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 妍子は赤子の面倒を見ていた。それが11歳のころで、妍子は赤子の顔に白い布を被せて彼女を泣き止ませたのだ。

 何故、それを目撃したとき、身体にぞわっとした寒気を帯びたのはその頃はわからなかった。

 教育を受ける最中にふとある日、妍子は自分に言ったのだ。
「貴方のお母様は、貴方の後に女の子を死産し、そのまま起きなかったのです」
と。

「そして、15歳の祺子様が仁孝にんこう様の元へ来たのです」

 …では、

「何故、私は」
「祺子様は貴方を守ろうといたしましたが、少々若かったので。私が女官として貴方と祺子様をお守りする役割を担いました」

 何故、そんな話をされたのかはわからなかったけれど。
 26年ほど経てば、その謎を解くのに充分な年数だった。

「祺子様がああなってしまった以上、私がお守りするのは安仁様、貴方なのです。
 しかし、私は女典。名も定かでない武士の…末裔となるでしょう」

 その言葉の意味が後に事実となろうとは、自分は狭い家の中をまだ知らなかった。

 ついに父が病となった理由も隠された事だったが、弱る父を見てただ、安仁は一度答えを見ようと考えた。
 その頃にはもう、自分の中で悪と良が出来上がっていただけにすぎなかったのだけど。

 …安仁様は「良く出来た子ですね」と褒められたことすら今や真意は闇の中だった。

 仁孝天皇が崩御した折り、出家処遇となった祺子が、その足場を崩しその日に死んだと知ったのも日がそれほど経たない頃だった。
 ただただ、ならばその時、祺子にあった刀傷はと、それぞれ同じ年に生まれた子供が死んでいくのは、と…。
 父がひたすら何にも干渉しなかったのはと、考えることが好きだった。

 恐らく、奇病とはそういった「毒素」で生まれるのだ。

「………」

 嫌なことだと感じるほど、どうやら自分に毒は巡っていなかった。
 さながら生き着かなければ自分はこうして自由ではなかった筈だ。

 赤子を抱いたときの重さが手元に残っているような気さえした。あの軽さで一つ、ぽちゃんと井戸に落ちたという波紋を思い出すのは、最早何歳なのかというのがわからない。そんなのはまやかしでそれは女の影…まるで懐かしいと思うことが自分でも不気味だった。
 けして女供を恨んだこともない。

 ふらっと足を傾けたのは、不思議と寺なのだから仕方ない。縁起とは何か、そんなものは当に何も感じなくなってしまっていた。

 境内の、賽銭箱の側に座ってぼんやりとしてみた。
 どうして、なんで。その言葉が一番嫌いだ。当たり前に人の子は好きで、当たり前に大人は気持ち悪いと感じている、未だに。

 確か、妹は一度、別に縁談を決めた相手がいたのに、と聞いたことがある。それを彼女は先日語らなかった。

 そうしているとすぐに「藤嶋さん?」と、明朗な声が聞こえて来る。

「よう、」

 翡翠は一瞬顔をしかめつつも、「お出掛けですか、」と、自分の真後ろに座り髪に触れほどいた。どうしてかは不明だがそれは懐かしく、少し前までの習慣だった。

 翡翠がその髪を鋤くと藤嶋は「もう終わったよ」と告げ、隣へ座るように促した。

「まぁ、強いて言うなら出張だ」

 当たり前に気付いた。藤嶋が着ているその、丈が微妙に短い羽織は、翡翠が宿へ着いた頃、短い間ながら初めて自分に茶の淹れ方を教えた男娼の形見だった。

「…茶でも淹れましょうか」
「いや、」
「一体どないしたんです?」
「別に」

 そう言ってふと膝に寝転んできた藤嶋に「ホンマになんなんです?」と、邪険に言う。

 ただ、手に余って仕方ない。
 この右手は力を込め布を押し当て…そして「貴様何者だっ!」と刃を向けられたその日が。

 不意に輪郭から…首筋へ手を伸ばした藤嶋はえらく…なんとも言えない表情をしている。まるで、泣きそうなような、優しいような、人らしいと思える顔で。

「あの」
「四半刻で良い」

 そう言って手を下ろし目を閉じる藤嶋に、何かあったことは間違いないとわかる。

「…わてにも仕事があるんやけど」
「ん、あっそ…」
「………あんさん、それ似合うてへんよ」
「うるせぇな、じゃぁお前にやるよ」
「は?」

 そして何も言わずにひっそり寝息を立てる藤嶋にどうしよう、と翡翠が困っていると、「なんだそれ、」と、納骨から帰って来た朱鷺貴が声を掛けてきた。

「……わかりまへん。困りました」
「…大丈夫かその人」
「寒いです」
「…よなぁ」

 顔を動かした藤嶋の横顔には傷がある。
 何故だか笑っているように見えた。

 少し黙っている翡翠に「ほれ、」と朱鷺貴は肩に羽織を掛けてくる。
 羽織の上に羽織。それでは意味がないと翡翠が藤嶋に掛けようものなら嫌そうな顔をするのでやめた。寒いし足も痺れそう。

 「茶ぁでもしばいてくるわ仕方ねぇ」と去った朱鷺貴に「すまへんなぁ、」と言う翡翠。

 本当は笑いそうだったのが耐えられず笑ってしまった藤嶋に「藤嶋さん?」と降ってくるのが互いに不思議で仕方ない。

 その日は、晴れでもなく、しかし曇りというほどでもないような、そんな日だった。

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