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 家に帰って、真樹が背中に背負ったギターと持ったアンプを置いた瞬間、文杜は玄関で背中を抱き締める。

 正直汗臭かった。でも甘いなぁと思って。

 「ねぇ、いつから知ってた?」これはきっとナンセンスだ。だって自分でもわからない。

 けどそれでいいと思った。
 出会った瞬間の衝撃が人生を変えた。電気ショックは後に後遺症を残すようなサイケデリックさで。

 だからどうというわけではない。
 ずっとそれから皆離れたくなかった。

 LoveもLikeもLifeもLate。書き換えればHate。英語って単純だと高校生より真樹は学んだ。

 愛ってなんだろな。ホントにそればかりに、振り向けば支配されていた。
 押し入れの中で母と、「静かに」と、息を潜めて怖い人達の「いるんだろ、金返せや!」の怒号から隠れたときのように。

 いまとなっては、あの時間が甘いと感じた幼き自分の世界の狭さに、
その方が幸せだったと思う反面、知らなければ、家庭環境がクソみたいだと苛まれることはなかった、極貧だけど小さな幸せに、疑問を抱く。

 どうして愛情はいつだって歪んで見えるのか。けど純粋な人たちは、たくさんまわりにいた。

「文杜」
「なに」

 手を離した文杜は昔と同じで優しい。けどどこか哀しい。

 ごめんと言いたかった。

「風呂借りるわ。てか、久しぶりだなぁ、文杜の家」
「…何年?2?」
「かなぁ。久しぶりに、眠くなるまで音楽でも聴こっか」

 無邪気に言うのが愛しい。

「そうだね。
 真樹、明後日さぁ、」
「終わったら文杜も風呂でも入ったら?お前も超絶汗臭いよ」
「…はいはい。つか当たり前だろライブ後だよ?腕つりそうだわ」
「あやっぱそうか。俺も久しぶりワンマンでねぇ、腱鞘炎かもね」

 にかっと笑ってさっさと玄関からすぐの風呂場に直行した真樹に。

「つうか、多分…」

 前回突然出てったから何年か前の寝巻きとか下着とかそういやあったな。あいつ成長してねぇし、たまに帰ってくるかもしれないと淡い期待で、ホントにごくたまに洗濯してたわ。

 文杜はそう思い返して「真樹ー、まだ真樹のいろいろ、前の棚にあ」がしゃんと風呂場の扉が閉まる音。

 もう脱いだのっ、モッズスーツ。
 絶対脱ぎっぱだろうとがらがらと仕方なく開ける。脱け殻のようにくしゃっと脱ぎ捨てられたスーツの上に白ネクタイが、何やら。

 なんとなくの諦めやらを勝手に感じてしまい、少し切なくなって仕方なく、文杜はわざわざ見える位置にハンガーでジャケットとパンツを掛けた。

 ギターとアンプは取り敢えず寝室へ運び、ネクタイを緩めてビールを一本明け、ソファに深く腰掛けてマルボロを吸う。

 おっさんになったもんだな。このライフスタイル、当時のサイトウ氏じゃねぇかと一人思う。

 そういやあの時。
 あのクソ医者ファッキン金持ちバイセクシャルテンガ病欠野郎から、ピストル自殺のバイセクシャルヤバ気な洋パンク借りたわ。
 あいつ教職として終わってるが、高二病全開な俺にすげぇぴったりな皮肉にも、希望にも受け取れたエキセントリックなアルバムだったわ。借りパクレベルで。

 洋楽って最高だよな、つうか英語は、やっぱダイレクトに日本人に届かねぇ。
 ましてやカートはヤクで後半、何言ってるかわからねぇ。あれがいい。あのヤンデレ具合が堪らねぇと、一人悶々と文杜は考える。

 俺ってどうしてこう、昔から暴力的にしか誰かを思えないんだろうか。ふと、真っ黒なテレビを見て。

 散々両親に「あんたは勉強だけしなさい」「優秀に」と、わりと勝ち組だっただろう、公務員だとかんなつまんなそうな職就いて家帰って言われるのがそれだった。
 どこで反抗心が来たかなんてわからなかった。

 だから自由だった。君が凄く真っ直ぐで。君だって、なんでそんなんですっ飛ばしたやつ助けられんのとか、まさしく異文化だった。

 狭かったのは俺だった。自由になった気になって調子こいてた。

 自己嫌悪は一人だと多発する。たまにあるビール現象。結局ずっと、下手なままだ。

「文杜、」

 背中から声を掛けられて振り返った。

 濡れたらそんな白髪じみるの、絶対色抜けてるよそれ、けど似合ってる、いわゆるアッシュじみた髪型と、いつかのライブTシャツ(Mサイズ)と七分の灰色スエット。

 何より頭のがしがしやりながら血の滲んだ左手首に真樹の何かを見た気がして。

「あぁ…はい。
 真樹、あの、君さぁ、」

 文杜の視線には気付いたが、知らぬ顔で真樹は微笑むことにした。

「見映えがサイトウ氏かよ。おっさん感すげぇなマジ。
 老けたねえ文杜」
「…ちょうどそれ思ってたけどさ」
「ねぇ何聴くの、早く風呂入ってきたら?俺今風呂上がりほっかほかでテンション上がって鼻血出そうだけど」

 あぁそういやこいつ。
 Vテンから薬貰ってたな。
 嫌な予感しかしねぇしこれ。

「…鼻血つうか、」
「はっはー!まずは髪だよ乾かす乾かすー!冷たっ、お前ん家のシャワー俺を凍死させる気だよマジぃ。14°とか冷てぇんだよ、」
「マジで言ってんの真樹」
「当たり前じゃんじゃねぇと眠いし血がハンパねぇよ、死んじまうわ」

 悟った。
 うわぁマジ鬱パターン。
 想像を越えてきたこいつ。

「…バカじゃないのお前」
「そーだよ?」

 挑発的に言われると。
 昔の本能が過る。

 思わず歩いて壁ドンというか身体ドンしてやるくらいにムカついた。

「真樹、お前なんなの!?」

 しかし近くで見つめてみれば。
 案外伏せた目が正常そうで、しかも確かに身体が冷たい。

 え、なにこれ。

「…文杜、汗臭い」
「…ね真樹、ちょっと、」
「酒臭い。まだちょっと殴るなし」

 首筋が見える。
 不覚。

「まだだっつーに。早ぅ風呂入っ、」

 気付けば髪に手を入れすくようして見つめる。

 あぁそっか、わりと本気だなぁ、お前と真樹は思うが。
 わかっていた、どこかで。
 だから俺多分、もう人でなしだ。

「…一個お願い聞いてあげる話。
 俺もひとつあるから、ま、頭冷やして一個捻り出してきて」
「はっ、」
「文杜にだけだよ」

 抱きついたのは真樹だった。
 血が止まりかけた左手首で耳元の髪をかきあげて言われる。

 あぁそっか。
 なんとなくわかってるから、昔から。

「…怒らないでね」
「…人でなし、」

 俺ら多分。
 同類だったな、真樹。本当は、相容ってしまってはみんな、いけなかったな。

 文杜は離れて一人、
一度壁を殴りたいのを堪え、切なさを飲み込んで風呂場に向かった。

 あいつ多分初めからそうか。
 創造は同時に破壊願望かと知った。

 始めから多分、
 何にも悲観はしていないくせに。
 全てに絶望があったのかもしれないな、どこかに。

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