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 だが翡翠はすぐに、飯を運んで部屋に戻ってきた。
 用意を致すと言っても確かに、外に用事があるわけではないか、と思い当たる。

「あいなトキさん、今日は|鰆《さわら》やて。好きやろ?」

 しれっとしている翡翠に、最早本当に構わないでくれと言われているような、本当に何も思っていないかのような、計りかねた。

「あぁ、まぁ…」
「帰ったら西京焼き、食べたいですなぁ」

 翡翠は嬉しそうだった。
 「いただきます」と手を合わせる翡翠に、本当に考えすぎたのかもしれないなと、朱鷺貴も習う。

「そんで?今夜にでも発ちますか?」
「いや、うーん…」
「お気に掛けてくれたんなら有り難いけれど、ええですで」
「…明日発とうか、取り敢えず」

 ぴたっと箸を止めて翡翠が朱鷺貴を見つめる。
 然り気無く芋の煮付けの芋を朱鷺貴の器に移している。

「あれ?」
「あっ」

 だが気付いた犯人は「失敬」と、そのまま芋を口に運んだ。

 間があり、しかし何事もなさそうにする翡翠はふと息を吐く。
 次には忘れ去り「あきまへんなぁ」と笑うのだった。

 一体なんだったのだろうか。

「怠け癖が付きましたな。男は優柔不断が一番好かれませんよ、トキさん」
「…は?」
「まぁ、わてが言い出したことですからね、江戸の話も。そんでも、聞いて頂ける言うならまぁ、不良さん達のとこにでも顔を出しに行きまへんか」
「不良さん?」
「|多摩《たま》の」
「あっ。
 うっわーどうなんそれ。あんま行きたくないんやけど!」
「顔出すだけですよ。ええやないですかシバいたりましょ」
「良くない良くない、争い事は良くないよホンマに」

 それなら色恋沙汰の方が断然マシだしそもそも何故あのチンピラ道場に行かねばならないか理由もないじゃないか。

「さてそうと決まればわても今日は最後の指南ですねトキさん。おかげで、良い加減字は書けるようになりました」
「決まってないし。
 …案外早かったよなぁ、そろばんにしても。お前ってなんやかんや器用なんだよな多分」
「少々まぁ、覚えもありましたので」

 なのに何故かなぁ、とみよの顔が浮かぶ。本当に考えすぎなのかなぁ。

 「おおきにどうも」と言う翡翠に少し、照れ臭くなる。言うて、殆ど教えた試しもないけれど、どちらかと言えば書を纏めるのに「うーん、前橋は寒かったですね」と助言を貰った、ような。

 「こちらこそおおきにどうも」と、礼儀と返せば「うわぁ、こそばい」と、確かにひねくれているがまぁ、どこまでいっても翡翠は素直なようだ。

 それから黙々と食事も終え膳を下げ、旅支度かというときに「そういやトキさん」と、翡翠が訪ねる。

 ぼんやり、朱鷺貴の刀を眺めているようだった。

「この刀、一体なんなんですか」
「ん?」
「いやぁなんというか、あの和尚は何故これを持ち合わせていたのだろうかと思いまして」
「今更だなぁ」
「まぁ、」
「ん…でも…、確かに」

 自分もそう言えば考えたことはなかった。

「あのジジイがどうやっていまああしているかはわからんが、流れ者ではあるらしいぞ」
「はぁ、そうなんですか」
「俺のように武家だった、だとか」
「…出家のいろはもわかりませんが、そゆのは身一つなんではなくて?」

 ふと、朱鷺貴は自分が寺に足を運んだときを思い出す。

「うん、あぁ、そうだな俺はそうだったよ。じゃぁジジイの物でもないのかな。
 というか、いきなりどうした?」
「いえ。なんだかふと思いまして。見たところ多分まぁ、変な話ですが凄く立派な刀、と言うわけでもなさそうやしその場にあった物を渡したのでしょうかねぇ」
「どうなんだろうなぁ」
「また、立派な刀なら正直トキさん、金に困ったら売っ払っちまいますよね。そないな事もないように、なのかなぁ、とか、まあ、帰る前だからやろうかね」

 そう言われてみれば不思議とその気も起こしていない。やはり錫杖程度の認識なんだろうな、と考える。

「…錫杖よりは使える、のかも?」
「わてもそうでしょうかね?」

 ふと翡翠がそう言うのだから考えるよりも先に「縁起でもない」と言ってしまうが。

「一応少しは使えるようになりましてよ?」
「うんまぁそうだね良いことだよ」
「まぁ、本当に少しですけどね。それも持ち腐れならよろしいと言うた具合で」
「まぁ坊主は無駄な物は持たないからな。無いより有る方が道理ということなんだろうよ」
「自分で言うていて気持ち悪くないですかそれ」
「…根に持つなぁ、悪かったっつってんの」

 半ば朱鷺貴が不貞腐れて来たところで翡翠は「ははは」と笑ってやった。

「何も持たずと済むのがええと言う話です。せやけど、どうやら共に帰るらしいですねぇ」
「はぁ、」
「わてはどこかに帰ろう言う感覚が初めてなんですよ、トキさん」

 なるほど。

「あかんな、はは。柵を捨てていない」
「そうですね。仕方ないのでしょうね」
「…話を大幅に戻すがならばやはり、きっちりすることが大切だと思う。でも、お前の好きにすることも柵がないことだと思う」
「…はい?」
「君は思ったよりも優柔不断だと言う話です」
「あーはいはい、そうやね」
「柵がないことが自由かどうかも考えろと」
「説教臭いなぁ、わかたて、」
「坊主だからね、たまには口煩く言うことにしたよ。何より俺はそう言うのが気持ち悪い」
「ムカつく〜」

 まぁ確かに一文にもならないが言う通りだ。本当に微塵も得にはならないが。
 けどそれは教えに反するだろう、翡翠はこっそりそう考える。だが、さらに考えるのがどうやら、教えであるらしい。

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