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 ふとそんなとき、「何くっ喋ってんだよ」と朱鷺貴が奥から現れた。
 「すまへんね」と去ろうとする翡翠だが坂本が、

「やぁ坊さん。親を殺す話じゃき」

 と言ったことに朱鷺貴が露骨に顔をしかめ「あぁ?」と不機嫌になってしまった。

「…朝霧はこう、こっちとら目ぇが悪いんで風情に見えるもんですなぁ、夜明けが早いと袈裟が湿りますわぁ」

 顔をしかめながらそう答えた朱鷺貴に翡翠は思わず「ふっ、」と吹き出してしまった。
 坂本が「はてぇ?天気はええよ坊さん」と言うのに「はいはいはい…」と、朱鷺貴は翡翠に目配せをする。

「油売ってすまへんなトキさん。坂本さん、ええ加減にしましょうや。ウチの坊さん、気が短いねん」
「そうかぁ?」
「悪かったな全く」
「…起こして来ようかと思っていましたが」
「あーそうかまぁえーよ。あの大将も腰が重くて抜けちまうわないい加減」
「なんじゃぁ、嫌味なんか?」

 そう言った坂本に「お勉強になりましたね」と翡翠は茶化した。

「…せやかて武市さんはやらないぞこんなん」

 「身を案じてるだけだが?」と朱鷺貴は言おうとしたが、「上士やもん」と坂本は続ける。

「…関係もないでしょう?」
「ふん…」

 考え込むように頭を掻いた坂本に、ついに朱鷺貴は「馬鹿らし」と、嫌味を言うまでもなく。なんせ、気が短い。
 わかりましたよと言うまでもない翡翠は南堂へ向かった。

 朱鷺貴も仏堂へ歩もうとするが「なぁ坊さん」と坂本が絡む。
 「絡むなよ」とうんざりとするが、「まぁまぁ、」と翡翠と同じように縁側を促すのだから「なんだよ」としか出ていかない。

「俺はあんたのことが好きじゃないんだが」
「そのようじゃにゃぁ…あんさんの家来にも嫌われたがよ」
「はっ。まぁそうだろうね」

 嘲笑ってやるが「にゃぁ、」と言いつつ、何故か少し哀愁があるように坂本が俯くのだからふぅ、と、「何」と聞いてやろうとしてしまう自分にもなんだかなと朱鷺貴は思いつつ、仕方なしに縁側に座った。

「あんさんらはこん寺を狭いと思ったこと、ないがか?」
「常々そう思うが」
「だよなぁ、しかし何故捨てない?」
「…一度捨てた物にはすがるわけがない。
 しかし忌々しいのはそれと共にあるのが寺と言う場所だよ」
「はぁ…なるほど」
「だから私利私欲にも溺れないと言うのが定説だろうがって、俺はあんたに説法するほど暇じゃないんだが」
「わしもそうじゃ?せやから聞きたいんじゃ」
「何を」
「何故そうも何も憎まず進めるのか」
「そんな訳ねぇよ、神様仏様じゃあるまいし」
「ほう、」
「人はその違いを知らない。
 私利私欲に溺れるのは早い話だぞとだけ言っておこうか」
「はぁ、なるほど。あんさんら思ったより、やはり志士達と変わらぬ心じゃ。自覚はないんやろうけどにゃぁ、」
「あっそ」
「そげに偉い坊さんかあんたは」

 …この男空気が読めるもんだな。いや、処世を学んだだけかもしれないなと「まぁね、違うな」と返した。

「はてしかし、私利私欲とは一体なんだと思う?」
「贅沢だな」
「なるほど、しかし同義語じゃないな。わしゃぁ人並みと違うがか?」
「買い被るなよ。そこから溺れていくんだろ」
「ははぁ、なるほど面白い」

 坂本は笑った。

「…なんの因果かわしゃぁ思想家でもない、塾頭でもないあんさんらからこんな話ばかりを学んどるな。泥臭い話じゃねぇ、」
「田舎モンには丁度よかろうよ」
「…そんに返す言葉は「世襲とは子が親を刺し殺すか、親が子供を斬首するかの違い」じゃろと…あんさん、多分武家やったね?わかる話かな」
「…別に。話しは終わりか?俺はあんたの自己顕示に付き合う義理も」
「あん家来にはこん話は出来ないことや」

 また勘に触るな、と、「は?」と不機嫌に返すばかり。嫌味にしてもそうじゃないにしても質が悪いことに変わりがない。

「…品がないと言われないかあんた」
「おぉ、まあそうや」
「だろうな、俺はな、」
「わしゃぁ、武士でもなんでもないがよ」

 そう言った坂本がまるで嘲笑うように「はっ、」と笑うのはやはり勘に触る。

「武士と商人の間くらいなんじゃ、|郷士《ごうし》言うんはな」
「あっそ」
「…本来、武士の副業に商いっちゅーんには罰が下るじゃろ?まぁ、家はつまり商人の成り上がりっちゅーこっちゃ。金はたんまりとある」
「興味もないし話が見えない」
「……なぁ坊さん。さっきおんしゃあ「私利私欲に溺れるのは早い」と言っちょったが、なら、溺れたときっちゅーんは殺されるときで、殺すときは先方が溺れたときじゃ。そう考えるんが平和やと思わんかねや?」
「は?」
「それに気付いた。ははっ、誰から先に死んで行くんか。血で血を洗うがよ。
 武者震いかな、わしゃぁ踏み台にはならん。そういう話をしたんじゃ。しかし、いざとなりゃぁその止め役がわしにいるのか。暴発とはそう言うもんじゃろ?」
「…あんたが知らない説法をしようか。「自然死」「老衰」と言う言葉も存在するんだよ」
「はは、そんりゃ確かにえらく平和主義じゃな。あんさんとは馬が合いそうにない。そう言うんが他力本願っちゅーんじゃな。せやけどそれは平和な場所におるから出てくる」
「坊主の平和には拘りは邪魔で妥協が必要だと、流石に学んだだけだよ。
 で。
 ここに居ても良いが掃除洗濯炊事くらいはやって欲しい、そしてこんなところに長らくいるのは仏さんだぞ。幸先に縁起も悪かろう、さっさと去るがいい」

 直な嫌味に立ち上がった坂本は朱鷺貴へ振り向きもせず、「世話になったな」と言い捨てた。

「空気を読んでくれてどうも」
「…そうじゃな。まぁわしの感謝じゃ。一応わしでも一宿一飯の恩は感じちゅうがよ、坊さん」

 酷く歪んでいるが、この男はある意味自分に真っ直ぐだと朱鷺貴は思う。

 志士と同じ、なるほど紙一重なようで、自分は誰から何をこうして見せつけられているのか。それは仄かに暗い道筋なような気がしてしまう。

 身震いがする思いだった。

 なんの話かはわからないが、少し、こうなれば翡翠のことも朱鷺貴には引っ掛かる。この件には翡翠の“親”だって絡んでいるのだし。

 幹斎の顔も藤嶋の顔も浮かんだ。

 その欲望は犠牲を伴うと知らないくせに、破壊とはそう言うものだと、我ながら坊主に似合うことを、考える。
 踏み台になるか、だがそれも欲の思う壺な気がしてしまう。置かれた岩に躓き転んでしまえよ、そんな平和を考えた。

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