよねぇ」

 それからその話は終わった。
 あとは教授から言われた数値を記録し、時に交替をしながら小惑星、ベスタの観測をする。この小惑星は確か、3年か、4年に一度観測が出来る。

 雨川は初めてそれを、観測したのだ。

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