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 前日だった。

 同志久坂は叫んだ、「12人だぞ高杉!」と。
 それはまだ雪解けも早く待たない、12月の折りだった。

 名前はずらずらと書いても隔たりがない。

「何が言いたい」

 場所は品川だった。

 いつか、僕らは斬り合うことが決まっているだろう。

 学んだ同志に言った、子供の頃の竹刀の音が、耳の奥底で疼いたような気がした。それはまるで落書きのようなものだと思っていたのに。

 その洋館はまだ形を成してはいなかった。

「高杉、それでは行けない、」

 しかし崩れるとすればここしかない。
 落書きのような世迷い事などで足元が無くなるのは、その場の12人は確かにもう、嫌なことなはずなのに。

 残り10人の士気は高く、だがあと一歩で顔を見渡すほどの動揺が走る。
 それぞれ10分の1の形はここにある、だがどうだ、どうだっていうんだと詰め寄るには残り二人がそれぞれ冷静だった。

「……ここに来て、これを見て、見ろ久坂、ここは一体どこだ」
「……品川だ、江戸だ。かつて去った、その場所だ」
「僕たちはいま、どこにいる」
「……そんなのわかっている、日本だ、俺たちの守るべき志だ、」
「その守るべき志に何を迷う」

 わかっている。
 久坂は一度、危うく転覆しそうになったのだ。
 わかっている。
 だからこそ、わかっている。

「………俺はな、高杉」

 どこかで描いたその紙を、決して、異人のように「空論」だなどと言いたくはない。
 互いにそれは一致している、だからこそ竹刀の音がするはずなんだ。

「……高杉、今は素面だ。言おうか、いま事を荒立てれば誰がこの船を潰しにかかる。わかっているのか、」
「…ここは失敗しても良いと考える」
「そんな、」
「現時点での敗北は日本の敗北だ。久坂、楯は脆いものかもしれない、だからやるしかないんだ」
「無謀だ、こんなもの、」
「……この12人を誰が殺すと言った。だがまぁ死んでもいい、死ぬときはその程度だろうよ」
「…俺はそれほど志は低くない、」
「……なんだと?」

 一気に殺伐とした。
 気迫、理論、その他を超越し火がついたようだった。

 高杉の睨みには誰しも怯む気迫がある。
 だが「調子に乗るな、」と、どんな状況下でも楯を持つのは久坂だった。

「期は確かに遅い、しかし誰が味方したという、」
「ここにいる12人だ、久坂、君はそんなんだから空論だなどと言われたんだろ、今すぐあの世で先生に詫びを入れてこい、腰抜けが、失敗を恐れて何が立ちはだかる、悔しくないのか久坂」
「…貴様もう一度言ってみろ、」
「待ってくださいお二人とも」

 よもや。
 第三者である中級武士、井上いのうえ聞太もんただからこそ割って入った。

「…よもやいま殺り合うのならそれこそ空論ではありませんか。
 最後に生きればそれが絵空事ではない、それは異人共と同じです。それほどの気概で他10名はここにいる。違いますか」

 ぴんと、糸のように張り詰めた。だが井上はさらに続ける「私は松下村塾しょうかそんじゅくのものではありませんが」、

「だからこそ言う。確かに渡航すらしていませんよ、目の前のことで判断します。私は火付け役でよろしかったでしょうか」

 …凛とした青年だった。
 他9名だってそれに息を飲むほどに。

「………決行は明日の夜だ。寝込みを狙う。
 至り、恐れる者は皆帰れ。僕は酒があればそれでいい」

 引き下がった、と言うよりは腰を据えた高杉に何も返さずに久坂も「…まず酒だ」と腰を据える。

「…確かに悔しい。それは、」
「わかるよ。あの先生を見て悔しくなかったわけがないんだ」

 また、冷徹に戻ろうとする。
 それを出されれば何も返さずと息を潜めなければならないじゃないか。

 不味くなる酒などない。
 だが、旨くない酒もあるもんだと、結局その場は誰しも言葉は発っさなかったが、大酒飲みがふと「酒ねぇ…」と瓶を眺める頃には更けていた。

「…酒はなんでも火をつける。久坂、これでどうだ」
「…なんだ、」

 火照れば床が冷たく感じる。

「…あいつらは血のような酒を飲むんだ。知ってるか?まるで人と思えねぇ。長州にはこんなに綺麗な水がある」
「…それは水じゃない」
「そうだな、」

 そして目を閉じれば身震いさえする、あの冷たい海岸をいまでも忘れることが出来ない。

「……そうだな、」

 それでいい。
 捨てられてしまえばそれは雑巾と変わらない、床を…足元を綺麗に磨けば、それはあの塾を思い出すからだ。

 先生。
 空論は確かに潰すべきです。あの世できっちり詫びをいれるのは弟子として、当然なのです。貴方は一度も嘆かず、全く酷だ、志というものは。

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