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「…ふふん……」
観測写真を眺め思わず声まで出るほどだった。これは自慢したい。
小惑星ベスタ、クレーターまでくっきり写っているのが一枚。あとはわりとブレているが、「カラーコピーして持って帰りなよ」だなんて教授が言ってくれた。
「子供にも見せておやり。まぁ、ただの石ころと言われても怒らないでしょ雨川くん」
うーん、どうかな。いや、きっとソラは「わぁ!星なの!?」と気を使ってくれるだろうと思っている。
しかし帰宅の、マンションの前で雨川は思い出した。そうだ、ソラは南沢に預けていたんだった…と。
「………」
さて、電話すべきか…。なんせ最近色々と気まずいことが起こったばかりだ。
ケータイを手にして考える。南沢になんと言おうか、素直に「ソラを引き取りにいきます」で良いはずなのだが、引き取って良いのか疑問になってきてしまった。
いや、元は南沢が押し付けてきたのだけどうーん、ならば南沢が権限を握るのだろうか、いや、そもそもソラはこんな自分と、共にいたいのだろうか…。
自分だったら、やはり複雑で暫く会いたくない、それでお流れになれば「そうか」くらいなものかもしれないのに。
何故、引き取ることを頭に置いているのだろう。元を言えば自分は一人で暮らしていた…ソラの無邪気な笑顔と、次に南沢の、少し寂しそうだった顔が浮かんでしまう。
正直、気が重いなとケータイをぶら下げている。まぁ、まずは自宅へ帰ろうと先伸ばしにすれば、エレベーターの中でバイブが鳴った。
南沢だった。
凄くタイミングが悪い男だなと、勝手な考えが過り、いや、まずは自宅に帰って掛け直そうと考えた、律儀に3コールで切れる。
エレベーターから降りて自宅、角部屋の305。鍵を開ければなんだか、何もなく真っ暗な空間へ辿り着いたと、南沢に電話を掛け直す。
律儀に3コールで『もしもし、雨川くん?』と言う南沢の声がした。
「すみません、先程掛けましたよね」
『あ、うん。今家?』
「着いたところです。ソラですかね」
『そう、雨川くん家に送り届けようか迷っちゃって』
「……ソラは、」
それでいいのでしょうか。
「…元気になりましたか?」
質問を変えた。言いたくないような言いたいような、そんな気持ちが作用した。
『…うん、元気。マフユちゃんがお腹すいてるかなぁって、飯作ってくれてた。雨川くん、夕飯は済ませた?』
「…いえ」
『迎えに行っても良いかなって、なんか、変な話だけど…』
「…わかりました。お待ちしてます。15分くらいでしたっけ。荷物を片して…それで…」
『うん、わかった。今日は、肉じゃがだよ』
「わかりました」
通話を終了し靴を脱いだ。
自然と、ソラをどうするかなんていう話にはならなかった。
南沢の言ったことだって、気を使わせたのかもしれない。
しかしそこで疑問になる、どうして南沢は気を使うのか。
単純に飼い主、の感覚なのかもしれない。水槽だって掃除をするのだし、水質を調整する薬品だって入れるだろう。でも、そんなことよりもソラが、子供が気になる。
子供の頃の傷の方が、不意に浮上してくることがある。あの、学ラン姿の南沢はその類いのものだと思う。
なんでそれがこうも、何か痞てしまうのかがわからない。南沢は覚えているのか、いや、自分の記憶違いの可能性だってある。
…考えたらどんどん止まらなくなってきて、その場でしゃがみこんでしまった。
でも自分は知っている、昔、自分には大切な物くらいはあった。いまそれがないことくらいはわかっている。
それがどうしてこんなに。
どうしてこんなに痛いのだろうか、わからなくて、気持ち悪い。
思い出そうにも生理的な物か、頭が強烈に痛くなる、耳鳴りのように。けど、こんなものは自己防衛のひとつだと、何故だかわかっているのだ。
暫くそのまま玄関にしゃがみこんでいたら、チャイムが鳴った。それは耳鳴りと相まって頭を痛くするのだけど、「…はい、」と返事をして、振り切りドアを開けた。
南沢はそれを見て驚いた顔をして「どしたの」と言った。
「…高山病的なやつで…」
「大丈夫?」
「はい、治ります」
「…ちょっとゆっくりしてもいいよ」
「…あぁ、荷物。はい、ちょっと置いてきますね」
…自然と、ひとつこうしてやること、思考を遮断すればその頭痛は取れる。
旅荷物だけを部屋に置き、しかし思い出した写真は鞄に入れ、「お待たせしました」と告げれば、南沢は複雑そうに「うん…」と一瞬立ち尽くす。
けれど南沢はすぐに、あっさりと今入ってきたドアを開け、「行こうか、鍵ね」と、普通になった。
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