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 箱の中で番号を呼び出す。
 2コールでがしゃっと音がして『はい』と、伊緒の素っ気ない声が聞こえた。

「伊緒、あのさ」
『はい?』
「…今日から、環、退院するから」
『えっ、』

 やはり驚いたようだ。
 無理もない。急だった。

『よかったです…。
 あの、そうなると俺は…政宗さんの…』
「いや。別にそれはまぁ、お前の好きにして構わない。
 部屋は…」

 頭をよぎった。

「一部屋、あっただろ…?
 あれ、昔俺が使っていた部屋なんだ。まぁ、ずっと使ってないから、掃除が必要だけど」
『俺、居て良いんですか?』
「まぁ、お好きなように。俺は構わない。環も、お前のこと、覚えてたから、まぁ、悪印象じゃないんだ、きっと。
 まだあまり会話は出来ていないんだけどさ」
『…そっかぁ』
「まぁ、そう言うことだ」
『…わかりました。
どれくらい掛かりますか?部屋、掃除しますから』
「…うん。まだわからん。いまから委員長と理事長に話すって、担当医が。
 まぁ、いつでも退院はしていいと、なっていたようだから、多分それほどは掛からない」
『わかりました。
 環さん、何がお好きですか?』

 明るいような、穏やかな問が来た。
 そうか、3人で、暮らすんだ、あの広い家に。

「…甘いもの、好きみたいなんだけどごめん、俺も初めてで、…環の好み、知らないんだ」
『わかりました。
 じゃぁ、帰ってきたら流星さんが、作ってあげてください』
「伊緒…」
『待ってます。では』

 電話は切れた。

ありがとう、伊緒。

 そのままその箱を出て、見つめる小湊さんに頷いた。
 了承したように小湊さんはまた診察室へ歩き出した。

「小湊さん」
「はい」
「環は、…食の好みは、なんですか?」

 試しに聞いてみた。
 小湊さんはふふっと笑い、「さぁ…でも」と言う。

「多分普通の、なんだろうなぁ…ハンバーグとか、そんなのですよ」
「そうですか」
「壽美田さん、お料理を?」
「はい。今日は、作ってやれって、同居人が」
「…あら」

 小湊さんはにっこり笑い、「嬉しいだろうなぁ」と言った。

「頑張って下さいね、壽美田さん」

 それが凄く。

「はい」

勇気を貰えた。

 診察室に二人で戻ると、いつの間にか環は入院着から外着に着替えてたらしい。足首辺りが絞られた青いズボンと白いロングTシャツだった。
 増山先生は「では」と立ち上がった。

「また、この前のところで、ランチでもどうぞ」

 それだけ言い残し、二人は去っていった。

あれ?
俺、喫茶店の話、あの二人にしたんだっけ。

 環を見つめれば、嬉しそうに見上げていて。
 あぁ、もしかすると、話したのかもしれないな。

「環。行こうか」

 少しばかり照れ臭い。やっぱ俺も俯いてしまう。
 けれど環が立ち上がり、手を差し出されて、俺はやっと顔があげられた。

 環は綺麗な笑顔で笑っていた。それにまた、息を呑むような、
なんだかゆったりとしていくような、そんな安定を心に得た気がした。

はぁ…、なんだろう。

 手を取って、しかしそれくらいはリードしたい。手を握って先を歩くことにした。

「ふふっ、」

 と掠れた、けれども甘い声がした。
 楽しみ?楽しいのかもしれない。こんな、小さな出来事が、俺には凄く。

 診察室から出るとまわりがとても温かく見送ってくれた。まったく、ちょっとランチだよ。だけど浮わついている。そんなに、俺はわかりやすいだろうか。
 エレベーターに入って、二人だけになってみて聞いてみる。

「環、」
「はい」
「…ここまでお疲れ様。長かったね」

あぁ、それじゃない。けどそれも言いたい。

「あの、あの喫茶店、そんなに気に入ったんだね」

 わかりやすくはっきりと話しかけてみる。この、環限定の癖に今更俺は気が付いた。

「他には、環、行きたいところは」
「りゅうせいさん」

 さっきよりもはっきりと、環は俺の名前を発音した。

「あっ、はぃ」

 なんかそれにも、息を呑んでしまった。真っ直ぐ俺を見つめる環の瞳が、少し不安気になったけど。また笑ってくれた。

「たのしそうですね」
「え…」

まぁ。

「今日は、晴れていますか」

おっ。

 前回の外出を思い出す。
そうか、今日は。

「さっき曇ってたよ」

 取り敢えずパーカーを脱いで肩に掛けてやる。きっと、寒い。
 環は俯いて「ありがとう、」と小さな声で言う。俯いてるので肩を掴んで言い聞かせる。

「環、具合が悪くなったら言うんだよ。無理はしないでな」
「…はい」

 ちょっとの上目使いに目が合って。

「…、」

俺は何も言えなくなってしまった。
どうしようか、こんな感覚。環に対して抱くこれは。

むず痒いような、優しいような、暖かいような。とにかく照れ臭い。そして無償に抱き締めたくなってしまったが、取り敢えずここは公共だ。

 1階で降りて、ゆっくりと、環に歩幅を合わせて出口まで歩く。

 横顔がとても嬉しそうで。
素直に、よかったと、感じられた。

この笑顔に俺は今…。
満ち足りていて、色々な希望なんかを敷き詰めて。

 ふと環と目が合う。
 環はにっこり微笑んで、「よかった」と言った。

「流星さん、少し、元気が、ないような気がしたの」
「え?」
「外は、いいですね」

そうか。

「うん。そうだね」

 また手を繋いで二人で歩く。
 人の体温を感じる左手に、じんわりとしていく自分がいた。

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