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 藤嶋は状況に露骨な溜め息を吐き、「悪いけど寝て良いか?」と不機嫌そうに言った。

「いんや、藤嶋はん。わしゃあ上海に行こうと思う」
「うん、行けば?」
「あんさんやてそうしたいんじゃろ?
 …あんさん、松陰《しょういん》先生と」
「確かに吉田松陰《よしだしょういん》からは、俺ですら刺激を貰ったもんだな。あんな門下がまさか、佐久間《さくま》の元から現れようなど想像もつかなかった」
「……佐久間って、」

 もしや、信州で会った、佐久間象山《さくましょうざん》だろうか。

「顔見知りの男だ。大して話したことはないけど、少々すっ飛んだ野郎で」
「…わて、お会いしましたよ佐久間象山に」
「は?」

 頷く翡翠に「…ホンマかいな」と藤嶋は平坦に言った。

「…伊達に散歩していたわけでもないのかお前ら」
「正直わてはあまり」
「…そうかいそうかい。まぁ妥当。
 んで、だからなんだって言うんだ一体。俺は塾頭でもなんでもないんだが」
「そのわりにあんさん、偉く時世に噛みつきまんな」
「坊主と違って時世を生きてるからねぇ」
「だからってあのアホ坊主を巻き込もうなど」
「偉く保守的だな。元は若様のために首狩りに行ったんじゃなかったっけ?お前」

 しかし、藤嶋は裏腹に、「まぁ、随分人らしくなったと言うかな」と、少し柔らかに笑った。

「だが全員賢くないな。
 なぁ、単純だろ?お前らどこで生きてんだよ。吉田松陰?死人に口なんて昔からねぇだろうよ。
 最後は生きている者の勝ちだ。弱けりゃ死ぬ。これは最終的に意思の強さだって大いに関係するんだよ。そう思うだろう?坂本。教訓なんざ墓場から学んでどうする」

 藤嶋は一息を吐き、どこか染々とした間を持った。

「…俺から言わせてもらえば戦いというのはいざとなったら相手の首を取ることで終わる。それには友情なんてもっての他、情なんて綺麗なもんじゃない。それが手を汚す者の役目なんだよ」

 黙りこけた坂本と岡田を置いて翡翠は「あんさんは…」と、ぶつける。

「あんさんは何がしたいんや。退いて、高みの見物をして。あんさんの気紛れはいつもいつも、何かを破壊してるんやて、」
「生きてると感じるだろ」

 穏やかな表情で藤嶋は翡翠を眺めた。

「お前にわかる話でもない筈だけどな」

 だがその穏やかさに翡翠は納得がいかない。どれほど優しく頭を、親のように撫でてこようとも。
 その手を振り払い睨み付ける。

「…高みの人間にはわからない。どんなにこちらが血反吐を吐くほど息を切らしているかなんて、」
「まぁな。実際のところ欲ばかり濃くなるのは上の人間ばかりだな」
「貴方は強欲で酷く…他力本願や、忘八の名に恥じないよ、人をなんだと思ってるんっ。そうやって踏み付けて、性の悪い、」
「おいおい言い掛かりだろ、俺が何した」
「何をさせようと、」
「平和の前には破壊が必要だ」
「…死ねっ、この外道っ!」

 言い捨てた翡翠は勢い余り、坂本に「退いて、」と、縁側から出て行った。
 岡田はまだ吹っ切れた面ではないが、翡翠の背中を見つめ、用がなかったとでも言いたそうにふらふら、去ろうとする。

「以蔵ちゃん、ちょっち、」

 それに坂本が袖を引くけれど、「すまん、少し考える」と岡田はやんわり振り払う。
 だが、坂本は最後の足掻きが如く、岡田に紙切れだけを渡した。
 それに煮え切らない表情で岡田は去って行く。

「反抗期だな」

 藤嶋はぼんやりとそう言った。

「まぁ、事はデカくなるけれど」
「…ようわからん愛情やな」
「んなもんねーよあんな生意気なクソガキに」
「まぁ確かに、平和だから出来ることやね、あんさんらのは」
「…呑気なもんだなお宅も。
 それくらいの緩さが丁度良いんだけど、本気で上海に行くなら俺じゃねぇだろ、藤宮んとこ行け」
「型に嵌まらんなぁ、あんさん。裏切り言う言葉を知らんのかいなまるで、商人と武士との間のようじゃな。
 で?なんでそんな“性悪”が伸し上がったんか聞きたいもんで」
「さっき言った。じゃぁどうなんだ?仲間を裏切ったお前は。俺と大差もない私利私欲じゃねぇか。
 悪いが俺は寝る。花商売は今しか眠れねぇんだよ」

 そう言って部屋に戻りぴしゃっと襖を閉めた藤嶋に「ホンマに人の子かいな…」と、思わず漏れた。

 結局、しかし踏み台にはならんと言う意思は固くなる。
 藤嶋という男は、売人にしておくには些か勿体ないが、こういうのがいざ戦うのだと見てきた坂本とすればやはり、身震いがするようだった。

 しっかし、非道と同感じゃ。
 …精々血で地を硬めりゃええ。身内の問題など狭い。そうして地に足を着き生きてきた。
 そこに立ちドデカイ自由を手にするんは己じゃ。わしゃぁそこに生きちゃる。それが例え、何を使おうとも。

 土佐、坂本龍馬はそうして宿を後にする。

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