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翌朝、起きてすぐに「気休めだけど」と、藤嶋は、箪笥のような箱から軟膏を取り出した。
「なんやそれ…」
と、あの赤い薬を思い出した翡翠は動揺したが、「痛み止めだよ」と藤嶋は何も感情なしに翡翠の肩を剥くのだけど。翡翠が逃げもしないのだから「うわぁ、背中もかぁ」と感心している。
こそばゆいったらありゃしない。
「…この鳥はなんだ?綺麗でもなんでもねぇな」
「|百舌《もず》鳥らしいで」
「へぇ」
大して興味もなさそうに返した藤嶋に「こそばいんやけど」と不満も言うが「敬語を使えよ頭悪いな」と言ってはあっさり着物を直してくれる。
「え、もう動いてええん…ですか」
「えーよ別に。字でも書けよ」
あぁそうだったと、昨日のままにした文机に向かったのだが。
部屋の外でどん、と「およしなさいな」だとか、「こちらさんがその気ですからぁ、」だの、明らかに喧嘩でもしているのだろう物音がする。
「うるせぇなぁ、」と不機嫌そうに呟いた藤嶋は溜め息混じりに戸を開けに立ち上がる。
がらっと開けては「朝から元気だなおい」と外へ声を掛けた。翡翠もこっそり覗いてみる。
藤島が手首を捕らえた背が見える。その手には相手に刺そうとしている簪が握られていた。
簪を握る髪を乱した千鳥の振り袖を着た人物の下には、牡丹の振り袖を着た…男かもしれない。それが組敷かれていた。
女子のようにあたふたした着流しの男も見える。計、3人と藤嶋。
男女の縺れだろうか。手首を掴む藤嶋の手に相当力が入っているのがわかる。それに「痛い!」と言う声は低かった。痛さに、どうやら簪は落ちたようで。
「どぉしたんだよっ、ええ!?」
藤嶋は状況に怒鳴り付け、まるで殴るように捉えた手首をぶん投げ、牡丹から千鳥を引き離した。
牡丹にあたふたした着流しの男が駆け寄る。
「…あぁ藤嶋さん、すまへん」
「…青鵐、てめぇがいてこりゃどういうことだ」
「止めに入るのが遅くなりました、」
「じゃねぇよバーカ!」
青鵐と呼んだ着流しの男を藤嶋は罵り牡丹の胸ぐらを掴んだ。
牡丹は藤嶋から目を逸らす。
「で、何」
「知るかいな、千鳥に聞きぃや、千鳥に!」
刺され掛けた牡丹の苛立ちも声は、低い。男女の縺れではなくどうやら従業員のいざこざのようだ。
「なんやぁ、ウチは朱里兄さんの雪解けは儚いと申しただけですえ、それをアバズレやなんて!」
「はぁ何を言うとるかぁ〜。あんさんアバズレって、京者はそないな穢らわし〜言葉ちゃうんやなかったけぇ?あんさんはどうやら優美やて自分で言うとったんに、まだまだ盛り、シモもなんもご機嫌うるわしゅうなぁ、千鳥」
「口廻りがええですなぁ、兄さん。鳥の囀ずりとはこうも歳食うたら耳障りやったかねぇ!」
「あーわかったわかったこのバカとバカ…。女子かてめぇら…」
藤嶋はどうやら呆れたようだった。
溜め息を吐き「青鵐悪かった持ち帰れ千鳥を」と指示し、朱里の牡丹振り袖の胸ぐらを引き上げ「お前はこっち」と立ち上がらせた。
しっしと手を払った藤嶋は部屋に帰ってくるのだが「ん?」と朱里が覗いていた翡翠を見下ろした。
朱里は目もハッキリした口黒子のある、綺麗な顔をした女子のような人物だった。
不思議そうな顔で見つめる翡翠にどうやら朱里は言葉を失くしたらしい。
翡翠もヤクザとは違った、朱里の独特な雰囲気に何も言えなくなる。
藤嶋はきょとんとした顔で自分のことも見てくる朱里を「…座れよバカ野郎」とあしらうのだった。
「はて…やや遅咲きかて思いますけど」
どうにも、あの千鳥よりも歳上の風貌な朱里に言われてしまったようである。
「こいつは俺の小姓として使うことにした」
「…小姓?」
「あぁそうだ。店で働くことには変わりはないがな」
「珍しいこともあるもんですなぁ、楼主。そん子、如何様にも稼ぎになりそうやのに」
翡翠と藤嶋を代わる代わる眺めている。
ふと見た朱里の右手は明らかに拳で何か殴ったような痕がある。
「翡翠、軟膏を取れ」と藤嶋は命じてきた。
「で?くだらねえ口上を聞いてやろうか朱里」
「あんさんそん子供はどこからかっぱらって」
「俺の話を聞けよ、何があったかって聞いてんだよ」
言ってからはぁ、と溜め息を吐き、翡翠から受け取った軟膏を塗ろうとした藤嶋に「なんもないわ、」とその手をしっしと払う。
「なんもなくて危うく簪ぶっ刺されそうになるのかお前は」
「お察しなら関係ないやろ」
「じゃぁどっちから吹っ掛けたんだ」
「あんさんそんな過保護やったかこの忘八」
大阪者の気概だろうか。朱里は藤嶋を睨み付けふいっと、傷のついた手の肘を立て翡翠を眺めた。
「まあ、仕込むのも苦難ですかえ?」
「それはないな」
藤嶋は生意気を言う不機嫌な朱里にあの引きつった笑みを向けた。
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