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辺りの白に輝くような黒い無機物はとても冷たいと感じた。窓越しの灰色が異世界のような現実味を帯びる。

片目から見えるこの二つの世界は、いつの間にか混じり合ったように思える。いつからだろう。ピアノを冷たいと感じるようになったのは。

手に持ったカッターをカタカタと出してはしまう。随分と汚してしまってもう切りにくい。

椅子に座ってピアノを前にしてから手首を切った。私は死なない。赤が切り口から一本現れる。

白という色を寂しいと思わなくなったのは、私がそれなりに薄穢くなったからなんだろうか。

こんなにも温かい。ねえ、茜兄さん?

私は動く方の手で、白のミを叩く。小さいときに失した音。これが、最後に聴くピアノの音。

今更悲しくなんてなかった。ここに来るまでに、気休めに巻いて足掻いた包帯も外した。両手を使って弾いてみる。今更何も残ってなんていなかった。

そう言ったら貴方はきっと悲しい顔をするんだ。貴方は音にも触れられない人だから。

背中が見える位置って、どんな所なんだろうね。そこには黒が広がってるんじゃないかな。そしたらそこは、唯で行ける場所なんかじゃないね。

力を振り絞って鳴った音は、1オクターブの不協和音と、右手のショパンだった。

一曲弾き終えても家には誰もいなかった。

母さんが最後に出した課題曲。好きじゃなかったノクターンホ長調。

好きじゃなくても耳に残しておいた。こうすれば、二人で聴ける。

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