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 寺の用事を任せに行ったのだが、武市は背を向けて寝転がっている頑固さがあった。

 まぁ別に良いし関わりたくもないと、翡翠はそれから島原に出向いた。

 どうしてもモヤモヤ、イライラする。親の顔でも見てやりたいと、1年以上ぶりに“金清楼《きんしょうろう》”の敷居を跨いだ。

「あれ?」

 若い衆の先輩である|青鵐《あおじ》が翡翠に気が付いた。
 時間帯のせいで眠そう。よーく翡翠を眺めては「翡翠か?」とぼんやり聞いてきて。
 側にいた男娼のくれなゐが、若干乱れ髪のまま「スイちゃんやない?」と側に寄ってきた。

「ありゃぁ、久しゅう、スイちゃん!」
「お久しゅうですくれなゐはん」
「元気しとった?少々髪、戻ったねー」

 そう言えば江戸に出る前、髪をバッサリと切ってしまったな。
 「はははー、どっちも似合っとったよー」と、くれなゐに柔らかく言われた。

「店主かえ?寝とるかも。最近お疲れだからすぐ寝よるんよ。ありゃぁ歳やで歳」
「ははは〜」
「店戻るんか?」
「いや、」

 「ほらほらまぁ上がりなさいな」と青鵐に言われ、懐かしいような雑談から解かれる。
 くれなゐは「またな〜」と去り、青鵐が真横の部屋の戸を少し明け、「藤嶋はん、お客さんです」と声を掛けた。

 もぞもぞと音がする。

 戸を開けて中に入ると、藤嶋が布団から起き上がり、目を細めて「あぁ、翡翠か」とぼんやり言ったのだった。

「おはようさん。茶でも淹れるか」
「おはようさんです。わてが淹れましょうか」
「いや、いい」

 少し不機嫌そうに言った藤嶋はやはり、「客人に失礼だからな」と、不貞腐れている。

 だがいちいち藤嶋の不機嫌を気にするほどの仲でもない。遠慮なく座り、「起こしてすまへんな」と特に何もなく返した。

「なんだ、坊さん生活は窮屈か?」

 薄ら笑いで言う藤嶋に「そういうんやないです」と、こちらもぶっきらぼう。

「あっそう。じゃぁなんだ?そういやぁ、あの田舎集団はどうなった」
「相も変わりまへんよ全く。あんさんが連れ込んだんならホンマのところ引き取って欲しいと言いたいところですが、それなりに雑事を任せたんで、皮肉にも生活は上手く回ってます」
「わざわざそんなことの報告でもないだろ?なんだ不機嫌だな」

 ほうじ茶の臭いがする。
 ぶすくれて黙る翡翠に藤嶋は「なんだよ気色悪ぃな」と茶を出してくる。
 その茶を少し眺めながら浮かない顔の翡翠に、藤嶋はにやりと笑い、翡翠の首筋へ手を伸してきた。

「藤嶋さん」

 だが、藤嶋は何も言わずにただにやけている。

「…あんさんの腹が読めない」
「ははっ、読めた試しなんてあったか?」
「…あんさん、お公家さんやったんやね」

 それに藤嶋は一瞬表情を真顔に戻したが、今度はまるで鋭い猛禽類のような目の色で笑い「それがどうかしたか」と、喉仏を親指の腹で触れてきた。

「…別に」

 目を反らした翡翠に「ははっ、」と藤嶋が笑うと、喉仏を少し圧迫してくる。

「まさか、お前からそんなくだらないことを聞くとは思わなんだ」

 じりじり、じりじりと圧迫されているような、ただ撫でられているような。

 喋るなと言うことなのかなんなのか。特に思い入れのある話でもなくモヤモヤしているだけなのに、少しだけ強引に馬乗られ、明らかにまた喉を押されては息の根を止められるような気がした。

「ぃ…やな、」
「はぁ?」
「話でしたかっ、」
「啄んでないでさっさとしろよ焦れったい」

 近寄り、噛まれそうになる。

 しかしふと人の臭いがして、逃げたくもあった、藤嶋と同時に縁側を眺めればまたあの大柄な男が「ありゃー」と目を丸くしていた。

「改めた方がええかいのぅ…?」

 藤嶋はにやっと笑って離れて行く。
 翡翠は黙って起き上がり茶を飲んだ。

「俺を殺す気か」
「はぇ?」

 呆然とした坂本、横を促すように見る藤嶋。そして聞こえる「竜馬《りょうま》…」と言う戦意はない男の声。
 誰だろうかと翡翠が張って縁側に行き眺めると同時に「以蔵《いぞう》ちゃん!?」と坂本が驚く。

 あの、血生臭い土佐の浪人が肩を落として立っていた。

 …気配がなかった。
 しかし気付けば一気に血生臭さを思い出すのだから、この男、こちら側の人間だったのかと翡翠は肌で感じた。

「竜馬、」
「どないしたんじゃ一体」
「竜馬、抜けるんか?」

 しかしそう言う態度も、まるで鋭くはない。
 
 言葉を発しもせず思慮するように“以蔵ちゃん”を眺める藤嶋に「あぁ…」と坂本は洩らした。

「同郷の岡田以蔵《おかだいぞう》っちゅー者じゃ。
 以蔵ちゃん、おんしもか?」
「…わからん」

 岡田は俯く。

「…俺、うつけじゃき、ようわからんのじゃ竜馬。皆仲間が抜けていく。じゃが、半平太《はんぺいた》は土佐をぶっ壊そうって、」
「…あぁ、」
「竜馬は違うんか。
 竜馬、竜馬は郷士ばっかり殺した東洋《とうよう》に腹が立ったから戻ってきたんじゃなかったんがか、」
「そりゃぁそうじゃ。以蔵ちゃん、昔からわしゃぁ変わらんよ。けんど、敵は土佐だけじゃないき」
「半平太は竜馬が必要やって、」
「いんや、ちゃうよ以蔵ちゃん。
 …武市さんは行く行くの、己の事しか頭にないんじゃ。せやから皆あそこを離れたじゃろ?」
「けんど、誰も半平太の話を聞かない、」
「せやな。何故じゃと思う?」
「…そりゃぁ、半平太は郷士から出世した。けんど、そうでなきゃぁ誰も耳を貸さないと、竜馬だって見よったじゃろ、」
「そうやね」
「俺らぁ、せやからやろうって」
「そんなら、武市さんはわしの話を聞いたか?」

 岡田は刀の鯉口を、特に意味もなく、まるでやるせないように握って俯いた。

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