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「え、はい、こんばんわ、エレクトリック・レインボーです」

 いつの間にか俺は、最前列にいた。猛烈に頭に血が登っている、それはわかって。

 何も喋ろうとしないボーカルにサイドギターの彼が目を合わせる。片目しか見えない前髪。そして、俺と片目ギターの彼の左目、がっつり合った気がして、相手がウケて目を反らしたかと思えば。

「あの、彼が、ね」

 ボーカルに、ギターの彼は俺を指して合図。ボーカル、俺を見て、「え、」と困惑し、「えぇぇ、ど、ま、」戸惑っている。

 何事か。

「あの、え?大丈夫なんれすか?」
「は?」

 ボーカルに戸惑われて気付いた。
 俺、めっさ大号泣しとるやん。涙だくだくな気色悪い眼鏡アラサーやん。

「え、え、」
「ぷはっ、」

 だが何故だ。
 ボーカルはそんな俺を見て破顔し、腹抱えるようにして爆笑し始めた。

「ちょっとあまちゃん失、礼じゃね?」
「い、へ、へぃ、はい、はい。
 …ありがとうこざぷはぁ、ダメだごめんなさい、ごめんね。ダメダメ。
 いや楽いんでくれる人いたよーでぉかったね。あんかね。俺さっきまでなんかこう…ね」
「それ以上言ったら多分ダメだと思う」
「いや、楽しい楽しいうんうん。ほらあん先輩だっけ?あん人も多分よかったし」
「おい」
「なにーぃ?俺珍しく喋ってんのに…まあいいや、はーいやりやーっすはいハゲ、いこー」

 ドラムにそう言い、なんかぶっ倒れるんじゃないかという感じにゆらっと振り返るとまさしく、間髪入れずにいちにさんはい、とスティック音が鳴りボーカルの小さな身体がそれに合わせて揺れてギターが鳴る。

 すげぇ突拍子もねぇ。

 そこからしかしボーカルは突拍子もなく弾いたかと思いきや、突拍子もなくワンフレーズもいかないギターを弾きやめ、「ほい!ほい!」と客を煽り続けるだけ。

 なにこれどうした。

 てかなんだかもう恋しちゃったかも可愛いかもなにこれ頭ぐちゃぐちゃ。ヘロインと愛。アドレナリンとアルコールでゲロ吐きそう。俺涙腺死んじゃってる。眼鏡曇ってるマジパネェ。

 そしてその目、そのちょっと天仰ぐそのキメちゃってる感じ。ヤバイ、殺される。

「ヘェイ、吐くもんなってもとまらない、はぁい、はぁい!」

 から、しばらく歌わずの突然弾いた指さばき。大変。もういたずらしたい。どうしたの俺。なんなのとまらない。

「いたぁぁいきんの、で、どぉぉす、の、あぁぁいぃきてぇぇぇよぉぉぉぇぇぇぇ!!」

ひゃぁぁ!
もうやばい!血管三本ぶち切れたぁぁぁ!頭の中シャウト!

 なにこの子のギャップはぁぁ!どうしてそんな声で顔でそんなに苦しそうに歌っちゃうのぉぉ!

「くすーりきいてるぅふぅ、いぇぇ!」

 これは歌?叫び?ヤバイ?

 けどなんかもう場の一体感半端ない。あまちゃんがへい!と片手あげちゃえばみんなもへい!ギター掻き鳴らしてじゃらんとやっちゃえばみんなきゃー!

 どうやら皆様も血管ブチキレ中らしい。俺はあれからまた一本血管ブチキレた。なんなら前に来た奴のこと多分手ぇ振ってぶん殴ってたと思う。

 終わる頃にはみんなハッピー。

「ありがとーござっさ!」

 言い残して去るときの、両手合わせてお辞儀ポーズがまた可愛ええ。もうみんなふー!となっていた。俺真面目に完勃ちしてないか確認してしまった。そんくらいの興奮ぶりだった。

 アンコール、無理だろうけどみんなしてみた。その頃には俺はなんか賢者タイム。立ち尽くしてしまった。

 というか俺なにしてんだよ良い歳こいて。大丈夫かよシャウトテンション。身体痛ぇし明日仕事だよタコ。

 一息吐いて、でも余韻をなんとなく楽しもうかどうしようか、ただそうか明日は仕事だと、しわくちゃになったスーツをどうしようとか、興醒めするくらいに頭が醒めていた。

 けどどこか、そうどこかでまだ、身体が震えているような気がしてならない。取り敢えず逃げ去るようにアンコールを差し置いて出てみれば。

 でんにじの前に演奏してたアパートアーティストのボーカルが、売店前の立ち飲みカウンターみたいなところで、ファンっぽい女を口説いていた。

 やっぱこんな事情だよな。女も満更でもなく。

 アンコールの音以外がとても静かだ。もう少しでここも、忙しなく、殺伐と喧騒に浸ってしまうのか…。

 そんな中、バタバタと騒がしく裏口と言うか、関係者入りが勢いよく開いた。思わず、ステージから去ってしまっていた俺らのような連中は一斉にそちらを見やる。

 “staff”ロゴの黒いTシャツを着た細身で茶髪前髪ロン毛の兄ちゃんは、しかしそれでも構わず、目の前のトイレに勢い余って立ち止まった。

「ちょっとぉ、凄いっすよアンコ!」

 兄ちゃんはトイレに向かって怒鳴るように声を掛けている。
 ステージ外は、スピーカーからのアンコールしか聞こえなかったのに。より兄ちゃんに視線が集まる。

 するとそのトイレからなんと、今まで演奏していたでんにじの、金髪ドラムが申し訳なさそうにちらっと顔を見せ、へこへことスタッフに苦笑いで頭を下げたのだった。
 まるで天敵から身を隠す子リスというか、小動物みたい。

「いやぁ、ちょっと待ってくださいね…」
「え…?なに?ヤバイ?」
「ちょっ…マキー、ねぇ、…すんません、今…ちょい…」
「え?」

 スタッフがちらっと奥を覗く。

「ねぇ、もう一曲出来ねぇ?」

 金髪ドラムが一声を掛けると、奥からベースの顎髭が呆れたように現れた。

「ありゃダメかもね。もうおぶぇって。こう…おぶぇって」

 喉からなにかを出すジェスチャーをしている。

 マジかそれ。

「えぇぇぇぇ…」
「まぁ確かにやばかったよなぁ…」
「キテたねぇ…」
「ちょっと待ってくださいねー…。マキぃ、ちょっとぉ!死ぬの、ねぇ!?」

 そう言ってドラム、引っ込む。
 なにそれなにそれ。

 みんなの心配を他所に、「ふみとー!テキーラコーク!」というドラムの叫ぶ声がして。

「じゃぁ、じゃぁ先行ってんねー。
 スタッフさん、お待たせしました。」

 今度は奥からギターの長身がひょっこり現れスタッフに冷静に告げると、スタッフ、走って関係者入り口へ。
 それから怠そうに、しかし心配そうに出てきた顎髭ベースとギターは見つめ合って一息。ギターはそのまま関係者入り口へ、ベースは売店へ向かったようだ。

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