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夏、高杉が長州に降り立った折り、同志久坂の顔色が優れなかった。
「ただいま」
「あぁ…ご苦労だったな」
まるで、船酔いのような青さ。
それら志士達をも見回したのだが人間の長州男児は皆一様に、そうだった。
「…何かあったな、」
それはしかし火急というよりは「遅い」という重い焦りだと高杉は解釈した。
「…まぁ、酒でもやるか久坂。何分僕も話したいことなど塵屑のようにあるんだ、手紙では伝わらないほどに」
「…我々は焦っている」
確かに、口下手な質だ。
顔色も優れないままの久坂に「まぁまぁ、」と、高杉がとにかく酒を用意しようとするのだが、久坂が早くも「薩摩がなぁ…」と言葉を痺れ切らした。
「…薩摩はエゲレスと戦争を始める、」
「…何、」
…遅すぎる故に早い。
「上等なつまみになりそうだなそりゃ」
高杉はそれからすぐに屋敷から久坂以外を返し、「で?」と、純米樽酒を妻の雅に持ってこさせるのみで二人きりになったのだった。
客間は酒にぴったりと寒々している。
「…まずは結果から聞かせてくれ」
それに久坂は重ったるい。
「あぁ、公家やら幕府やらのお抱えになるような結果を出したが終息はまだだ、これから始まる」
「…それに対し“俗論派”の動きはどうだ」
「まだなんとも。だが白状しておく、久坂、俺は早り失態を犯した。
京で出会った土佐の武市瑞山に攘夷決行案を話したところ、山内容堂から藩主に伝わり、いくらか同志が謹慎に至った」
「……何故だ?」
猪口をぶち壊さん勢いで震えた久坂は「ぁっ…あの男の見立て通りだ、」と、腹の底から声を出す。
「…クッソ、攘夷決行は無謀だと、あっ…んなに……っ、汚れた八景を見ても尚だ、高杉、俺は間違っているか、なぁ、あの害虫共がどれだけのさばってるかとまで説いたのに、どうして公使館など……、我が藩ではまだ足りないのだ高杉っ、」
「…なるほど、」
「……こんな状況下で誰が見方だという、何が公武合体だ我が藩は……っ、だが天皇はあの外敵が邪魔なんじゃないのか……っ、」
わなわなと震えている久坂に「僕はなぁ、」と高杉は敢えて穏やかに話した。
「……クソのような土産話をしようか、上海はまるでメリケンの肥溜めのようだった。
女子供は売られ、男は拷問のような労働を強いられていた。街では、米国人が国民を殺す銃声が当たり前に響いていた。
……あぁなっては最早何も取り返しがつかねぇ、久坂、僕は漸く先生の教えがまたひとつ身に染みたよ。同時に、あの人が見たかったものを見て希望などひとつも出て来やしなかった、」
淡々と話すには酒が強すぎる。つまみもない。財政は至って貧乏だった。
「……取り敢えず土佐は組めないとわかった。なぁ久坂、酒は立ってでも飲めるだろう、こうして、酒さえありゃぁ、」
打ち震え床ばかり見ていた久坂は、同志の底冷えた声に顔をあげた。
高杉はしかし予想外に、感情を荒げた様でなく、偉く淡々と酒を注いでいる。
「…酒さえありゃぁいいんだよ久坂。酒は人に火をつける唯一のもんだ。先生は、真面目すぎた。ただそう思うよ。
同志よ、君のしたことを僕は決して咎めない。君がやらなければ誰もやらないことだった。寧ろ、結果が見えたのは非常に心地よいとさえ思う。いっそ清々しい、これは戦なんだ。
その謹慎した正義の同志長州男児達を集めて酒を飲もうじゃないか。我々は鉄砲を楯で守って見せる。攻撃ばかりが全てではないのだと、平和ボケ共にはわかりやすく見せてやろう、」
漸く身体が火照ってくる。
寒空の海岸での漣が、押し寄せるように沸く。それはすでに足元の砂利を浚っていった。
あの日共に抱いた、首がない師の冷たい亡骸が浮上してくるのだ。
「…高杉、しかし」
「僕は君と共に学んだつもりだ、なんの異論がある。仲間など数少ないと端から僕は思っている、人など期待するだけ時間の無駄だ」
「……じゃぁ、どうしようというのだ」
「どうもこうもねぇだろう、久坂、忘れたのか。先生は君の論に最期だけは自論を覆した、「遅すぎた、異人を斬れ」と」
…そして、気付けば熱の籠った同志に、部屋の冷たさが目に入る。
どちらも、我に返る間を平行させていた。
「…我が長州は、」
「…とにかくいまは酒を飲もう。
雅に紙と墨を頼むか、一句書こうと思う」
「……は?」
どこまでも自分の感覚でやる男だと、誰かが高杉晋作に、そういった冷たいのか暖かいのかわからぬ評をしたのを久坂は思い出した。
酒は、冷めるときに偉く目が濁る。
高杉がそれから書いた一句は「御楯組」というものだった。
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