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「朱里兄さん…?」
胸騒ぎ、恐怖に近かった。
朱里は布団から這い出るような状態で口を手で抑えていたが、そのあたりが血で汚れている。
背中も上下し噎せている。
開いた先を睨むようにぜーはーと見ているそれに「兄さん、」と翡翠が駆け寄ろうにも、もう片方の手で来るな、と制されてしまった。
何事かと騒ぎを察した青鵐が翡翠の後ろから部屋を覗けば「朱里!?」と驚く。
「た、い、医者、楼主と医者ぁ!」
慌ててまた青鵐が駆けていくのに「どないした兄さん!」と漸く翡翠は構わずに朱里の部屋へ入り駆け寄った。
「あ、あかっ、」
息が出来ずに喋ることも出来ないが、翡翠が「苦しいん?なんかされたん!?」と慌てるのだから、深呼吸を何回かして「うるさぃ…」と力なく朱里は言う。
「あの、あの侍が!?」
首を振る。
どうにもならんと、この子を追い払わねば、そうして翡翠をしっしとやるも力弱い。
「兄さん、なんで、」の間にも喀血は止まらない。どうしようもない、どうすればとわたわたしているうちにどたばたと聞こえ「朱里、」と、藤島の声がして振り向いた。
藤島は息を飲むような深呼吸で「おい、」と状況を見た。
藤島をつれて来た青鵐が「医者を呼びます」と慌てるも「いい、」と藤島は吐き捨て翡翠を見た。
「翡翠、俺の部屋から薬箱をそのまま持ってこい」
「は、」
「いいから早く離れろ」
掠れたような声で続ける。
「医者はいらねぇ……そりゃ、|結核《けっかく》だ、」
その言葉に翡翠は一瞬、事態を呑み込むことが出来なかった。
翡翠が腑抜けているうちに藤島はずかずか入り込んできては翡翠を「退けよ」と腕を引っ張り外へ追いやろうとする。
それに戸惑うも「翡翠、」と青鵐に呼ばれて部屋をじさるしかなく。
「青鵐、奥の空きの窓を開けてこい」
「いいんですか藤島はん」
「いいからお前らさっさとしろ、医者なんざ看てくれねぇよ。
朱里、お前黙っていたな」
言葉は何を意味するか。
「…一月だ」
聞き取れた。
それに翡翠は漸く理解し、「い、って来ます、あい、」と、薬を取りに走ったのだった。
一月。
それはあと一月で朱里は死んでしまうのかもしれないのか。
ほうじ茶は……。
自分でも、もしかしたらどうしようもなかったとしたらと母の冷たくなった血塗れの死体がふらっと頭に過る。
「……っ、」
どうにか。
藤島の部屋につき隅に置かれた薬箱を見たとき一度、ほんの一瞬気を抜いたらしい。
「ふ、」
声が出るなら。
「………っぅうっ…ふぅ……っ、」
涙は食い縛っても無理になる。
情けない、でも、なんでも良いけどわからない。
薬箱は予想以上に重かった。
歯をキリキリ噛んだまま二階に運ぶと、着物を絞めただけ、藤島の肩を借りた朱里が漸く落ち着いたようで、廊下の奥へ移ろうかというところ。
憔悴や疲れは見えたが「翡翠…?」と朱里が言った名前に拳を固める。
冷静なような目で翡翠を見下ろす藤島は翡翠の泣き顔は構わず「奥」とだけ命じる。
「全員奥へは近寄るな。お前ら明日伝えとけ」
酷く冷えて感じたのだけど、薬箱を置いて藤島は一晩、部屋には帰ってこなかった。
翡翠は奥で一人、色々なことを考えながらもどうか、どうかと祈ってそわそわするしかない、あのほうじ茶は効かないのだろうか、あの吐き捨てられた血は赤かった。朝までそうしていたのだが、帰って来た藤嶋がそれを見て「翡翠」と呼ぶ。
「…店主、」
「……風呂にでも入れ」
「ねぇ、」
「あれは末期だ」
「朱里兄さんは」
「聞くなよ、踏み入るな」
「だけど」
「たった数日学んだだけの男に何を泣くことがある、」
あぁ。
「……こんの、忘八ぃ!」
それから藤島はふと、眉を潜め、けれど噛み締めた苦い笑顔で「なぁ翡翠」と、ふと言った。
「極楽に死にたいか、息切らして死にたいか、」
藤島はどうやら歯を噛んだようだった。
「………は?」
「……こんな時だが、一気に、と思ったのにてめぇの顔を見たからな。てめぇの姉貴はどうだったんだって、柄にもなく一晩、あいつの側で考えた」
忘八が何を言うのか、
ただ、表情は人のように徳がある。
「……小姓を覚えるまで面ぁ見せんな。朱里に薬と飯を運ぶ。テキトーにそうしろ」
「藤島さん?」
「呼ぶな、うるせえ。あれでも可愛い息子なんだよ、」
そうか。
翡翠は立ち上がり、ホントに風呂、
いや、滝行でもしたいものだと何も言えずに部屋から立ち去る。
極楽に死にたいかなど、考えたこともなかった。そんな、幻想か地獄かわからない“死に方”にすがる通りに、翡翠は初めて向き合った。
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